希望列車で行こう!

勇気は幸福の乗車券、希望列車に、飛び乗ろう。

希望列車160

2010-10-28 19:00:09 | 日記
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『どんな問題であれ、「これですべてが、うまくいく』という魔法(まほう)のような解決策(かいけつさく)などない。
祈って苦労し抜(ぬ)いて、一つ一つ乗り越(こ)えていく以外にない。仕事も同じです。
そして最後は一切(いっさい)が大善(だいぜん)に変わり、必ず打開(だかい)できる。
これが、「絶対勝利の信心」です。』

確かに、どんな問題でも、「これですべてが、うまくいく」という魔法など、存在しない。そんな棚(たな)から、ぼたもちのようなことは、起こりえない。だから、あらゆる対策や努力をやってみて、その中から、活路(かつろ)を、開いていくしかない。

けれど、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)のスゴイところは、真剣に南無妙法蓮華経を、となえて祈っていく中で、あらゆる知恵が浮(う)かび、悩みや問題に立ち向かう強い強い生命力が、涌(わ)き上がってくるということです。

それは、最高の努力と行動となってあらわれ、その人を助けていきます。そして、南無妙法蓮華経を、となえる信仰の力(ちから)は、あらゆるものを、幸せと勝利の方向に動かし、引っ張っていくことになり、結果として、さまざまな悩みや問題を打開することになっていきます。

南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰を基本として、人生に挑戦していくと、必ず、悩みや問題を打開(だかい)できるし、勝利していける。

それが、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法の『すごい』ところです。

池田先生が言うように、『最後は一切(いっさい)が大善(だいぜん)に変わり、必ず打開できる』

いわば、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる信仰は、悩みや問題、あるいは夢や希望に立ち向かうための、強い強い情熱とエネルギーとなって、あらわれ、その人に、悩みや問題を解決する最高の行動を、させることになります。また、南無妙法蓮華経を、となえる信仰は、問題を解決するための、 あらゆる知恵となって現(あらわ)れ、その人に最高のアイデアとして、現れます。また、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰は、環境や人など、 あらゆるものを、幸せの方向に引きつけ、自分の方に引っ張る力(ちから)となり、その人を幸せの方向に、引っ張(ぱ)っていきます。

そして、あらゆるものが、積(つ)み重(かさ)なり、結果として、悩みや問題を解決でき、そして、夢や希望も、かなえていけるように、なっていくんです。

だから、池田先生が言うように、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる信仰に、真剣に挑戦し、人生に立ち向かっていった時、あらゆるものが幸せに変わり、問題を、打開していける。

それが、努力や知恵、挑戦する強力な生命力を生み出し、あらゆるものを幸せに引き寄(よ)せ、勝っていける、創価学会の、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。


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希望列車159

2010-10-25 15:55:46 | 日記
キング博士とともに、人権・平和のために戦ったハーディング博士は、言っています。

「生きるのには、水や食べ物が必要なように、『物語』を必要としているのではないでしょうか。つまり、世界の各国で、一層(いっそう)、健全(けんぜん)な民主主義が発展するには、私たちはお互(たが)いの『物語』を語り、聞き合う必要があるのです。」

その言葉を受けて、池田先生(創価学会インターナショナル会長)は、言っています。

「世界192カ国・地域に広がるSGI(創価学会インターナショナル)でも、毎月、各地で伝統(でんとう)の『座談会(ざだんかい)』という少人数の会合を行っています。そこでは、その地域のメンバーが集(つど)い、仏法(ぶっぽう)を学び、それぞれの体験談(たいけんだん)を語り合います。まさに自(みずか)らが主役になり、人生の『物語』を語るのです。そして、共感と励(はげ)ましの拍手(はくしゅ)を送ります。」

また、池田先生は、こうも言っています。
「だれもが人生で最高の『物語』を生きている。自分が主役の『物語』です。」

人は、一般的に物語が好きだと思う。だから、ドラマや映画などに熱中する場合も多い。

けれど、はたと気づくと、その物語は、テレビや画面の中の物語であり、自分とは、無関係な場合も多い。テレビの物語を見ていても、時間は、流れ、 人生は、ついやされる。けれど、自分の物語に生きることを、忘れたり、おろそかにしてしまう場合も、あるかもしれない。

それでも、時間は、流れていく。

池田先生は、言った。
「だれもが人生で最高の『物語』を生きている。自分が主役の『物語』です。」

創価学会の中には、この一人一人が主人公の物語に、満(み)ちている。
ひとりひとりが、人生の主人公となって、苦難を乗り越え、幸せと勝利を、勝ち取った物語。
その歓喜(かんき)と幸せの体験に、溢(あふ)れている。

そのひとりひとりが主人公になった生(なま)の物語を、ひとりひとりが話し、聞いて、励(はげ)ましたり、励まされたりして、共感(きょうかん)と歓喜の輪(わ)が広がっていく。

だから、創価学会は発展し、世界192カ国に、広がっているとも、言えると思います。

本当に人が望むのは、テレビの中だけの物語ではない。『自分の物語』です。

自分が主役となって、悩みや苦難を解決し、夢や希望を、かなえていく物語・・!

ほんとうは、人は、それを望んでいる。

その自分が主人公となり、夢や希望を、かなえていく物語が、創価学会には、ある。

人が本当の望むもの。人が本当に望む物語が、ここにある。
だから、創価学会には、若者が集まる。

そこに、青年が、本当に望むものが、あるからです。

その自分が主人公となり、悩みや問題を解決し、夢や希望を、かなえていけるのが、創価学会が実践する、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰であり、その一人一人が主人公となった勝利と幸せの物語を、語り、聞いて、互(たが)いに励(はげ)まし合い、歓喜して、幸せに向かって進んでいけるのが、創価学会という場所なんです・・!


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希望列車158

2010-10-20 16:23:20 | 日記
なぜ?創価学会の人たちが、創価学会の活動を、するのか?というと、それだけの価値(かち)があるからです。

けれど、創価学会の人たちが、最初から、その学会活動の価値を、知っているわけではない。
創価学会の活動は、スゴイし、素晴らしい!とわかって、活動を始めたということは、めったにないと思う。

それでは、なぜ、創価学会の活動をするのか?

それは、何にも、わからなくても、実際、やってみて、自分の生命に実感(じっかん)が、あるからです。実際、創価学会の活動をやってみると、自分の生命が歓喜(かんき)して、楽しくなってくるからです。もっと、はっきり言えば、創価学会の活動をやっていくことによって、自分の人生に、さまざまな形で、幸せという結果が出るからです。

現実に、創価学会の活動をやっていくことによって、悩みや問題が解決したり、夢や希望をかなえる方向に、自分の人生が、大きく変わっていく現実の結果が、目に見える形で、出てくるからです。

そのことによって、大きな確信を得(え)て、さらに積極的に、創価学会の活動を、やっていくようになっていくんです。

人間は、鋭(するど)いものです。価値の無いことを、積極的にやるようなことは、ありません。

自分で、やってみた結果として、大きな価値を自分の生命で感じ、実感(じっかん)できるから、その行動を、起(お)こすんです。

その無限の大きな大きな価値が、創価学会の活動には、あるんです。
だから、老若男女(ろうにゃくなんにょ)、世界中のどんな国の人でも、創価学会の活動に歓喜して、喜々(きき)として、学会活動に、取り組んでいるんです。だから、創価学会は、世界192カ国に広がっている。

また、創価学会の実践する、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)は、世界に平和をもたらす、究極(きゅうきょく)の法則であり力(ちから)なので、創価学会の活動をすることは、当然のこととして、世界を平和に、幸せにすることに、なっていきます。

だからこそ、創価学会の活動をすると、歓喜(かんき)してくるんです。

また、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、自己を変革し、悩みや問題を解決し、壁(かべ)を乗り越(こ)え、夢や希望をかなえていくための、最高の法則(ほうそく)であり力(ちから)でもあるので、創価学会の活動を、真剣にやっていくと、悩みや問題が解決し、夢や希望を、かなえていけるようになっていくんです。

ゆえに、創価学会の活動は、最高に価値のある充実(じゅうじつ)した活動だと、言うことができます。


いろいろ、話しましたが、だから、創価学会の人たちは、創価学会の活動をするんです。活動によってお金をもらうとか、たんなるボランティア感覚でもなく、本当に自分の生命が歓喜し充実を感じ、そして悩みを解決し、夢や希望を、かなえていける!

それが、創価学会の活動であり、また、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!


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希望列車157

2010-10-14 18:59:04 | 日記
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『本来、「苦」と「楽」は、一体(いったい)なのです。』

なぜだろう・・?

「苦」と「楽」は、正反対だし、楽は、いいけれど、苦は決して、いいものではない。望んで、苦を求める人は、いないと思う。それなのに、「苦」と「楽」は、一体・・?

さらに、池田先生は、言っています。

『真の「楽しさ」とは何か。それは『生命の充実(じゅうじつ)』です。その充実とは、苦難と戦う中にこそある。
労苦(ろうく)を厭(いと)わず、必死に祈って、壁(かべ)を破(やぶ)る。勝利する。だから喜びも大きい。本当に楽しいのです。』

充実は、苦難と戦う中にある。

確かに、苦を望む人なんていない。けれど、その苦難に立ち向かい挑戦していった時、充実(じゅうじつ)が生まれ、本当の意味の『楽しさ』が生まれる・・ ということだろうか。

たしかに、なんにもしなかったら、面白くない。どんな趣味を始めるにしても、なにかしらの努力は必要だし、なにかしらのガンバリは、必要だ。そこを、がんばりきれた時、充実が生まれ、楽しみが生まれる。その楽しみが、癖(くせ)になり、もっともっと、がんばろうとする。

そう考えると、確かに、「苦」と「楽」は、一体なのかもしれない。

けれど、まだ、趣味の世界ならともかく、現実の苦闘(くとう)渦巻(うずま)く世界に生きていると、そう趣味のように楽しく生きていけないのも、 事実だと思う。苦は苦でしかなく、ともかく辛(つら)く、苦しいという場合もあると思う。

すなわち、現実の苦難に埋(う)もれ、苦難に負けてしまう場合も、あるかもしれない。

それは、なぜだろうか・・?

それは、それらの現実の苦難に打ち勝つだけの、『生命力』『パワー』が、自分の中にないからだと思う。

この苦難に打ち勝つ『生命力』『パワー』がないということが、苦難に負け、不幸を生み出す原因だとも言えます。
自分の中に、苦難に打ち勝つだけのエネルギーがない・・。そこから、苦は苦としてしか、受け止められなくなり、さまざまな不幸が、生まれてしまう。

ようは、その苦難に打ち勝つだけの生命力、パワーが、自分の中にあればいいわけです。そうなれば、その苦難に打ち勝つ強い強い生命力、パワーが、 苦難を充実に変え、苦を楽に変えていってしまう。そしてその力(ちから)は、やがて、その人に、さまざまな幸せを、もたらしてくれる。

その苦難に打ち勝つ生命力、パワー、エネルギーを、生命の根源から生み出す唯一(ゆいいつ)の方法と言っていいのが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

だから、池田先生が言うように、本当に楽しいんです。苦難をチャンスと受け止め、真剣に祈り、挑戦していく。南無妙法蓮華経は、無限の生命力そのものなので、南無妙法蓮華経を、となえていくと、自分の中に生命力が、ドクドクと、わき上がってきます。その生命力は、苦難に打ち勝つ力(ちから)となり、 壁(かべ)をやぶり、勝利することに、つながっていく。

それは、言い知れない充実となり、歓喜となっていく。そして、心からの幸せが生まれる。

だから、本当に楽しいんです。心の底からの『楽しい』という充実なんです。

『南無妙法蓮華経は、歓喜(かんき)の中の大歓喜』と言います。

その通り、創価学会の中で、南無妙法蓮華経を、となえながら、あらゆることに挑戦していくと、本当に楽しいんです。
それは、歓喜となり、充実となり、人生の勝利と幸せを、生みます。

それが、「苦」を「楽」に変える、歓喜の中の大歓喜といえる、創価学会が実践する、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!


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希望列車156

2010-10-07 17:32:14 | 日記
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、聖教新聞の中で連載(れんさい)してくれている小説「新・人間革命」の中で、言っていました。

『伸一(池田先生のこと)は、家族の健康状態や家庭の状況などを尋(たず)ねていった。彼(池田先生)は、学会員と接(せっ)する時は、 「体は大丈夫か」「生活は安定しているだろうか」「子供など家庭の問題で悩んではいないだろうか」といった事柄(ことがら)に、常に細心の注意を 払(はら)っていた。

人は、皆、なんらかの悩みを抱(かか)えている。その悩みに、喜々(きき)として挑戦し、乗り越(こ)えていくための信心である。また、そうした問題を解決していくなかで、自分の生活の足場が固(かた)められていくし、さらに、その体験が、仏法(ぶっぽう)への揺(ゆ)るぎない確信となっていくのである。』

この創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰に対する、『揺(ゆ)るぎなき確信』。それは、だれもが持っている、人それぞれの悩み、その悩みを、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法によって、現実に解決し、乗り越(こ)えていくことによって、起(お)こってくる。

その悩みを解決できた確信が、創価学会の仏法の信仰に対する確信と自信となって、ひとりひとりの生命の中に、芽生(めば)え、植(う)え付けられていく。

その一人一人の幸せになっていった確信が、世界192カ国に広がる創価学会に、なったんだと思う。

問題は、現実です。
現実を離れて、真実の宗教はない。

これが、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)と、他のさまざまな宗教との決定的な違いだと思う。

日本にはびこる葬式仏教(そうしきぶっきょう)にしろ、観光宗教にしろ、神社信仰にしても、およそ、現実とは無関係なもの。現実とは関係ない単なる愛嬌(あいきょう)や儀式、お遊びや慰(なぐさ)めのようなものです。
そんなものを、やってみたところで、現実を切り開く力(ちから)には、なり得(え)ない。

それどころか、それらの葬式仏教や観光宗教、神社信仰は、あきらかに間違った宗教です。
だから、どんなに真剣に祈ってみたところで、間違った宗教であるがゆえに、現実を切り開くどころか、逆に、どんどん、不幸になっていってしまいます。

それが、間違った宗教の害毒(がいどく)です。

それが、世間一般の宗教だから、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の信仰を、理解できないのは、良くわかる。

宗教が、自分の悩みを解決し、夢や希望のために、未来を切り開く力(ちから)になるなんて、思いもよらないからです。

けれど、本当は、自分のさまざまな悩みを、根本的に解決していく力(ちから)は、この創価学会が実践する、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰の中にある!!と、断言できます。

だから、いったん、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を始め、その南無妙法蓮華経の仏法によって、自分の悩みや問題が、解決していった時、それは、 自分の生命に、大きな確信と歓喜となって、植(う)え付(つ)けられていく。

そして、この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法が、人々の悩みや問題を解決し、夢や希望を、かなえていける真実の宗教であることが、わかってくる。

その悩みを解決できた確信と歓喜(かんき)と幸せの歴史が、『創価学会』だと、言えると思います。

池田先生が、ひとりひとりの悩みに、細心の注意を払(はら)ったように、現実の中で生きている人々の悩みほど、重要なことは、ないとも、言えると思います。

そのもっとも大切な一人一人の悩み、問題、夢、希望。
そのひとりひとりの悩みや問題、そして、夢や希望に、スポットを当て、だれよりも真剣に、そして現実に、悩みや問題を解決し、夢や希望を、かなえていけたから、創価学会は、ここまで、広まっていったんだと思う・・。


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