希望列車で行こう!

勇気は幸福の乗車券、希望列車に、飛び乗ろう。

希望列車199

2011-05-30 03:02:44 | 日記
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『仏教(ぶっきょう)は、本来(ほんらい)、革命の宗教なのであります。釈尊(しゃくそん/ブッダ/釈迦[しゃか])が仏教を興(おこ)したのも、権威主義(けんいしゅぎ)に堕(だ)し、悩める民衆を忘れたバラモン教に対して、宗教を人間の手に取り戻(もど)すためであったことは、周知(しゅうち)の事実であります。

「宗教のための人間」から「人間のための宗教」への大転換点(だいてんかんてん)が、実は仏教の発祥(はっしょう)でありました。

仏教は、まさしく、民衆蘇生(そせい)のための革命のなかから生まれたと言っても、過言(かごん)ではないのであります。』


仏教は本来、革命の宗教!

けれど、現在、世の中の仏教に革命の息吹(いぶき)など、ありはしない。
単なる愛嬌(あいきょう)や儀式(ぎしき)、観光の道具でしかない。

ようするに、釈尊(しゃくそん)の時代の、権威主義(けんいしゅぎ)に堕(だ)したバラモン教と同じです。

まだ、単なる愛嬌(あいきょう)で済(す)めば良いのですが、それらの葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、また神社信仰にしても、それらは、明らかに間違った宗教であるがゆえに、民衆を救うどころか、真剣に祈れば祈るほど、人々を不幸にしてしまう。

間違った宗教であるがゆえに、祈るという行為が、人々を不幸にする、また不幸を引(ひ)き起こす原因になってしまうということです。

ようするに、釈尊が権威主義に堕(だ)したバラモン教から、民衆を救うために興(おこ)ってきた仏教が、逆に釈尊の時代のバラモン教のように、人々を苦しめ不幸にする原因になってしまっている!ということです。

もし、この現代という時代を、釈尊(しゃくそん)が見たならば、即座(そくざ)に日本の葬式仏教、観光宗教を批判(ひはん)し、人々の悩みを解決し、幸せにしていく、真実の仏教を広めようとするでしょう。

それは、当然の道理(どうり)です。

そして、釈尊の時代に、釈尊が目指(めざ)していた人々の悩みを解決し救っていける仏法(ぶっぽう)が、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです。

そして、その創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、池田先生が言うように、『革命の宗教』なんです。

わかると思うけれど、革命の宗教とは、別に血(ち)なまぐさいことではない。

自身の悩みを、解決していく。
夢に向かって、自分自身を変革していく。
境涯(きょうがい)を変革し、自分の家庭、職場、地域をより良く変革していく。
幸せをつかんでいける強い自分に変革していく。
人のことを思いやることのできる心やさしい自分に変革していく。
病気がちな自分を、健康に変革していく。

それらの人生や自分の生命における変革(へんかく)を、現実的に、確実に成(な)し遂(と)げていけるのが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰なんです。

いわば、世間の葬式仏教や観光宗教、あるいは神社信仰などとは、正反対の位置にあるのが、創価学会の仏法(ぶっぽう)なんです。
だから、世間的なそれらの宗教から見れば、創価学会は理解しがたいし、気持ち的に、嫌(きら)う場合もあるでしょう。
なぜなら、そんな正しいことを、やられてしまえば、自分たちの立場がないし、はっきり言えば商売あがったりだからです。

けれど、それらの葬式仏教や観光宗教、神社信仰は、間違った宗教であり、はっきり言えば人々を不幸にする宗教です。
ひとびとを不幸にするとわかっていて、それらをほめ讃(たた)えることなど、できるわけがありません。

いわば、釈尊の時代に民衆の救済を忘れて権威主義に堕(だ)したバラモン教に対抗し、人々を救い幸せにしていける真実の宗教を、釈尊が広めたように、それとまったく同じように、真実に人々を幸せにしていける仏法(ぶっぽう)を広めているのが、創価学会なんです。

ゆえに、創価学会は、あきらかに正しいことをやっているのであり、その結果、本当に人々の悩みや問題を解決し、夢や希望をかなえる大きな力(ちから)となって、人々を幸せにしてきました。

だから、創価学会には若者が集まり、世界192カ国に広がっている。

それが、儀式や権威(けんい)のための宗教ではなくて、ほんとうに悩みを解決し、夢や希望をかなえる力(ちから)となる、『人間のための宗教』である、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


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希望列車198

2011-05-23 18:41:11 | 日記
ある創価学会の婦人が、言っていた。

『題目(南無妙法蓮華経のこと)を、あげる(となえる)ことが、いちばん、栄養(えいよう)になる・・!』

創価学会でない人が聞いたら、いまいち、ピンとこないし、そんなことあるか!と思うかもしれない。

『南無妙法蓮華経を、となえる』ことが、なんで栄養になるんだ?と思うかもしれない。

けれど、これは確かに核心(かくしん)をついているし、本当のことだと思う。

わかると思うけれど、南無妙法蓮華経を、となえれば、食事をとらなくてよいとか、そういうことではない。

南無妙法蓮華経をとなえることが、栄養になるということは、肉体的に栄養を与(あた)えるというのではなく、あらゆる方面にわたる『栄養』ということです。

幸せなるための栄養。
健康になるための栄養。
悩みを解決するための栄養。
夢や希望を、かなえていくための栄養。
世界を平和にしていくための栄養。
前へ前へ、希望に向かっていくための栄養。
人生を勝利するための栄養。

それらすべてにわたって、栄養になっていくのが、『南無妙法蓮華経を、となえる』ということなんです。

幸せといっても、さまざまな分野があり、さまざまなものが合(あ)い重(かさ)なって、幸せが形成される。

それらすべてにわたって、生命自体を蘇生(そせい)させ、幸せにしていくエネルギー。

それが、『南無妙法蓮華経を、となえる』ということなんです。

『南無妙法蓮華経を、となえることが、一番栄養になる』というと、一見(いっけん)、浅(あさ)はかに感じるかもしれない。

けれど、これは真実であり、これほどスゴイことは、ないんです。

『南無妙法蓮華経をとなえる』ことが一番の栄養だと、わかっているということは、実はスゴイことなんです!

自分の人生と体験によって、『南無妙法蓮華経を、となえる』ことの素晴らしさを自分の生命でわかっているから、こういうことが言えるんです!!

それを、だれでも、難(むずか)しい知識などなくても、わかってしまうところに、創価学会のすごさもあり、創価学会が実践(じっせん)する南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)のすごさ、素晴らしさもあります。

ようするに、自分で南無妙法蓮華経を、となえることによって、自分の生命で、自分の体験で、南無妙法蓮華経の素晴らしさ、すごさを、わかってしまうんです。

自分の人生において、南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、悩みが解決したり、夢や希望を、かなえていけたり、病気などを克服(こくふく)して健康になっていけたりして、実際に自分が幸せになっていくんです。

だから、確信(かくしん)できるんです!!

南無妙法蓮華経の素晴らしさを。

だから、人生においても、幸福についても、自分の夢や希望においても、悩みの解決にも、また健康においてさえ、言うことができる!!

『題目(南無妙法蓮華経のこと)を、あげる(となえる)ことが、 いちばん、栄養(えいよう)になる・・!』

・・・と!


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希望列車197

2011-05-18 13:49:21 | 日記
ヘミングウェイの名作『老人と海』の中の一節(いっせつ)に、こうあります。

『人間は負けるように造(つく)られてはいないんだ。』


確かにそうだと思う。

人間は、負けるようには造(つく)られていない・・!

けれど、世間を見ると、人生に破(やぶ)れ、敗北していってしまう人たちもいる。
そのために、命を捨ててしまう場合もある。

なぜだろう・・?

それは、やはり、何かが狂(くる)っているからだと思う。

本来、人間は、負けるようには造(つく)られていない!
けれど、自分の生命に、なにかの狂い、歪(ひず)みが生(しょう)じ、さまざまな敗北、不幸が生まれてしまう。

その生命の中の狂い、歪(ひず)みが、いったい、どこから生まれてくるのか?といえば、実は、それは、間違った宗教や思想によって、起こってくる!!

人は、宗教には無頓着(むとんちゃく)だし、宗教など関係ないと言う・・。

けれど、本当は、生命に起こってくる狂い、歪(ひず)み、そしてそこから、もたらされる『不幸』は、間違った宗教、間違った思想から、もたらされる・・!!

人は、そのことには、まったく気づかない・・・。

日本にはびこる葬式仏教(そうしきぶっきょう)にしろ観光宗教にしろ、神社信仰にしても、それらは、明らかに間違った宗教です。

正月になると、観光気分で、神社や仏閣(ぶっかく)に行きますが、気持ちは、わからないでもないですが、そんなところにいっても、なんの足(た)しにもなりません。さっきも言ったように、それらの葬式仏教にしろ観光宗教にしろ、神社信仰にしても、明らかに間違った宗教です。間違った宗教であるがゆえに、どんなに真剣に祈ったとしても、間違っているがゆえに逆に、幸せになるどころか、さまざまな形で不幸が、もたらされてしまいます。

それが、日本の葬式仏教であり観光宗教であり、神社信仰です。

不幸の根源(こんげん)には、必ず、間違った宗教があるんです・・。

その間違った宗教が、さまざまな形で、自分の生命に悪影響を及(およ)ぼし、生命の狂い、歪(ひず)みを生じ、本来、人間は負けるようには造られていないのに、さまざまな敗北、不幸を生んでしまう。


本来、人間は、負けるようには造られてはいない・・。

人間が本来、持っているエネルギーは、すごいんだと思う。

無限の可能性、無限の力・・。

だから、その人間が本来持っている無限の力、無限の可能性を引き出し、開花させることが求められる。

その・・本来、人間が持っている無限の可能性、無限の力を引き出し開花させていける決定的方法が、実は、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

・・・
さきほど、間違った宗教が、人に不幸をもたらすと言いましたが、だとしたら、逆に、正しき宗教は、人間に幸せを、もたらすはずです。また、それが本来の正しき宗教です。

人間の持っている本来の力(ちから)を引き出す。

人間は、本来、負けるようには造られてはいない。

その人間の中にある力(ちから)を、無限に引き出し、開花せさ、幸せを勝ち取っていける方法が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

南無妙法蓮華経とは、人間が本来持っている蘇生(そせい)の力(ちから)なんです。

究極(きゅうきょく)の勝利の力(ちから)、究極の蘇生(そせい)の力が、『南無妙法蓮華経』なんです。

だから、南無妙法蓮華経を、となえていった時、自分の中から、勝利の力、蘇生の力、希望の力が、わき上がり、決して負けないで幸せを勝ち取っていける。

それが、『南無妙法蓮華経を、となえる』ということなんです。

ゆえに、創価学会の人たちは、さまざまな悩みや問題を乗り越(こ)えて、希望と勇気と蘇生(そせい)の力によって、夢や希望をかなえ、幸せになっていけるんです。だから、創価学会は、世界192カ国に広がっている。


ヘミングウェイが言うように、『人間は、負けるように造(つく)られていない!』

そして、負けるように造られていない人間の力(ちから)を、無限に引き出し開花させ、幸せを勝ち取っていけるのが、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです・・・!


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希望列車196

2011-05-13 16:20:04 | 日記
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が言っています。

『人間革命(にんげんかくめい)によって、変わらぬ世界はない!』

・・人間革命によって変わらぬ世界はない・・・。

これほどの希望があるだろうか・・!

人は、さまざまな悩みを抱(いだ)き、苦しみ、人生に壁(かべ)を感じる場合がある。

そして、その悩みや苦しみが変えられないから、あきらめたり絶望(ぜつぼう)したりしてしまい、また、死を選んでしまう場合もある・・。

けれど、もし本当に変われるとしたら、絶望やあきらめは消え去(さ)り、希望と未来が見えてくる。

池田先生は、言っている。

『人間革命によって、変わらぬ世界はない!』

問題は、はたして、その人間革命ができるか、どうか?ということです。

本当に、人間革命ができる方法があるのか?ということです。

その『人間革命』が、だれでも、確実に、本当にできる方法が、創価学会が実践(じっせん)している南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

自分の生命を、本当の意味で変えていける方法は、これしかありません!!!

宿命(しゅくめい)を変え、境涯(きょうがい)を変え、人生を、自分を、本当に変えていけるのは、この創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰だけです・・!

だから、創価学会は、世界に広がっているんです!!

世界中の人たちの悩みを解決し、希望をもたらし、人生と自分を変革しながら、幸せになっていける!

だから、創価学会は、世界中の人たちに認(みと)められ、歓喜(かんき)と幸せの和(わ)を、広げているんです。

南無妙法蓮華経を、となえゆくことによって、自分の生命を蘇生(そせい)させ、生命力をわき上がらせながら、日々を新しい気持ちで出発して挑戦していける。

それが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰なんです。

そして、南無妙法蓮華経を、となえることは、自分の中のあらゆる悩みや苦しみ、自分の宿命を打ち破っていくことにつながり、境涯(きょうがい)を高め、やがて夢や希望も、かなえていけるようになっていく。

ゆえに、池田先生が言うように、
『人間革命によって、変わらぬ世界はない!!』

そして、その『人間革命』によって、現実に、世界を、ひとりひとりの人間を、変革し、幸せにしてきたのが、創価学会なんです・・・!


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希望列車195

2011-05-06 14:52:23 | 日記
脳科学者の茂木健一朗氏が、

『自分のために使うエネルギーには、かぎりがある。けれど、他人のために使うエネルギーには限界(げんかい)がない。
だから、人のためにエネルギーを使おうとしたとき、人間の脳やその人の能力が大きく開花していく可能性がある。』

というような話しを、していました。

仏法(ぶっぽう)では、創価学会では、よく『境涯(きょうがい)』という言葉を使う。

境涯(きょうがい)とは、その人の器(うつわ)・・。

たとえば、小さな入れ物には、少しのものしか入らない。
けれど、大きな入れ物には、たくさんのものが入り、大きければ大きいほど、多くのものを受け入れることができる。

それが、その人の器(うつわ)なんだと思う。

茂木氏がいうように、自分のために使うエネルギーには限界がある。器(うつわ)で言えば、少しものしか入らない。

けれど、他人のために使うエネルギーには限界はない。他人は無限にいるし、その人たちのためにエネルギーを使おうとした時、人間の脳は、より多くのエネルギーを使おうとして、さまざまな可能性が開花してくる。

それが、人間の脳なのかもしれない・・・。

だから、『器(うさわ)』が大きいほど、幸せになれる。
入れ物が大きいので、入ってくる幸せも、大きいということです。

『器(うつわ)』が小さいと、ちょっとしか幸せが、入ってこない。
だから、幸せも小さい・・。

だから、器(うつわ)を大きくしていくことが、大切になってくる。
『境涯』を大きくすることが、大切になってくる。

けれど、この『境涯』というのは、そんじょそこらのことでは、変えられない。

だから人は、さまざまなことで悩み、不幸になってしまう場合もある。

この『境涯』を変えることができたなら、幸せは大きく広がってくるし、多くの幸せをもたらすことになる。

だから、本当は、この『境涯を大きくする方法』が、どうしても求められる。

その『境涯を大きくする』確実で決定的な方法が、実は、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

本質的に、境涯を大きくする方法は、これしかないんです・・・!

人間の生命を根源(こんげん)から変革し、境涯を大きくしていく方法は、この創価学会が実践する、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰しかないんです。

だから、創価学会の人たちは、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰によって、さまざまな悩み、困難がありながら、それらを乗り越(こ)え、幸せになっていけるんです。

『南無妙法蓮華経を、となえる』ことは、自分の生命を、境涯を、変革する作業なんです。
そして、仏法の実践活動である、創価学会の活動をやっていくことによって、自分の境涯は、大きく変革され、さまざなな悩みを解決でき、夢や希望をかなえて、幸せになっていけるんてす。

だから、実際、創価学会は、すごいことを、やっているんです!!

世界の有能な識者たちは、そのことを認識(にんしき)しているから、創価学会を最大に絶賛(ぜっさん)し、期待と希望を、いだいているんです。

それが、自分のためだけでなく、人のために生き、境涯を大きく開いていく最高最大の方法と言える、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!


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