希望列車で行こう!

勇気は幸福の乗車券、希望列車に、飛び乗ろう。

希望列車216

2011-08-25 18:19:08 | 日記
日蓮大聖人が、

『天(てん)晴(は)れぬれば地明(あきら)かなり
法華(ほっけ)を識(し)る者は世法(せほう)を得可(うべ)きか。』

と言っています。

『法華(ほっけ)』というのは、法華経のことで、つまるとろろ、『南無妙法蓮華経』のことを指(さ)します。
だいたい、どういう意味かというと、天が晴れるならば、大地は自然に明るくなる。
同様(どうよう)に法華(法華経のこと)を知る者、つまり妙法(みょうほう/南無妙法蓮華経のこと)という一切(いっさい)の根源(こんげん)の法(ほう)を知っているものは、世の中の事象(じしょう)も、当然(とうぜん)、明らかに知ることができる!という意味だそうです。

世の中の事象や現象(げんしょう)、さまざまな出来事や人それぞれの環境(かんきょう)や状況。そして、そこから発生してくる、さまざまな悩みや問題、ひいては、幸不幸にいたるまで、日々起こってくる世の中の現象は、さまざまです。

それらに、どう対処(たいしょ)していくか・・。どう対応(たいおう)し、戦い、挑戦し、生きていくか・・。

それによって、幸せと不幸が、わかれてきてしまうとも言えると思います。

だれでも幸せになりたいし、幸せの方向に進んでいきたいと思う。
けれど、なかなか、そうもならない場合もある。
なにせ、複雑(ふくざつ)きわまりない世の中である。

どう転(ころ)ぶかなんて、なかなか、わかなない・・・。

また、その複雑きわまりない世の中で、戦っていかなければならない。勝たなければならない。

悩みや苦しみ、さまざまな困難に振(ふ)り回されるのではなく、それらに挑戦し解決し、勝っていかなければならない。

そうしないかぎり、幸せは、やってこないからです。

けれど、それが、いかに大変なことか。いかに困難で、難(むずか)しいことか・・!

だから、世の中には、悩みや苦しみ、環境や状況(じょうきょう)に負けて、不幸になってしまう人たちが、たくさんいる。
それも、現実だと思う。

『天が晴れるならば、大地は明るくなる。』

だとしたら、悩みや苦しみ、環境や状況に負けてしまうのは、自分という生命に、靄(もや)がかかり、暗い雲に覆(おお)われ、また自分という生命の中に、どしゃぶりの雨が降(ふ)っている状態なのかもしれない。

『天が晴れるならば、大地は明るくなる。』

だとしたら、自分の生命に、太陽を昇(のぼ)らせなければならない!

そうしないかぎり、大地は明るくなっていかないからです。

その自分の人生という大地、自分の未来という大地、自分の心や生命の大地に、サンサンと太陽を昇(のぼ)らせるのが、日蓮大聖人が言うように、創価学会が実践(じっせん)する、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の信仰は、すべてにわたって、自分の人生に太陽を昇らせるんです!!

ご本尊に(※ご本尊とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることを、あらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。)・・・そのご本尊に南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、自分の生命が輝(かがや)いてくる。明るくなってくる。自分の生命に太陽がのぼり、なぜだか世の中が見えてくる。いったいどうしたらいいかが、わかってくる。そして強い強い信念と勇気が、湧(わ)き上がってきて、人生に未来に、勇(いさ)んで挑戦していけるようになっていく。

そして、南無妙法蓮華経をとなえることによって、自分の生命に太陽が昇ったならば、不思議(ふしぎ)と、さまざまな悩みや問題も、解決できるようになってゆく。また南無妙法蓮華経をとなえることは、自分の生命を蘇生(そせい)させることになるので、病気などを克服(こくふく)する大きな力(ちから)ともなっていく。

それだけではなく、ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえていくと、なぜだか、まるで未来が見えるように、自分にとって最高の方向、幸せのための最高の道を進んでいけるようになっていく。また、南無妙法蓮華経をとなえることによって自分の生命が輝いていったならば、さまざまな幸運が自分に引き寄(よ)せられ、幸せが自分の方に集まってくるようになっていく。ようするに、自分の環境や世界が、幸せに変わっていくということです。

やがて、南無妙法蓮華経を、となえゆくことによって起こる幸せの変化は、自分だけでなく、周(まわ)りの人々、地域や社会、ひいては世界を幸せに変えていくことにつながり、結局(けっきょく)のところ、世界を平和に、幸福にしていくことになっていく。

それが、創価学会が実践する南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

ゆえに、日蓮大聖人が言うように、天が晴れるならば、大地は自然にあかるくなるように、法華経、すなわち、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を実践していくことによって、人生という大地は明るく照(て)らされ、さまざまな悩みや問題も解決でき、その生命の輝きによって、夢や希望も、かなえていけるようになっていくんです。

それが、自分の人生と生命を照(て)らす、最高最大の太陽といえる、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


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希望列車215

2011-08-19 16:23:46 | 日記
スイスの哲学者(てつがくしゃ)、ヒルティが言っています。

『人間のなすあらゆる偉大(いだい)な精神的進歩というものは、まず信仰にもとづくものだ。』

また、池田先生(創価学会インターナショナル会長)も言っています。

『状況(じょうきょう)にのまれ、流されていくのか。状況に立ち向かい、改革(かいかく)していくのか。・・・それは、常に、人間に突(つ)き付けられている課題(かだい)である。
しかし、改革は至難(しなん)である。本当の信念と強靭(きょうじん)な意思力が求められるからだ。それを引き出す力が、信仰なのである。』

確かに、現代という時代、状況は厳(きび)しいことが多いかもしれない。その状況に流されていくのか・・。立ち向かい改革していくのか・・。これが人生における幸不幸を分(わか)つ分岐点(ぶんきてん)になると思う。

けれど、状況を改革していくためには、強靭(きょうじん)な意思と信念(しんねん)が必要となってくる。それこそ、ものすごいエネルギーが必要となってくると思う。

そのエネルギーを引き出す力(ちから)が、信仰なのだという。

けれど、信仰といっても、いろいろある。現実に状況を改革してける信仰。困難を打開(だかい)し、夢にむかって突き進んでいける信仰。そういう現実に即(そく)した力(ちから)ある信仰でないかぎり、なんの役(やく)にも立たない。

たとえば、日本の葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、また神社信仰にしても、現実に即(そく)した、現実を変えていける力など、ないことは明白(めいはく)です。それらの信仰は、ちょっと考えただけでも、デタラメな間違った宗教であるし、仏法哲学(ぶっぽうてつがく)をひもとけば、完全に間違った宗教であることが、わかります。

だから、それらの葬式仏教や観光宗教、神社信仰を、どんなに真剣にやってみたとしても、また仮(かり)に命がけでやったとしても、状況を改革する力などには、なりません。逆に、間違った宗教であるがゆえに、真剣にやればやるほど、不幸という結果が出てきてしまいます。

だから、そんな信仰を、やるべきではない・・。

けれど、ヒルティは言っています。
『人間のなすあらゆる偉大(いだい)な精神的進歩というものは、まず信仰にもとづくものだ。』
と・・。

池田先生も言っている。
『状況を改革していける強靭(きょうじん)な意志力を引き出すための力が信仰なのだ』と。

本当の信仰とは、そういうものなのだろう・・!

問題は、その状況を改革していける、強靭な意志力を引き出していける本物の信仰が、あるのか?ということです。

そういう信仰が求められる。

そして、その状況に立ち向かい、改革していける、強靭な意志力を引き出していける本物の信仰が、創価学会が実践(じっせん)している南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

マスコミや世間には、流れないかもしれないけれど、この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の信仰が、どれだけ世の中を改革してきたか!どれだけ、人々の悩みや困難(こんなん)を打開し解決し、人々を幸せにしてきたか!本当に計(はか)り知れないと思う。

その創価学会の人たちの南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰による改革は、最高の信念による改革であるがゆえに、直接的にしろ、間接的にしろ、環境(かんきょう)や地域、世間に影響(えいきょう)を及(およ)ぼし、波及(はきゅう)し、どれだけ勇気と希望と幸せの力になってきたか、計り知れない。

それが、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰だと思う。

ヒルティが『人間のなすあらゆる偉大な精神的進歩というものは、まず信仰にもとづくものだ。』と言いましたが、一人一人の人間にその偉大な精神的進歩を、成(な)し遂(と)げさせていくのが、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法なんです。


確かにひとりひとりの状況や悩みは、困難なことが多い。

けれど、その一人一人の状況や悩みを打ち破り改革していける力(ちから)が、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰にはあるんです。

池田先生が言う強靭(きょうじん)な意思力を引き出す力があるんです。

ゆえに世界中の創価学会の人たちが、さまざなな困難な悩みや状況を打ち破り、夢や希望をかなえて、幸せになっているんです。

それが、ヒルティが言う『偉大な精神的進歩』を可能にする、ひとりひとりが悩みや問題を解決していける、そして夢や希望に向かって、強靭(きょうじん)な生命力で突き進んでいける、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!


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希望列車214

2011-08-15 21:43:16 | 日記
宗教について考えるとき、一般的に、宗教はみんな良いものだから、なんでも宗教をやったら、それなりにプラスになり、自分のためになるものだ・・ と考えているような人が、多いようです。

ところが、そういうことを言う人にかぎって、真剣に宗教を、やったことがない・・・。

ただ、単(たん)に、そういうふうに言っているだけの場合が多い。

本当に宗教が、どんなものでも良いものだと思っているのなら、葬式仏教(そうしきぶっきょう)にしろ、神社信仰にしろ、観光宗教にしろ、真剣にやってみたらいい!と思います。

その結果、どうなるかと言えば、必ず、不幸になります!!。
真剣にやったらやっただけ、よけいに不幸になります。

それが、日本に、はびこっている葬式仏教(そうしきぶっきょう)や神社信仰、観光宗教です。

ようするに、それらの葬式仏教(そうしきぶっきょう)や神社信仰、観光宗教は、間違(まちが)った宗教だということです。
それは、ちょっと考えればわかりますし、仏法哲学(ぶっぽうてつがく)をひもとけは、完全に間違った宗教であることが、わかります。
そして、間違った宗教であるがゆえに、真剣に祈れば祈るほど、逆(ぎゃく)に不幸になっていくということです。

このことが、人は、なかなか、わからない。

宗教には、正邪(せいじゃ)があるんです。
そして、間違った宗教をやれば、必ず、不幸になってしまう。

それが、宗教というものです。

もっと言えば、不幸の根源(こんげん)には、必ず、間違った宗教があります。
不幸の根本的な原因は、宗教にある!と言えます。

だから、宗教の正邪(せいじゃ)は、しっかりと見極(みきわ)めていかなければならない。

そして、宗教の正邪を徹底的(てっていてき)に見極(みきわ)め、真に正しく、人々を幸福にすることができる宗教を、見いだしたのが、日蓮大聖人であり、それが、日蓮大聖人の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

そして、人々を必ず幸せにすることのできる、日蓮大聖人の仏法を、一点の誤(あやま)りもなく理解し、純粋に実践(じっせん)している唯一(ゆいいつ)の団体と言えるのが、創価学会です。

創価学会の人たちは、日蓮大聖人の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)を、正しく実践しているがゆえに、幸せになっていけるんです。悩みを解決できるんです。夢や希望を、かなえていけるんです。

逆に、なぜ、悩みを解決でき、夢や希望をかなえて幸せになっていけるか?と言えば、それは、日蓮大聖人の仏法(ぶっぽう)を、正しく一点の曇(くも)りもなく 純粋に実践しているからです。

そうでなかったら、悩みも解決しないし、幸せにもなっていけないでしょう。

本当は、その点を、まったく考えず、安易(あんい)に、宗教は、みんな良いものだから、なんでもやれば、幸せになれるんだと言ってること自体(じたい)が、人々を不幸にする元凶(げんきょう)だと言えます・・。

他の宗教で、貧乏を克服(こくふく)できたとか、病気を克服(こくふく)できたとか、現実に悩みが解決したとか、夢や希望をかなえていくことができた!と胸を張(は)って言い切っているのを聞いたことが、あるでしょうか?

ないでしょう・・・。

なにか、神秘的(しんぴてき)なできごとがあったとか言って、せいぜい、その宗教に力があるようなことを言いそやすのが、やっとだと思います。

また、その宗教によって、さまざまな困難を克服(こくふく)し、境涯(きょうがい)を高め、人間革命できたなどという話しを、聞いたことがあるでしょうか・・?

ありません・・!

当然です。それらの宗教には、そんな力はないからです。間違った宗教であるがゆえに、真剣にやればやるほど、不幸になるだけだからです。

人間革命ができた!境涯革命(きょうがいかくめい)ができた!と胸を張り、喜々(きき)として語っていけるのは、創価学会だけです。世界の宗教研究家も、 そのことに気づき、創価学会に大きな尊敬と期待、賞賛(しょうさん)を贈っています。
だから、世界の有識者たちは、創価学会に注目し、最大のエールを贈(おく)っているんです。

宗教は、なんでも良いものだと考えるのは、間違えです。間違った宗教をやれば、必ず不幸になります。

かといって、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を、バカにするのも間違えです。
真実の宗教とは、人間を幸福にするものだからです。人間の悩みや問題を解決し、夢や希望をかなえる大きな力(ちから)となっていくものです。そうでなかったら、何の意味もありません。

現実に直面(ちょくめん)した一つ一つの悩みや問題を、ことごとく解決していける宗教。夢や希望をかなえるための大きな希望とエネルギーになる宗教。そして、自身の境涯(きょうがい)を変え、人間革命して、やがては、地域や社会、世界をも幸せに変えていくことのできる宗教・・・。

それが、平和と幸せの源泉(げんせん)のような、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


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希望列車213

2011-08-08 16:52:42 | 日記
ノーベル平和賞受賞者のエキスベル博士が、言ってくださったそうです。

『創価(創価学会)の青年たちがいる限(かぎ)り、未来は明るい。
さらに素晴らしい日本を、希望に満(み)ちた世界を、必ずや築(きず)き上げてくれると確信してやみません。』

エキスベル博士にかぎらず、世界の有識者たちの創価学会に対する評価は、あまりにも高い。
また、創価学会の青年に対する期待と評価も、あまりにも大きい。

それは、なぜなのだろう?

少し、そのことについて、考えてみたいと思います。

なぜ、創価学会の青年たちの評価が、これほど高いのか・・。

他の青年たちと、いったい、何が違(ちが)うというのだろうか・・。

それは、まず、生きることに対する「芯(しん)」が、抜(ぬ)きん出て、しっかりしているということでは、ないだろうか・・。

平和に対する考え方、世界と社会に対する姿勢(しせい)。自分も周(まわ)りの人々も幸福にしていこうとする真っ直(まっす)ぐな姿勢とエネルギー、情熱(じょうねつ)、パワー、輝(かがや)きが、抜(ぬ)きん出て素晴らしいということでは、ないだろうか・・。

この混沌(こんとん)とした先が見えないような乱(みだ)れた世界の中で、世相(せそう)や状況に左右されない幸福と平和のまっすぐな哲学(てつがく)を持っている。

そして、驚(おどろ)くことに、その幸福の哲学(てつがく)を、それぞれが自分の立場で、自分らしく現実に実践(じっせん)している。

このことに、世界の有識者たちは、驚(おどろ)きを感じ、大きな期待と尊敬を感じている。今までの歴史の中で、だれも成(な)しえなかったような、人間そのものの変革(へんかく)!、人間そのものをより良く向上させていくということを、今、生きている、あらゆる人間の中で可能にしている!

その現実の結果と輝きに、世界中の人々が驚き、その青年たちを見て、人類の未来に大きな希望を、いだいている。

その未来を開く哲学性(てつがくせい)と、現実性と、行動力に、世界の識者たちは、感嘆(かんたん)し、創価学会の青年を高く評価している。

では、なぜ、創価学会の青年に、それだけの平和と幸福を開く哲学性と行動力があるのか?というと、それは、まず、人生における決して崩(くず)れない『師匠(ししょう)』がいるからです。

平和と幸福を開く最高の行動者である「池田先生(創価学会インターナショナル会長)」という『師匠』を持っているから、創価学会の青年には、最高の哲学と行動力が、生まれる。

師匠がいる!ということほど、スゴイことは、ないんです!!

しかも、その師匠(ししょう)が、自分の幸福にとっても、世界の平和と幸福にとっても、最高の師匠であった場合、それは、師匠への思いが強ければ強いほど、自分自身を、平和と幸福に向(む)け、また人生をより良く、大きな希望を持って進んでいける。

それを現実に可能にするだけの希有(けう)の師匠である池田先生という手本がいるから、創価学会の青年は、さまざまな試練(しれん)や困難な環境(かんきょう)を乗り越(こ)えて、真っ直ぐに、平和と幸せに向かって進んでいける。

そして、もうひとつ、重要なことは、創価学会の青年たちが、皆(みな)、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰を持っているということです。また、必ず幸福に向かわせるスーパーコンピューターのような、『ご本尊(ほんぞん)』への信仰を持っているということです。
(※ちなみに、ご本尊とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることを、あらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。)

その南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰、ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえゆく信仰は、青年たちの生命を躍動(やくどう)させ、 歓喜(かんき)させ、本来の自分の輝(かがや)きを復活(ふっかつ)させる。そしてそれは、現実の未来を切り開く希望と勇気の大きなエネルギーと なっていく。

人間というものは、げんきんなものです。この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を実践(じっせん)した結果として、悩みが解決した!夢や希望が、かなった!思いもかけない大きな幸せをつかむことが、できた!という現実の結果が現(あらわ)れた時、喜々(きき)として喜び、感動し、そして、この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を、信じることができる。

その現実の結果があらわれるから、青年たちは、自信を持ち、この仏法を信じ、さらに喜んで、上へ上へと挑戦していくことができる。

それは、自(みずか)らの生命の輝きとなり、躍動(やくどう)となり、自信となり勇気となっていく。そして、その歓喜した生命の確信は、世界を平和へ幸福へと突(つ)き動かす揺(ゆ)るぎない哲学(てつがく)と人生観、そして行動力となっていく。

青年が自信を持ち、自在(じざい)に行動していった時のエネルギーは、スゴイ!!

創価学会の青年には、そのエネルギーが漲(みなぎ)っているから、世界から高い評価を受けているのではないだろうか。

幸せのエネルギー
勇気のエネルギー
希望のエネルギー
平和のエネルギー
挑戦のエネルギー

その幸福と正義に向かう幸福のエネルギーが、青年に限らず、溢(あふ)れているから、創価学会は世界から高い評価と期待、尊敬を 集めているのではないかと思います。

そして、幸福と正義に向かう最高最大のエネルギーであり、唯一(ゆいいつ)の法則(ほうそく)ともいえるのが、現実に悩みや問題を解決でき、未来を切り開いていける、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・。


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希望列車212

2011-08-03 19:46:00 | 日記
日蓮大聖人が、有名な『立正安国論(りっしょうあんこくろん)』を書き起こした当時、その立正安国論にも、

『旅客(りょきゃく)来(き)たりて嘆(なげ)いて曰(いわ)く。近年より近日に至(いた)るまで天変地夭(てんぺんちよう)・飢饉疫癘(ききんえきれい)・あまねく天下に満(み)ち地上にはびこる。』

とありますが、絶(た)え間なく災害が打ち続き、当時の指導層(しどうそう)には、まったく為(な)す術(すべ)もなかった。社会には、苦悶(くもん)と怒り、嘆(なげ)きの哀音(あいおん)が満(み)ちていた。生きる希望も持てない。

時の為政者(いせいしゃ)たちが帰依(きえ)していた既存(きそん)の宗教は「鎮護国家(ちんごこっか)」を標榜(ひょうぼう)してはいた。しかし、いったい何を護(まも)るというのか。その内実(ないじつ)は、権力者たちの保身(ほしん)であり、わが身の安泰(あんたい)に過(す)ぎなかった。

そこには、国土全体を栄(さか)えさせゆく哲学(てつがく)も理念(りねん)もなければ、民衆に尽(つ)くしていこうとする慈愛(じあい)も責任感もなかった。

それゆえに、あきらめと絶望の闇(やみ)が、人びとの心を重く暗く覆(おお)っていた。

その闇(やみ)を鮮烈(せんれつ)に切り裂(さ)く、勇気と希望の師子吼(ししく)こそ、日蓮大聖人の『立正安国論』だったそうです。

通常、「口」の中に「玉」が入って「くに」と読ませている。
すなわち、国の中心は「王」なのだというのか、国という文字になります。

ところが、日蓮大聖人の『立正安国論』の中では、国の中心は「民(たみ)」だとの深い認識(にんしき)から、「国」という文字を、「口」の中に「玉」ではなく、「口」の中に「民」と書いて、「口」+「民」で「くに」と読ませています。

王がいて「くに」があるのではない。民衆がいてこそ「くに」もある!

『立正安国(りっしょうあんこく)』といっても、安(やす)んずるべき『国』とは、あくまで民衆が暮(く)らす社会であり、民衆が生(せい)を営(いとな)む国土です。

護(まも)るべきは、民衆なのだ!との烈々(れつれつ)なる叫(さけ)びが『立正安国論』の中には、刻(きざ)まれている。

それが、日蓮大聖人の思想であり、重要なことは、その日蓮大聖人の仏法(ぶっぽう)には、当時の為政者(いせいしゃ)や既存(きそん)の宗教に、哲学(てつがく)や理念(りねん)、民衆に尽(つ)くそうとする慈愛(じあい)も責任感もなかったのとは反対に、国土全体を栄(さか)えさせる哲学(てつがく)と理念(りねん)があり、そして民衆を現実の上で真実に幸せにする力(ちから)がある!ということです。

悩みや絶望、暗く混沌(こんとん)とした世の中の闇(やみ)を切り裂(さ)く、鮮烈(せんれつ)な力と希望、エネルギーがある!ということです。

その日蓮大聖人の、人々の悩みを現実に解決し、未来を切り開く、大きな大きな力ある宗教が、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。

ゆえに、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、最高の希望となり最高の勇気となり、また最高の知恵となって、未来を切り開き、どんな困難(こんなん)な状況であろうとも、世界中の人々を、幸せにしてきている。

それが、創価学会が世界192カ国に広がっている理由です。

現実を打開(だかい)できる宗教。
未来を大きく切り開いていける宗教。
悩みを解決していける宗教。
苦悩渦巻(うずま)く世界を、幸せに変革していける宗教。
夢や希望を、かなえていける大きな大きな力(ちから)となる宗教。

そして、なによりも、一人の人間を、必ず、確実に幸せにしていける宗教。

それが、日蓮大聖人の仏法(ぶっぽう)であり、創価学会が実践する、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰です。

だから、創価学会には、世界中に若者が集まり、その人たちの大きな希望と勇気となっている。そして、その若者たちの大きな変化を見て感激(かんげき)し、創価学会に入る親たちも多いそうです。

混沌(こんとん)とした時代の中で、求められているもの・・・。

それは、真実の希望であり、嘘(うそ)のない現実を切り開く力(ちから)です。現実に自分が輝(かがや)き、苦難に生き生きと立ち向かっていける生命の力(ちから)です。

その真実のエネルギーと哲学(てつがく)が、日蓮大聖人の仏法(ぶっぽう)、すなわち、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法にはあるのでしょう。

だから、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、絶望の闇(やみ)を切り裂(さ)き、重く暗く覆(おお)われた心を打ち破ることができる。そして、真実の希望と幸せを、もたらすことができる。

それが、時代が、人間が、幸せと希望のために本当の意味で求めている、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・。


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