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希望列車で行こう!

勇気は幸福の乗車券、希望列車に、飛び乗ろう。

希望列車315

2014-06-15 20:55:29 | 日記

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『人は花に学ばなければ・・・。

花はいつも一生懸命(いっしょうけんめい)だからだ。投げやりに咲いている花はない。いやいや生きている花はない。途中(とちゅう)で、へこたれる花はない。笑うことを忘れた花はない。過去にとらわれたり、人のあらを探(さが)したりしている花はない。』


花は、だから、きれいなのかもしれない。
なにものでもない、自分自身を咲かせることに、なんの躊躇(ちゅうちょ)もなく全力で立ち向かっていく。

その健気(けなげ)な姿に人は、打たれるのかもしれない。

創価学会(そうかがっかい)二代会長の戸田城聖先生が、仏法(ぶっぽう)の真髄(しんずい)は、『自分自身に生ききることだ!』と言っていた。

あの人がこう、この人がどうではない。自分が自分自身に生ききるかどうか・・・。

簡単なことのようで、これがなかなかできないのも、現実だと思う。

そして、ああだ、こうだ文句(もんく)を言う。愚痴(ぐち)を言う。そして、世の中を恨(うら)んでしまう・・。

何かかが間違(まちが)っているんだと思う。幸せというものの本質(ほんしつ)が見えなくなっているのかもしれない・・。

何かが狂(くる)っている。人間の生命になにかの間違った思想や考えがこびりつき、花のように、健気(けなげ)に生きられなくしている。

仏法(ぶっぽう)では、これを『宿業(しゅくごう)』という。

『宿業(しゅくごう)』とは、自分の生命に、深く宿(やど)ってしまっている、その人を苦しめている根本原因(こんぽんげんいん)のようなもので、避(さ)けたくても避けることのできない苦しみや悲しみ、自分はどうして、こういう自分に生まれてしまったのか?というような、辛(つら)い境遇(きょうぐう)や環境、なんで自分がと思うような過酷(かこく)な病気や事故など、その人がもって生まれた、どうしようもないような運命などをいいます。

その『宿業(しゅくごう)』が、人を苦しめ、狂わせ、花のように真っ直(まっす)ぐに生きることを、妨(さまた)げている。
そして、その人を不幸にしている。

不幸の根源(こんげん)には、『宿業(しゅくごう)』がある!と言えるかもしれない。

そして、その『宿業』がどこから起ってくるかと言えば、それは、間違った思想(しそう)、間違った宗教から起ってくる。

人は、自分の悩みや不幸について、その原因(げんいん)にたどり着くことはないけれど、人間の不幸は、間違った宗教によって、起こる!!と言えます。

自分は、宗教なんかには、かかわっていないと、言うかもしれない。

けれど、自分の先祖(せんぞ)をたどっていけば、なにかしらの宗教をやっているし、世の中は、間違ったデタラメの宗教だらけなので、日々、その間違った宗教に触(ふ)れていると、言えます。

正月といえば、初詣(はつもうで)だといって、さまざまな神社やお寺に行くし、観光でもさまざまな神社、仏閣(ぶっかく)に祈りをささげる。また、葬式(そうしき)となれば、ほとんど、それらの葬式仏教などに祈りをささげる。

そして、それらの葬式仏教にしても、神社信仰にしても、観光宗教にしても、デタラメな間違った、人を不幸にしてしまう宗教です。それらに、良いことだと思って、祈りをささげる。

それらの、間違ったもの、デタラメなものに祈りをささげるということは、自分の生命に、間違ったもの、デタラメなものを投影(とうえい)することになり、間違ったもの、デタラメなものが、自分の生命に植(う)え付けられることになっていく。その植え付けられた間違った宗教、デタラメな宗教は、自分の生命に、さまざまな不幸なる宿業(しゅくごう)として植え付けられ、その宿業が、時ととともに噴出(ふんしゅつ)して、その人を苦しめることになる。

また、過去世(かこせ/過去に生きていた時代)に、間違った、人を不幸にする宗教にかかわってしまったために、さまざまな不幸なる宿命(しゅくめい)を持って、生まれてきたとも言えます。


人間は、花のように、生きるべきだと、思います。

けれど、それをできなくしているのが、『宿業』だと言えます。

そして、その宿業を打ち破(やぶ)る、決定的で唯一(ゆいいつ)の方法と言えるのが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰です。

南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、となえることは、自分の中から、花のように生きる力を復活(ふっかつ)させる。

花のように生きようとする生命力が復活し、その人を、真っ直(まっす)ぐに生きさせる。

太陽が昇(のぼ)れば、草木についた、つゆや水滴(すいてき)は、あっという間に消えてしまうように、南無妙法蓮華経をとなえることによって、花のように真っ直ぐに生きることを妨(さまた)げる宿業が、打ち破られ、幸せに向かって、希望にむかって、生きていけるようになっていく。

南無妙法蓮華経には、宿業を打ち破る大きな大きな力(ちから)がある!ということです。

南無妙法蓮華経を真剣にとなえ、仏法(ぶっぽう)の実践活動である創価学会の活動をやっていくことによって、自身の宿命が転換(てんかん)され、悩みや困難(こんなん)を乗り越(こ)え、夢や希望をかなえて、幸せを勝ち取っていくことが、できるようになっていく。

それは、美しい花のように・・・。

『南無妙法蓮華経は蘇生(そせい)の義(ぎ)なり』というけれど、南無妙法蓮華経をとなえると、自分の生命が蘇生(そせい)していく。

真剣に南無妙法蓮華経をとなえることによって、自分の中から生命力が湧(わ)き上がり、勇気が出てきて、元気と希望がでできて、その人の生命は、文字通り、蘇生(そせい)していく。

その生命の力は、自分の人生と未来を、花のように、真っ直ぐに生きていくエネルギーとなって、その人を動かす。

やがて、種(たね)から花が咲くように、その人の人生に、勝利と幸せの花が咲いていく。


人は、花のように、生きるべきだ・・!

そして、それを可能にする、希望と勇気とどんな困難(こんなん)も打ち破る無限(むげん)の力が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だと、いうことです。

 


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希望列車314

2014-05-25 22:53:59 | 日記
人類が直面(ちょくめん)する地球規模(きぼ)の問題群(もんだいぐん)を研究し、危機回避(ききかいひ)への提言(ていげん)を発(はっ)する国際的な有識者組織「ローマクラブ」の創設者である、アウレリオ・ペッチェイ博士が、言っています。

『人類は、これまでに産業革命、科学革命、テクノロジー革命と「3つの革命(かくめい)」を経験してきました。これらは、どれも「人間の外側の革命」でした。

・・・技術(ぎじゅつ)は進歩しても、文化的には化石(かせき)のように進歩が止まっている。そのギャップを埋(う)めるために、必要なのは「人間精神のルネッサンス」です。「人間自身の革命」です。』


1975年、アウレリオ・ペッチェイ博士と池田SGI会長(創価学会インターナショナル会長)が会見(かいけん)した時、ペッチェィ博士は、言っています。

『私は、今まで、「人間性の革命」を唱(とな)え、行動してきました。しかし、それをさらに深く追求(ついきゅう)していくならば、究極(きゅうきょく)は「人間革命」に帰着(きちゃく)すると考えるようになりました。』

そして、ペッチェイ博士は、池田SGI会長に聞いている。

『人間性革命と人間革命の関係について、お聞かせください。』

池田SGI会長は、答えている。

『「人間性革命」の大前提(だいぜんてい)になるのが、人間性を形成(けいせい)する生命の変革であると思います。その生命の根源的(こんげんてき)な変革を、私たちは「人間革命」と呼んでおります。』

ペッチェイ博士は笑(え)みを浮かべて言った。

『私も今日から「人間革命」でいきます。』


創価学会の偉大(いだい)さは、ここにあると思う。

『人間革命』・・!

人間性の革命をさらに越えた『人間革命』・・・!!

それを、ペッチェイ博士のような優秀な人物でなくても、あらゆる、名もない民衆の中で、現実に可能(かのう)にしてきたのが、創価学会(そうかがっかい)だと思う。

昔は、創価学会は、貧乏人(びんぼうにん)と病人の集まりだと言われた。
ペッチェイ博士のような有識者とは、ほど遠い、あまり教養もないような無名の庶民たちだった。

その人たちが、人間革命して、貧乏人は裕福(ゆうふく)になり、病人は健康になっていった。そして、それぞれが、幸せを勝ち取っていった。

それは、確かに、人間性の革命などというもので、片付(かたづ)けられるような問題ではない・・!

貧乏の悩み、病気の悩み、あるいは家庭不和(かていふわ)などの家族や環境(かんきょう)の問題・・。
それらは確かに、人間性の改革などということで解決する問題ではなかった。

もっと根(ね)が深く、根源的(こんげんてき)な問題だった。

また、それは、今までも人類史の中で、だれも手の付けようもない問題だとも言える。

そのだれも手の付けようもない悩みや問題に踏(ふ)み込(こ)み、立ち向かい、解決してきたのが、創価学会です。

だから、世界は、創価学会に注目(ちゅうもく)するんです。

人間の幸せを突(つ)き詰(つ)めれば、突き詰めるほど、この『人間革命』に突き当(あ)たるということです。

それが、『人間革命』の意義(いぎ)です。

これほど重要(じゅうよう)なことはない。
これほど素晴らしいこともない。
これほどスゴイこともない。

それが、人間革命です。

その人間革命は、一人に留(とど)まることなく、一人が幸せに変わっていくことによって、やがてそれは、家族や地域、そして世界に広がり、世界を変え、世界を幸せに、平和にすることにつながっていく・・!

それを可能にしていく究極の原理(げんり)が人間革命だと言えます。

そして、それを可能にする法則であり、力でありエネルギーが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。

これしかない!と言えます。

ほんとうに人間革命していける方法は、これしかない!!!

この南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる、仏法の信仰しかない。

だから、創価学会の人たちは、幸せになっていける。
悩みを解決していける。
夢や希望を、つかんでいくことができる。
そして、勝利していける。


それが、ペッチェイ博士が望み求めた、人間革命を可能にする、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰です・・・!


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希望列車313

2014-04-06 21:44:42 | 日記
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『人生は宿命(しゅくめい)との戦いといえます。宿命に泣き、宿命に流されて、あきらめてしまう人も多い。しかし、信心(創価学会の信心)ある限(かぎ)り、打開(だかい)できない宿命はありません。

自動車は、エンジンを始動させなければ動かない。しかし、エンジンを回転させれば、右にも、左にも走っていける。同様(どうよう)に、信心のエンジンを回転させていけば、困難(こんなん)の坂(さか)を超(こ)え、過去世(かこせ[過去に生きていた時代])からの罪業(ざいごう)、宿命も転換(てんかん)し、自分が欲(ほっ)する人生の軌道(きどう)を、意気揚々(いきようよう)と進んでいけるんです。』


人は、だれでも、楽しく生きたいと思っている。おもしろおかしく生きたいと思っている。これが人間の本心(ほんしん)だと思う。だれも辛(つら)い人生、苦しい人生を生きたいとは思わない。

「楽しく生きたい!おもしろおかしく生きたい!」
そう思っているのに、そうもいかないことも多い・・・。

それは、人それぞれ、『宿命(しゅくめい)』を持っているからです。

この『宿命』を避(さ)けることが、できない!!!

どんなに、おもしろおかしく生きたいと思っていても、人それぞれ、さまざまな宿命が降(ふ)り掛(か)かってくる・・・。

ゆえに、楽しく生きたいと思っているのに、それができない現実が、のしかかってくる・・。

楽しく生きたいと思っているのに、それができない。時として宿命は、過酷(かこく)なまでに、その人を打ちのめす場合もある。

その現実のとのギャップのせいで、命を捨ててしまう人さえいる・・・。

ここに大きな問題がある。

それは、『宿命を乗り越えられない!』ということです。

だから、この『宿命』を乗り越える真実の方法を見いださないかぎりは、本当の幸せはない!!と言える。

その「宿命」を真(しん)に乗り越え、転換(てんかん)していける、唯一(ゆいいつ)の方法が、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。

この創価学会(そうかがっかい)の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰は、池田先生が言うように、自動車にエンジンをかけ、始動(しどう)させるように、どんな困難の坂(さか)も超え、宿命を転換(てんかん)して、自分の欲(ほっ)する人生の軌道(きどう)を進んでいけるんです。

すなわち、自分が欲する幸せ、夢や希望をつかんでいけるんです。

もちろん、たいへんなこともあるでしょう。苦しいこともあるでしょう。

けれど、創価学会の南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の仏法を実践していった場合、同じ苦しみ、困難であったとしても、生き方、考え方がまったく違(ちが)ってくる。
すなわち、この創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰によって、必ず乗り越えられるから、『希望』がある!

「よし!必ず乗り越えてみせる!!」
と前向きに勇気を持って挑戦していける。
そして、実際に乗り越えていくこてができる!

その生きることに対する充実感(じゅうじつかん)、歓喜(かんき)、希望が、創価学会の仏法の信仰を知らないのとでは、天国と地獄(じごく)くらい違ってくる。

そして、自身の宿命を乗り越え、転換(てんかん)して、幸せを勝ち取っていける。

それが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

素晴らしい車を手に入れると、快適(かいてき)な気持ちよいドライブができる。

それと同じように、創価学会の仏法の信仰を手に入れるということは、どんな宿命も乗り越え、人生を楽しく、おもしろく生きていけることになっていく。そして、最も大切な幸せをつかんでいける・・!


だれでも、楽しく生きたい・・。

だれでも、おもしろおかしく生きたい・・。

けれど、だれでも、それを阻(はば)もうとする宿命がある。
そして、それを乗り越えられない。

その宿命を乗り越える方法を知らなければ、本当の幸せは、ありえない・・。

そして、その宿命を、本当に乗り越えられる、宿命を転換して、より良い幸せをつかんでいける、唯一(ゆいいつ)にして真実の方法が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰だということです・・・!!


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希望列車312

2014-03-16 21:54:41 | 日記
最近は、あまり使わないかもしれないけれど、『哲学(てつがく)』という言葉がある。

『哲学(てつがく)』とは、辞書(じしょ)で調べると、世界・人生などの根本原理(こんぽんげんり)を追求(ついきゅう)する学問とあり、もう少し現実的に言うと、各人の経験に基(もと)づく人生観(じんせいかん)や世界観を言い、物事を統一的(とういつてき)に把握(はあく)する理念(りねん)だそうです。

たとえば、「仕事に対して哲学をもつ」とか、「人生の哲学」などのように使うことが多い。

わかりやすく言えば、たとえば、「おれは男だから、男らしく生きるんだ!」というのも哲学だと思う。

「私は、女性だから、女性らしい生き方をしたい。」というのも哲学だと思う。

ひとつの世界観や人生観から、ものごとを考え、行動して生きる・・・。
それが、哲学だと思う。

だから、根本的(こんぽんてき)には、意識(いしき)する、しないは別として、自分の信じる哲学に基(もと)づいて行動し、生きていると言えると思う。

逆(ぎゃく)に、その哲学がないと、人の生き方は、フラフラした、行き当(あ)たりばったりの人生になってしまうと言えます。

また、その自分の哲学が、浅(あさ)はかだと、自分の人生は、思うようにならない、すなわち、なかなか幸せにはなれない人生、生き方になってしまうと言えます。

また、もっと怖(こわ)いことに、自分がもっている哲学が、間違(まちが)っていたとしたら、その人は、間違った生き方、人生を歩(あゆ)むことになり、幸せとは正反対の人生、すなわち、不幸なる人生を歩(あゆ)むことになる。

だから、意識する、しないは別(べつ)として、人間にとって、人生にとって、『哲学(てつがく)』とは、重要(じゅうよう)な意味と結果を、ともなってしまうと、いうことです。

『哲学』とは、本当は、ものすごく重要なんです!

その哲学いかんによって、自分の生き方が決まり、人生が決まっていくと言えます。

もし、自分の人生は、うまくいっていない・・。自分の人生は不幸だと思っているのだったら、それは、自分の持っている『哲学(てつがく)』が間違(まちが)っていると、考えるべきでしょう。

そして、ほんとうに正しい哲学、ほんとうに幸せになっていける哲学を、求めるべきでしょう。


その、ほんとうに正しい哲学、ほんとうに幸せになっていける哲学。
悩みや問題を解決していけ、夢や希望を実現(じつげん)していける哲学が、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰だと言えます。

この創価学会(そうかがっかい)が実践する『南無妙法蓮華経の仏法』ほど優(すぐ)れた、素晴らしい哲学は、この世界に存在(そんざい)しません。

それが、創価学会の、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる、仏法です。

この、創価学会の仏法(ぶっぽう)の哲学は、どんな角度から見たとしても、非(ひ)の打(う)ち所(どころ)のない、完璧(かんぺき)な哲学です。

たとえば、宇宙的な規模(きぼ)で考えたとしても、あるいは、生命という次元(じげん)から考えたとしても、あるいは、幸福という観点(かんてん)から考えたとしても、正しい人生、最高の人生ということから考えたとしても、環境(かんきょう)や自然、平和という観点から考えたとしても、あるいは、悩みや問題の解決ということから考えたとしても、また、夢や希望の実現ということから考えたとしても、人生の充実感(じゅうじつかん)、喜び、人生にもたらす歓喜(かんき)から考えたとしても、すべてにおいて、完璧(かんぺき)で、無駄(むだ)が なく、あらゆるすべての現象(げんしょう)において、最高の結果、最高の満足をもたらすものが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の哲学です。

ゆえに、当然(とうぜん)、勝っていける!
幸せになっていける!
悩みを解決していける!
夢や希望をかなえていける!

それが、創価学会の仏法の哲学です。


さきほど、話したように、人生において、生きることにおいて、『哲学(てつがく)』は重要です。
人生を左右します。

そして、その哲学の中で、必ず勝っていける、必ず、幸せになっていける、絶対にして、唯一(ゆいいつ)の法則(ほうそく)と言える哲学が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・。


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希望列車311

2014-02-24 12:43:26 | 日記
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『私たちが信心(創価学会の信心)に励(はげ)むのは、人生のあらゆる試練(しれん)や苦難(くなん)に打ち勝って、幸せになるためです。それには、何ものにも負けない強さが必要です。では、強さとは何か・・・・。

よく、「人生の確かな目的をもった人は強い。信念(しんねん)のある人は強い。まことの友人をもった人は強い」と言われますが、その三つの条件は、すべて私たちに、創価学会のなかにそなわっています。』

池田先生が言っています。
「強さ」をもたらす三つの条件を、創価学会は、すべて、そなえている・・!

まず、「人生の確かな目的をもった人は強い」ですが、人々は、幸せになるために、一生懸命(いっしょうけんめい)、生きているとは思う。けれど、 人生の確かな目的をもっているか?と聞かれたならば、それを明確に答えられる人は少ないと思う。

「自分は何のために生きているのか」「自分の存在価値(そんざいかち)とは、何なのか」

その確固(かっこ)たる心棒(しんぼう)がないかぎり、人の生き方は、フワフワした根無し草(ねなしぐさ)のようになってしまう。世間のさまざまな流れや風潮(ふうちょう)に右往左往(うおうさおう)して、どこにいくかわからないような人生になってしまう。

そして、その答えを見つけられないまま、ほとんどの人が人生を終えてしまうというのが、現実だと思う。

ところが創価学会の人たちは、違(ちが)う!

創価学会の人たちは、明確(めいかく)に自分の存在価値を知っている。自分に生きる大いなる使命(しめい)があることを知っている。

それは、単(たん)なる理屈(りくつ)ではなくて、創価学会の、南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を、現実に実践(じっせん)することによって、自分が幸せに変わり、そのことによって家族や職場、地域や世界を現実に、より良く変えていく。

結果として、それは、世界を、平和に、幸福に、変革(へんかく)していくことになる。

自分には、自分も幸せになり、まわりの人々、ひいては世界の人々も幸福にしていく使命があり、それを自分のいる場所から、現実に可能(かのう)にしていくのが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰です。

その価値と歓喜(かんき)と可能性は、計(はか)り知れない。

何よりも、自分の存在に、太陽のような大きな価値(かち)と歓喜と幸せを味わっていける。
また、それが、そのまま、自分の悩みを解決したり、夢や希望をかなえることにつながり、人生を勝利していける。


次に、「信念(しんねん)のある人は強い。」ですが、確かに、信念は、その人を強くする。絶対に勝つ!絶対に幸せになる!絶対に何かを成し遂(と)げる!

その信念の中で、最も優(すぐ)れた信念、最も力ある信念、あらゆる困難(こんなん)を乗り越え、幸せを勝ち取っていける、また夢や希望をかなえていける、究極(きゅうきょく)の無敵(むてき)の信念が、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。

この信念を持った人は、強い!!絶対に負けない!!必ず勝っていける!

だれでも、それぞれ、信念はあると思う。けれど、それでも人生の勝敗は、分かれる。信念はあったとしても、本当に最後までその信念を貫(つらぬ)けるのか?また、どんな困難があったとしても最後まで貫けるような強い信念であるかは、疑問(ぎもん)が残る。そして、結局(けっきょく)、最も強い信念、最も強靭(きょうじん)な信念を持った人が勝つ。

そして、その最も強靭(きょうじん)な信念、絶対に負けない、必ず勝っていける信念が、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の信仰です。もう、なにものにも変えられない限(かぎ)りない力(ちから)と可能性と励ましを受けていけるのが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰です。


そして、最後の「まことの友人をもった人は強い」ですが、友人にも、いろいろあると思う。学校の友人、仕事の友人、趣味の友人、地域の友人、それらも素晴らしいと思うけれど、創価学会の友人は、『永遠の友人』だと思う。

創価学会の実践(じっせん)する仏法では、永遠の生命を説きます。一度かぎりの人生でなく、永遠の生命をつらぬく、絶対に崩(くず)れざる幸福を築(きず)くためにあるのが、南無妙法蓮華経の仏法です。その仏法における、共に絶対に崩れざる幸せを目指(めざ)す友人は、どこにいても、どんな時でも、最高の友人であり同志(どうし)となります。

共に、同じ、最高の幸せをめざす友人。

理屈(りつく)はともかく、どこにいても、どんな環境(かんきょう)でも、どんな苦難(くなん)の中にあったとしても、創価学会員の友がいるということほど、心強いことはないし、確かに、計り知れない温かさと、強さと、勇気と、希望と、大きな大きな励ましを、創価学会の友は、与(あた)えてくれる。

それは、確かに、まことの友人であり、真(しん)の友人と言える。



世の中には、いろいろなことを言う人がいる。いろいろな書物もあり、さまざまな観点(かんてん)からアドバイスしてくれる人も、いるかもしれない。

けれど、現実を見据(みす)えた時、自分の人生という現実の現象(げんしょう)をとらえていった時、結局(けっきょく)のところ、創価学会しかない!創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰しかない!と、いうことができます。

何を言ったとしても、世間で何を言っているとしても、あるいは、小手先(こてさき)で、いろいろとやっていったとしても、どうしても、創価学会の仏法(ぶっぽう)の信仰に、たどりつく。ほんとうに、宿命(しゅくめい)を変え、悩みを解決し、夢や希望をつかんでいく道は、この創価学会の道しかない・・・!

それが、結論(けつろん)であり、逆(ぎゃく)に、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の信仰を根本(こんぽん)に、人生に挑戦していった時、あらゆるものが生かされていく。さまざまなアドバイスを有効(ゆうこう)に生かしていくことができ、さまざまな情報から、自分が本当に幸せになっていけるヒントを見つけ、つかんでいけるようになっていく。

また、創価学会の信心を根本としていった時、自分にかかわる、さまざなな人々が、なぜだか、自分を守り、助ける存在(そんざい)となっていく。

すべての人を生かし、輝(かがや)かせ、幸せに向かわせていく!!

それが、人生の目的と信念、ほんとうの友人という、人生に勝つ三つの条件を兼(か)ね備(そな)えた、創価学会という存在(そんざい)であり、その幸せをもたらす究極(きゅうきょく)の力でありエネルギーであり法則(ほうそく)が、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。


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