先日、ブログのコメントで、創価学会の南無妙法蓮華経と、身延(みのぶ)の日蓮宗や立正佼成会(りっしょうこうせいかい)の南無妙法蓮華経との違(ちが)いについて質問された話しをしましたが、同じ方から、創価学会と日蓮正宗との違いについて、質問されたこともありました。
日蓮正宗というのは、創価学会が昔、守り、外護(げご)していた宗派で、日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を純粋(じゅんすい)に受け継(つ)ぎ 広めるために、創価学会が大変に発展させてあげたところですが、今は、創価学会とは完全に別(わか)れ、創価学会では、日顕宗(にっけんしゅう)と呼んでい ます。
はっきり言えば、創価学会が日顕宗と呼んでいる日蓮正宗は、創価学会が呼び名を変えたように、とても、日蓮正宗と言えるようなしろものでは、ありません。
正宗とか言うと聞こえはいいですが、魔性(ましょう)に食い破(やぶ)られ、とらわれた毒蛇(どくへび)のような存在です。悪そのものと言ってもいいでしょう。
昔、創価学会がどれだけ正宗を守り外護(げご)し、発展させてあげたか。その恩(おん)は、計(はか)り知れないはずですが、その恩を仇(あだ)で返すような畜生(ちくしょう)以下のやからです。
彼らは、創価学会員を金になる奴隷(どれい)のようにしか考えられなかった。そして、自分たちの私腹(しふく)が肥(こ)えると、もういいと、かってに創価学会を破門(はもん)してきた。
当時の日蓮正宗のトップだった日顕(にっけん)という男は、創価学会のインターナショナル会長である池田先生への人々の尊敬と賞賛が憎(にく)くて憎くてしょうがなかった。そしていつか、あいつらの首を切ってやろうと機(き)をうかがい、池田先生と創価学会を破門(はもん)してきた。そうすれば、創価学会の半分の人は、日蓮正宗側につき、それだけの信徒がいれば、遊蕩三昧(ゆうとうざんまい)、遊んでくらせると考えたからです。
けれど、創価学会員は、ばかではないので、日蓮正宗側につくものは、ほとんどいなかった。そして、正宗は、没落(ぼつらく)の一途(いっと)をたどり、逆に創価学会は、毒蛇(どくへび)のような、梅毒(ばいどく)のような正宗との縁(えん)が切れたおかげで、世界宗教として自由自在に活動できるようになり、世界が賞賛(しょうさん)し期待し、世界192カ国に広がる創価学会へと飛翔(ひしょう)していった。
なるべくしてなったと言うか、日蓮正宗と切れて本当に良かった。もし正宗が引っ付いていたら、創価学会は、これほど発展できなかったでしょう。
だいたいにおいて、その当時の日蓮正宗のトップ、日顕という男は、売春問題で、最高裁で三度も断罪(だんざい)された男で、裁判所で日顕の言うことを信じる人は、ひとりもいません。ようするに裁判所おすみつきの「大うそつき」です。正宗は、そういう男が権力(けんりょく)をにぎっているようなところですから、だいたい、どんなものか察(さっ)しがつくと思います。
この日顕という男は、創価学会を破門(はもん)すると、創価学会の真心の供養(くよう)でつくられた正本堂という、文化遺産(ぶんかいさん)的にも、建築物としても非常に価値(かち)のある何百年?以上もつであろう素晴らしい建物を、わざわざ金をかけて、いきなりすべて破壊(はかい)し、取り壊(こわ)し、そのあと、くだらない宗教くさい建物を立てている。また、正宗の敷地(しきち)にある美しい桜並木を、切り倒してしまっている。普通の人間のやることではありません。
だから、創価学会では、日蓮正宗とは呼ばす、日顕宗と呼んでいますが、それが日蓮正宗というものです。いくら口で立派(りっぱ)そうなことを言っているとしても、そんなものは糞(くそ)にもなりません。
日蓮正宗(日顕宗)というのは、僧侶が上、信徒は下、僧侶の言う事は絶対。信徒は金を出せ!それが正宗の本音(ほんね)であり、彼らの心には、それ以外のものはありません。
また、その日蓮正宗についた人間ほど、かわいそうな人もいません。日蓮正宗は、真実に最も近いところで悪逆(あくぎゃく)をしているわけですから、その罪(つみ)と害毒(がいどく)は、はかりしれず、その正宗につくということは、悪に命をささげるようなものなので、当然(とうぜん)、その人は、底知れぬ不幸に陥(おちい)っていきます。
宗教というのは正邪(せいじゃ)と結果を、明確にともなうものです。間違った宗教、悪(あ)しき宗教につくということは、その人がかりに、どんなに善意でやっているにしても、その対象が悪であり害(がい)になるものなので、自分の生命は、どうしても悪害(あくがい)に染(そ)まり、その結果、必ず不幸になっていきます。
だから日蓮正宗につくと、本当に不幸になります。口でどんな理屈(りくつ)を言っても、幸せや功徳(くどく)、効力(こうりょく)がもたらされることはなく、さまざまな形で、あらゆる形で不幸がもたらされます。
それとは反対に、創価学会は、世界192カ国に広がり、世界中の人々を幸せにしている。それは現実に、ひとりひとりのさまざまな悩みを解決し、また、夢や希望をかなえる大きな力となって、さまざまな形で、現実に幸せの結果をもたらしているということです。
結果がでるということは、それがなによりも、正しい証拠(しょうこ)となります。
また、創価学会がひとりひとりを蘇生(そせい)させ、幸せにしていった結果として、世界にどれだけの平和をもたらしたかは、計り知れず、だから世界中の有識者は、創価学会を絶賛(ぜっさん)し、賞賛して、大きな期待と希望をたくしています。
それは、創価学会と日蓮正宗(日顕宗)との違いを、歴然(れきぜん)と、あらわしています。勝負と結果は、明確についているとも、言えます。
だから、南無妙法蓮華経を、となえていれば、なんでもいいということではなく、それが悪に向かい、結果として悪を助けるものならば、いくら南無妙法蓮華経をとなえても、不幸になり、どんなに善意でやっても、真剣にやればやるほど不幸がもたらされます。
それが真実であり、それゆえに、決して日蓮正宗(日顕宗)につくべきではなく、たんなる形式でものごとを考えて、 日蓮正宗で南無妙法蓮華経をとなえていったならば、大きなしっぺ返(がえ)しと、大きな不幸を被(こうむ)ることになります・・・。
日蓮正宗というのは、創価学会が昔、守り、外護(げご)していた宗派で、日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を純粋(じゅんすい)に受け継(つ)ぎ 広めるために、創価学会が大変に発展させてあげたところですが、今は、創価学会とは完全に別(わか)れ、創価学会では、日顕宗(にっけんしゅう)と呼んでい ます。
はっきり言えば、創価学会が日顕宗と呼んでいる日蓮正宗は、創価学会が呼び名を変えたように、とても、日蓮正宗と言えるようなしろものでは、ありません。
正宗とか言うと聞こえはいいですが、魔性(ましょう)に食い破(やぶ)られ、とらわれた毒蛇(どくへび)のような存在です。悪そのものと言ってもいいでしょう。
昔、創価学会がどれだけ正宗を守り外護(げご)し、発展させてあげたか。その恩(おん)は、計(はか)り知れないはずですが、その恩を仇(あだ)で返すような畜生(ちくしょう)以下のやからです。
彼らは、創価学会員を金になる奴隷(どれい)のようにしか考えられなかった。そして、自分たちの私腹(しふく)が肥(こ)えると、もういいと、かってに創価学会を破門(はもん)してきた。
当時の日蓮正宗のトップだった日顕(にっけん)という男は、創価学会のインターナショナル会長である池田先生への人々の尊敬と賞賛が憎(にく)くて憎くてしょうがなかった。そしていつか、あいつらの首を切ってやろうと機(き)をうかがい、池田先生と創価学会を破門(はもん)してきた。そうすれば、創価学会の半分の人は、日蓮正宗側につき、それだけの信徒がいれば、遊蕩三昧(ゆうとうざんまい)、遊んでくらせると考えたからです。
けれど、創価学会員は、ばかではないので、日蓮正宗側につくものは、ほとんどいなかった。そして、正宗は、没落(ぼつらく)の一途(いっと)をたどり、逆に創価学会は、毒蛇(どくへび)のような、梅毒(ばいどく)のような正宗との縁(えん)が切れたおかげで、世界宗教として自由自在に活動できるようになり、世界が賞賛(しょうさん)し期待し、世界192カ国に広がる創価学会へと飛翔(ひしょう)していった。
なるべくしてなったと言うか、日蓮正宗と切れて本当に良かった。もし正宗が引っ付いていたら、創価学会は、これほど発展できなかったでしょう。
だいたいにおいて、その当時の日蓮正宗のトップ、日顕という男は、売春問題で、最高裁で三度も断罪(だんざい)された男で、裁判所で日顕の言うことを信じる人は、ひとりもいません。ようするに裁判所おすみつきの「大うそつき」です。正宗は、そういう男が権力(けんりょく)をにぎっているようなところですから、だいたい、どんなものか察(さっ)しがつくと思います。
この日顕という男は、創価学会を破門(はもん)すると、創価学会の真心の供養(くよう)でつくられた正本堂という、文化遺産(ぶんかいさん)的にも、建築物としても非常に価値(かち)のある何百年?以上もつであろう素晴らしい建物を、わざわざ金をかけて、いきなりすべて破壊(はかい)し、取り壊(こわ)し、そのあと、くだらない宗教くさい建物を立てている。また、正宗の敷地(しきち)にある美しい桜並木を、切り倒してしまっている。普通の人間のやることではありません。
だから、創価学会では、日蓮正宗とは呼ばす、日顕宗と呼んでいますが、それが日蓮正宗というものです。いくら口で立派(りっぱ)そうなことを言っているとしても、そんなものは糞(くそ)にもなりません。
日蓮正宗(日顕宗)というのは、僧侶が上、信徒は下、僧侶の言う事は絶対。信徒は金を出せ!それが正宗の本音(ほんね)であり、彼らの心には、それ以外のものはありません。
また、その日蓮正宗についた人間ほど、かわいそうな人もいません。日蓮正宗は、真実に最も近いところで悪逆(あくぎゃく)をしているわけですから、その罪(つみ)と害毒(がいどく)は、はかりしれず、その正宗につくということは、悪に命をささげるようなものなので、当然(とうぜん)、その人は、底知れぬ不幸に陥(おちい)っていきます。
宗教というのは正邪(せいじゃ)と結果を、明確にともなうものです。間違った宗教、悪(あ)しき宗教につくということは、その人がかりに、どんなに善意でやっているにしても、その対象が悪であり害(がい)になるものなので、自分の生命は、どうしても悪害(あくがい)に染(そ)まり、その結果、必ず不幸になっていきます。
だから日蓮正宗につくと、本当に不幸になります。口でどんな理屈(りくつ)を言っても、幸せや功徳(くどく)、効力(こうりょく)がもたらされることはなく、さまざまな形で、あらゆる形で不幸がもたらされます。
それとは反対に、創価学会は、世界192カ国に広がり、世界中の人々を幸せにしている。それは現実に、ひとりひとりのさまざまな悩みを解決し、また、夢や希望をかなえる大きな力となって、さまざまな形で、現実に幸せの結果をもたらしているということです。
結果がでるということは、それがなによりも、正しい証拠(しょうこ)となります。
また、創価学会がひとりひとりを蘇生(そせい)させ、幸せにしていった結果として、世界にどれだけの平和をもたらしたかは、計り知れず、だから世界中の有識者は、創価学会を絶賛(ぜっさん)し、賞賛して、大きな期待と希望をたくしています。
それは、創価学会と日蓮正宗(日顕宗)との違いを、歴然(れきぜん)と、あらわしています。勝負と結果は、明確についているとも、言えます。
だから、南無妙法蓮華経を、となえていれば、なんでもいいということではなく、それが悪に向かい、結果として悪を助けるものならば、いくら南無妙法蓮華経をとなえても、不幸になり、どんなに善意でやっても、真剣にやればやるほど不幸がもたらされます。
それが真実であり、それゆえに、決して日蓮正宗(日顕宗)につくべきではなく、たんなる形式でものごとを考えて、 日蓮正宗で南無妙法蓮華経をとなえていったならば、大きなしっぺ返(がえ)しと、大きな不幸を被(こうむ)ることになります・・・。