希望列車で行こう!

勇気は幸福の乗車券、希望列車に、飛び乗ろう。

希望列車184

2011-02-24 19:06:36 | 日記
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『人間の心が乱(みだ)れ、濁(にご)ってしまうのが、末法(まっぽう)という時代です。社会も不安定で、閉塞(へいそく)している。人間同士の葛藤(かっとう)も絶(た)えない。だからこそ、確かな哲学(てつがく)が必要になるのです。』

ちなみに、末法(まっぽう)とは、釈迦(しゃか/釈尊[しゃくそん]/ブッタ)が亡(な)くなってから、2000年以後の世界で、今は、『末法(まっぽう)』の時代と言えます。この末法という時代は、人身の心が乱れ濁(にご)り、悪が氾濫(はんらん)して、混沌(こんとん)とした乱れきった世の中と、いうことです。

確かに、現代という時代は、社会が閉塞(へいそく)して不安定で、争(あらそ)いが絶えない、心が乱れた状況だと言えると思います。

そういう時代だからこそ、環境(かんきょう)や世相に負けないで、幸せを勝ち取っていける、強くしっかりした哲学(てつがく)が必要だと言えると思います。

どんな世相であれ、どんな時代であっても、勝たなければならない!!
負けるわけにはいかない!!

そのための絶対的な哲学(てつがく)が、創価学会が実践(じっせん)している南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)であり、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです・・・!

この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、どんな状況や環境にも負けないで、幸せを勝ち取っていける最高に強力なエネルギーであり力(ちから)であり、パワーなんです・・!!!

この末法(まっぽう)という乱れきった世界の中で勝っていくためには、『これしかない!!』と言い切っても、何の問題もありません・・・!

それが、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです・・!

池田先生が、言っています。
『嘆(なげ)いても始まらない。自分が人間革命し、強く賢(かしこ)くなっていく力(ちから)が、信心です。
自分を苦しめる「悪知識(あくちしき)」をも、必ず、成長の糧(かて)となる「善知識(ぜんちしき)」へと変えていけるのが、仏法(ぶっぽう)です。』

確かに、嘆(なげ)いていても、始まらない。
変えていくしかない!
自分が強く賢(かしこ)くなっていくしかない。

そして、すべてを、幸せに向かって、希望に向かって、変えていけるのが、創価学会の信心であり、南無妙法蓮華経の仏法なんです。

だから、真剣に、南無妙法蓮華経を、となえていった時、悩みが解決し、夢や希望も、かなえていけるようになっていくんです!!

それが、現代という不安定で閉塞(へいそく)した時代を、打ち破(やぶ)り、太陽のような幸せを勝ち取っていける、創価学会の南無妙法蓮華経を、 となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


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希望列車183

2011-02-21 14:38:06 | 日記
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『運命を価値(かち)に転換(てんかん)してください。その人が人間としての勝利者です。王者です。』

また、池田先生は、言ってます。

『一番、悲しかった人が、一番、晴(は)れやかに輝(かがや)く人です。悲しみの深かった分(ぶん)だけ、大きな幸福の朝が来るのです。』

ひとことで言うと、創価学会がやっていることは、こういうことではないかと思う。また、現実に、運命を価値(かち)に転換(てんかん)する力があり、一番、悲しかった人が、一番、幸福になれる力(ちから)があるから、創価学会は世界192カ国に広がっていると、言えます。

生命というのは、不思議(ふしぎ)で、無限の可能性を秘(ひ)めている。こんなかわいそうな人は、いないと思うような人が、逆に大きな幸せを、つかむことがある。また、どん底のような人生の中から、おおきな勝利をもたらした人も、たくさんいる。人間の生命の可能性は、無限であり、プラスの力もマイナスの力も、無限に包含(ほうがん)していて、使い方次第では、どこまでも幸せになっていけるし、また不幸になることも、ある・・。

けれど、生命の不可思議(ふかしぎ)な力(ちから)を理解し、利用して幸せになっていくなんてことは、到底(とうてい)できることではないし、だいいち、そんなもの理解できない・・・。

けれど、生命の不思議な無限の力を、一言(ひとこと)で、あらわした言葉がある・・・!

それが、『南無妙法蓮華経』なんです・・!!

「南無妙法蓮華経」とは、不可思議で無限の力(ちから)そのものなんです!!

だから、南無妙法蓮華経を、となえていった時、その不可思議な力によって、運命を価値に、転換(てんかん)していくことができる!!
一番、悲しかった人が、悲しみの深かった分(ぶん)だけ、一番、幸福になっていくことが、できる!!

それが、本来、生命に備(そな)わっている、幸せになっていく無限の力(ちから)だからです。

その、すべての人が幸せになっていける無限の力が、『南無妙法蓮華経』であり、運命を価値に、悲しみを歓喜(かんき)に変えて、幸せと勝利を、つかんでいけるのが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


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希望列車182

2011-02-16 14:24:35 | 日記
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『仏法(ぷっぽう)の眼(まなこ)で見れば、妙法(みょうほう/南無妙法蓮華経のこと)を唱(とな)えゆく人は皆(みな)、尊極(そんごく)の宝塔(ほうとう/宝の塔[とう])である。誰もが妙法(みょうほう)を証明する多宝如来(たほうにょらい)である。

いかなる出自(しゅつじ)も境遇(きょうぐう)も、老若男女(ろうにゃくなんにょ)の違いも、民族も人種も、貧富も階級(かいきゅう)も、その人が宝塔(ほうとう)と輝(かがや)く妨(さまた)げにはならない。病気や障害(しょうがい)があろうが、いかなる災難や宿命(しゅくめい)が襲(おそ)おうが、幸福になることを邪魔(じゃま)されない。

誰もがわが生命の輝きをもって、今世(こんぜ)の使命の道を進み、自他共の幸福の道を開くことが、できるのだ!』

※ちなみに、宝塔(ほうとう)とは、宝の塔(とう)で、東京タワーのように、そびえ立つ塔(とう)です。その東京タワーのような塔が、すべて、金銀、財宝、あらゆる宝石で、できているということです。・・・それが、宝塔(ほうとう)です。しかもその、金銀財宝、あらゆる宝石でできた塔の大きさは、地球の半径もの大きさだと言う。それが、人間の生命にそなわる『宝塔(ほうとう)』だということです。


世の中には、さまざまな障害(しょうがい)があり、さまざまな境遇(きょうぐう)があり、さまざまな悩みがある。それぞれがもっている個性も違う。その個性が欠点のように思え、ひけめに感じたり、自分を不幸に感じることも、あるかもしれない。

けれど、仏法(ぶっぽう)の眼(まなこ)からみたら、すべての人が『宝塔(ほうとう)』となる。すなわち、どんな人であっても、無限の宝(たから)を持った、輝(かがや)かしい素晴らしい存在になる。

それが、『南無妙法蓮華経を、となえる』ということなんです。

すなわち、自分が、南無妙法蓮華経を、唱(とな)え始めた時から、その人の生命は宝塔と輝き、自分の中の金銀財宝が出現して、その人を蘇生(そせい)させ、輝かせ、勝利と幸せを、もたらしていく!ということです。

この創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)を、実践(じっせん)していくと、かわいそうな人は、一人もいなくなる!!ということです。自分が 今まで、欠点だと思っていたことが、南無妙法蓮華経を、となえていくことによって宝塔と輝き、逆に幸せになるための武器となっていくんです。

そして、すべての人が、自分らしい、自分にしかつかめない幸せを、つかんでいくことができる・・・。

それが、創価学会の、南無妙法蓮華経の仏法なんです・・。

ゆえに、池田先生が言うように、自分が生まれてきたどんな運命も境遇(きょうぐう)も、年齢や男女の違いも、どこの国のどんな人種であっても、また貧乏(びんぼう)であろうとなかろうと、またどんな病気であろうとも、その人の宝塔(ほうとう)の輝(かがや)きを、妨(さまた)げることは、できない。
そして、すべての人が、必ず、幸せになっていける・・・!!!

そしてまた、その宝塔の輝きによって、自分も周(まわ)りの人たちも、世界も、幸せに、平和に、変革していくことができる。

それが、南無妙法蓮華経という『宝塔(ほうとう)』であり、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


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希望列車181

2011-02-10 19:43:11 | 日記
アメリカ・ハーバード大学の、ハービー・コックス名誉教授が、創価学会インターナショナル会長である池田先生について、こう語っています。

『会長(池田先生)とは、日本とアメリカでお会いする機会(きかい)がありました。
その出会いは、宗教指導者との謁見(えっけん)といった形式的な堅苦(かたくる)しいものではありませんでした。会長は、自(みずか)ら外に出て 私を出迎(でむか)えてくれました。私は多くの宗教の最高指導者と会う機会を持ちましたが、わざわざ出迎えてくれるような出会いは、全(まった)くありませんでした。

会長は、出会うやいなや、私を心からリラックスさせてくれました。そして、私の話に心から耳を傾(かたむ)けてくれたことが、深く印象(いんしょう)に残りました。一切(いっさい)の身構えや「心の武装(ぶそう)」を完全に解(と)き放(はな)ってくれるような、平等な開かれた出会いでした。

日本でも、いなアメリカでさえなお、階級意識の影(かげ)が色濃(いろこ)く存在する中で、会長の勇気ある開かれた心に、私は心から敬服(けいふく)したのです。』

また、ハービー・コックス教授は、こうも言っています。

『私は、SGI会長(池田先生)の振(ふ)る舞(ま)いを通して、「精神の時代」を象徴(しょうちょう)する、仏教ヒューマニズムの実践の真髄(しんずい)に触(ふ)れることができたと考えております。』


これが、池田先生という人間なんです・・・!

これが池田先生に対する世界の有能な人物たちの、評価です。

けれど、日本では、まだまだ、創価学会の池田先生に対する評価が、正しくされてない場合が、多い。

池田先生を、教祖のように、考えてしまう場合も、多々ある。

けれど、それは、まったく違う!!!

教祖というのは、人を奴隷(どれい)のようにしてしまう。
教祖様、教祖様と、あがめる対象であり、そこには、人間的な関係が、あまり感じられない。

けれど、池田先生は違う!
池田先生は、教祖ではなく、指導者なんです。
『人間が、人間を引っ張(ぱ)っていく!』
そこには、階級意識はなく、あくまで人間対人間。どこまで、人間を尊敬できるか。どこまで、人のために、真剣に、誠実(せいじつ)に行動できるか・・。

基準(きじゅん)は、ここにしかなく、人間が人間として納得(なっとく)し、引きつけられて、行動が生まれる。

その人間が人間を、引きつけ合う最高の人間主義が、創価学会であり、その人間としての指導者であり師匠(ししょう)が、池田先生なんです。

だから、世界中、どこの人であれ、池田先生に会った人たちは、その人間性に共感し、多くの感動と尊敬を、おぼえる。

それが、池田先生が、やっていることであり、創価学会の平和と幸せへの行動なんです。

だから、世界は、池田先生と創価学会を、最大に尊敬し、多くの期待と希望を、たくしている。

そして、それが、池田先生に対する、300を越(こ)える名誉学術称号(めいよがくじゅつしょうごう/名誉博士や名誉教授など)や、660を超える名誉市民称号(しょうごう)や、4000を超える世界からの憲章(けんしょう)となって、あらわれています・・・。


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希望列車180

2011-02-07 18:49:45 | 日記
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『砂漠(さばく)のように乾(かわ)ききった現代社会を潤(うるお)す、真心と励(はげ)ましの泉(いずみ)が、創価学会といってよい。』

確かに、そうだと思う。

ぼくの経験からしても、仕事や、さまざまな辛(つら)いことが重(かさ)なって、心が、荒(すさ)んでいるとき、創価学会の人たちとの交(まじ)わりや、ふれ合いによって、どれだけ、救われたことか・・・。

なぜだか、創価学会の人たちと接(せっ)していると、すさんだ心が消えさり、清々(すがずか)しい、きれいな心になって、帰っていくことが、できる。不思議といえば不思議だけれど、それは、確かにそうだと思う。

なぜ、創価学会の人たちと接していると、すさんだ心が消えさり、清々(すがすが)しい、きれいな心になっていくのか・・・?

それは、まず、創価学会の人たちが、南無妙法蓮華経を、となえているからだと思う。

南無妙法蓮華経とは、生命を蘇生(そせい)させる本源的(ほんげんてき)なエネルギーだと言えると思う。だから、南無妙法蓮華経を、となえていくと、自分の生命が蘇生(そせい)し歓喜(かんき)してくる。そして自分の生命は、清々しく歓喜した状態になっていく。

また、南無妙法蓮華経は、幸せの法則(ほうそく)であり、平和の法則でもあるので、南無妙法蓮華経を、となえて行動していくと、その人の生命は、幸せへ、平和へと向かっていく。

その人々を平和へ幸せへと向かわせる生命の連帯(れんたい)が、創価学会だとも言えると思う・・。
その平和と幸せの連帯である創価学会の活動の中に、身をおいたとき、自分の生命も、平和へ幸せへと、蘇生(そせい)していく。

だから、創価学会の人たちに、ふれていくことによって、すさんだ心や傷(きず)ついた生命は、癒(いや)され、清々しく幸せな生命状態へと、変わっていく・・!

それは当然、自分と自分の人生を、幸せへと、導(みちび)いていくことになる・・!!

だから、創価学会の会合などにいき、創価学会の人たちと接していると、疲(つか)れていた生命が、なぜだか、歓喜して、すがすがしく元気になって、帰っていくことができる。


ある創価学会の婦人が、言っていた。

『創価学会員でなかったら、どれだけ殺伐(さつばつ)とした人生になっていたことか・・・。』


世の中を見ていると、華(はな)やかで、きらびやかなことに、目を引(ひ)かれ気味(ぎみ)です。それはそれで、いいと思うけれど、もしかしたら、人が本質的に求めているものに、欠(か)けているのかもしれない。

ほんとうの意味での生命のぬくもり・・。本当の意味での生命の充実感(じゅうじつかん)・・。本当の意味での人間としての証(あかし)・・。

人は、そういうものを求めて、生きているのかもしれない。

けれど、過酷(かこく)な世間という人生の中に生きていると、ふと気づくと、殺伐(さつばつ)とした心の虚(むな)しさ、空虚感(くうきょかん)を、感じることがあるかもしれない。

池田先生が、言っていたそうです。

『現代の地獄(じごく)は、孤独地獄なんだ。』・・・と。

なんともいえない生きていることに対する空虚感(くうきょかん)、殺伐(さつばつ)とした心・・。こころを埋(う)めることのできない砂漠(さばく)のような当(あ)てどころのない心情・・・。

その絶望的な心情が、人を苦しめ、さいなむことも、あるかもしれない。

その絶望的な心情、空虚感・・、殺伐(さつばつ)とした心を、本当の意味で埋(う)めることのできる場所が、創価学会だと言えると思う。

また、人間が求めている本当の意味での価値。ほんとうの充実。心の底から感じる満足と幸せを味わうことのできるのが、創価学会だとも、言えると思います。

人間が求めているもの・・・。
人間が心から欲(ほっ)し、つかもうとしているもの。

その真実の意味での価値と充実(じゅうじつ)と幸せの力(ちから)が、創価学会の中には、溢(あふ)れていると、いうことです。

その、真実の意味での幸せと充実を、つかむことのできる唯一(ゆいいつ)の力(ちから)でありエネルギーが、創価学会が実践している南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)だとも、言えると思います・・・。


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