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希望列車で行こう!

勇気は幸福の乗車券、希望列車に、飛び乗ろう。

希望列車320

2014-09-18 12:48:19 | 日記
二十世紀の天才ヴァイオリニストであるユーディー・メニューイン氏は、いつも、マッサージを頼(たの)む、知人の女性がいた。

ある時、メニューイン氏は、そのマッサージを頼む女性に言った。

「あなたのマッサージは素晴らしい。まるで指が話しかけているようだ。」

そして、マッサージの秘訣(ひけつ)を尋(たず)ねると、女性は答えた。

「私は仏教徒(ぶっきょうと)なんです。マッサージをする時は、心で南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)と唱(とな)えるんです。」

仏教徒というのは、創価学会員(そうかがっかいいん)のことで、イギリスの婦人部員だった。

「ナンミョウホウレンゲキョウ・・・・・素晴らしい音律(おんりつ)だ。」

以来(いらい)、メニューイン氏は南無妙法蓮華経を口ずさむようになり、池田SGI会長(創価学会インターナショナル会長)の著作(ちょさく)を読破(どくは)していった。

そして、思った。

池田SGI会長に会いたい!!

そして、数年後、メニューイン氏は、池田SGI会長と会見することになる。

会見の中で、メニューイン氏は、言っています。

『「南無妙法蓮華経」の「NAM」という音に、強い印象(いんしょう)を受けます。「M」とは命の源(みなもと)というか、「マザー (MOTHER)」の音、子どもが一番最初に覚(おぼ)える「マー(お母さん)、マー」という音に通じます。この「M」の音が重要な位置を占(し)めている。』

この言葉に対し、池田先生は、言っている。

『日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)は、「南無妙法蓮華経」を「歓喜(かんき)の中の大歓喜」「歓(よろこ)びの曲」である、ともされました。妙法(みょうほう/南無妙法蓮華経のこと)の音律(おんりつ)は、太陽が昇(のぽ)るような躍動(やくどう)の音律です。「永遠の創造(そうぞう)」であり「永遠の出発」であり、「永遠の戦い」である宇宙の大生命力が、こもっているのです。』


メニューイン氏が、マッサージを頼(たの)む知人の女性に感じたように、『南無妙法蓮華経をとなえる』ことによってもたらされるエネルギーは、人に伝わる・・!

その『南無妙法蓮華経をとなえる』エネルギーは、真心(まごころ)となって伝わったり、感動となって伝わったり、また、具体的(ぐたいてき)に病気などを蘇生(そせい)されるエネルギーとなった伝わることもある。

ある創価学会員の看護士の方が、南無妙法蓮華経をとなえる祈りについて、
「手から、毛穴から、祈りは、すべて、通じていく!」
と言っていた。

『南無妙法蓮華経をとなえる祈りは、通じる!』

単(たん)なる一時しのぎでも、でまかせでもなく、自分ひとりの問題でもなく、南無妙法蓮華経をとなえる祈りは、人々に通じていく!!

ここに『南無妙法蓮華経をとなえる』スゴサがあるのかもしれない。

また、『南無妙法蓮華経をとなえる』ことによって、もたらされるエネルギーは、人に伝わるだけではなく、人に幸せをもたらしていく。南無妙法蓮華経をとなえるエネルギーは、幸せのエネルギーとなって、人へ、未来へ、世界へと伝わっていく。そしてその幸せのエネルギーは、地域や社会、職場や家庭に伝わり、その環境(かんきょう)をより良く、幸せに変えてくことなる。

また、当然(とうぜん)、南無妙法蓮華経をとなえるエネルギーは、自分自身に伝わっていく。南無妙法蓮華経の幸せのエネルギーは、自分自身に伝わり、しみ入り、自分自身を幸せに変えていく。
そしてその幸せのエネルギーは、自分の悩みを解決したり、夢や希望をかなえる力となっていく。

あらゆるものを、あらゆる人を、あらゆる環境を、より良く、幸せにしていくエネルギーが、『南無妙法蓮華経』だということです。

ゆえに、これほどスゴイことはなく、これほどの解決策(かいけつさく)もない。

結論(けつろん)から言うと、南無妙法蓮華経をとなえきった人が、幸せになるとも言えます。


メニューイン氏が思ったように、南無妙法蓮華経をとなえるエネルギーは、人に伝わる。伝わるだけではなく、その人たちを幸せにしていく。また、家族や職場、地域や世界に伝わり、その世界に幸せを満(み)たしていく。

その無限(むげん)に伝わる究極(きゅうきょく)の幸せのエネルギーが『南無妙法蓮華経』であり、その幸せを確実にもたらすのが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・。


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希望列車319

2014-09-02 12:33:43 | 日記
創価学会(そうかがっかい)の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰は、結論(けつろん)から言うと、あらゆるものを、あらゆる事象(じしょう)を、あらゆる人々を、幸せへと引(ひ)っぱり導(みちび)いてくれる。

それは、自分だけではなく、家族や自分のかかわる人々にまで影響(えいきょう)を及(およ)ぼし、その人たちに最善(さいぜん)の幸せを、もたらしてくれる。

時には、悲しいこと、辛(つら)いこともあるかもしれない。けれど、時とともに、自分が、家族が、最善の方向に進み、最良(さいりょう)の幸せをもたらしていたことが、わかってくる。


それが、実感(じっかん)として言える。


これほどの力(ちから)があるだろうか・・・?


現実に、これほどの幸せをもたらす力は、あるだろうか?


はっきり言って、他にはない・・!!


この、創価学会の、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の仏法(ぶっぽう)でしか、この現実の中で、確実に、幸せと歓喜(かんき)をもたらす方法は、ない!!!

それは、あらゆるものが積(つ)み重なり、関係し合い、ひとつひとつの事象(じしょう)からはわからないかもしれないけれど、それが重(かさ)なり合い、信じがたい錬金術(れんきんじゅつ)のように、すべてが、微妙(びみょう)に、しかも完璧(かんぺき)に結(むす)びつき、結果として、最高の幸せをもたらしている。

そういう目には見えない奇跡(きせき)をもたらしていく力が、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰にはある!ということです。

そして、その幸せの奇跡が、どれだけ多くの人を、幸せにしてきたか!!どれだけ多くの人の悩みを解決(かいけつ)し、夢や希望をかなえてきたか!!。それこそ計り知れない。


その積み重ねが創価学会であり、世界192カ国に広がる創価学会の、平和と幸福のスクラムだと、思う・・・。


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希望列車318

2014-08-11 12:33:12 | 日記
オーストリア政府の元文部次官であり、声楽家(ソプラノ歌手)である、サイフェルト博士が、言っています。

『創価学会(そうかがっかい)の皆さまとの出会いは、常(つね)にとても心温(あたた)まる、真心のこもった深い触(ふ)れ合いでした。本当に私の人生が変わったので、非常にありがたいと思っています。

もっとSGI(創価学会インターナショナル)が発展(はってん)すること。
--- これが私の願いです。

なぜなら、今ほど人々が確かな哲学(てつがく)を求めている時代はないからです。』

この言葉に対して、池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『私たちの信奉(しんぼう)する日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)は、「人のために火をともせば・我(わ)がまへあき(明)らかなるがごとし」と言われております。
こうした共生(きょうせい)の哲学(てつがく)が、ますます大事になってきています。「自分さえよければいい」という利己主義(りこしゅぎ)がはびこれば、地球は痩(や)せ細るばかりです。

自分が幸せになろうと思えば、まず自(みずか)らの地域を安穏(あんのん)にしなければならない ----この「自他不二(じたふに)」の心が未来を豊(ゆた)かにします。

何より、私たちSGI(創価学会インターナショナル)は、平和と友情と幸福の縮図(しゅくず)であると確信しています。だからこそ、この創価のスクラムをさらに広げられるよう、努力していきたいと思っております。』


サイフェルト博士が、言っています。

『今ほど人々が確かな哲学(てつがく)を求めている時代はない。』

確かな哲学とは、なんだろうか?

それは、現実を打開(だかい)できる哲学だと思う。

混沌(こんとん)とした時代の中で、現実に自分の人生を切り開いていけるのか・・!
現実に自分の悩みを解決していけるのか・・!
現実に、自分の夢や希望をかなえていける力(ちから)となるのか・・!
そして、現実に、揺(ゆ)れ動く時代の中で、確固(かっこ)とした、崩(くず)れない幸せを築(きず)いていけるのか・・!

ここに、問題があり、注目が集まる。

そして、混沌(こんとん)とした時代の中でも、現実に人生を切り開き、現実に幸せを勝ち取っていける哲学(てつがく)が、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。

だから、サイフェルト博士は、もっと創価学会が発展することを、願っているんです。

また、世界中の善意(ぜんい)の有識者たちが、創価学会に大きな期待(きたい)を抱(いだ)いているのも、そのためです。


だれでも、悩みがある。それは、ひとりひとり違(ちが)う。状況(じょうきょう)も違えば環境(かんきょう)も違う。ひとりひとりの個性も境遇(きょうぐう)も違う。けれど、どんなに、ひとりひとりの悩みが違っていても、そのひとつひとつに、ことごとく対応(たいおう)して、悩みを解決 してける!それが、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)です。

また、だれでも、夢や希望がある。ひとりひとりが違う願い、希望をもっている。そして、そのひとりひとりの夢や希望に対応して、現実に人生を切り開き、夢や希望をかなえていける哲学(てつがく)であり力が、創価学会の南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の仏法だということです。


真実の哲学とは、人生と離(はな)れたところにあるものではない!よくある、空理空論(くうりくうろん)ではない。
せっぱ詰(つま)った、現実の悩みや希望、その悩みや希望に、直接的に対応し、自分の目の前の人生を切り開いていけるもの・・・!

それが、創価学会の仏法の哲学であり、仏法の信仰です。

だから、今ほど、この創価学会が実践する、『仏法(ぶっぽう)』を求めている時代はない。ただ、それを、わからないだけなんです。

すべての人が求めている幸せ、希望・・!

その希望と幸せの本質(ほんしつ)に、直接的に結(むす)びつくもの・・・!

それを、人々は、欲(ほ)しくて欲しくて、しょうがない。

そして、その希望と幸せの本質に直結(ちょっけつ)し、現実に悩みを解決し、現実に夢や希望をかなえていける哲学(てつがく)が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰だと、いうことです・・・!


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希望列車317

2014-07-27 21:25:47 | 日記
「裸の王様」の物語は、皆さん、知っていると思います。

裸(はだか)の王様は、アンデルセンの童話です。

ある、おしゃれ好きな王様に、詐欺師(さぎし)の仕立(した)て屋が「バカには見えない布地」で服を作ります。自分が馬鹿者(ばかもの)だと思われたくない家来(けらい)や王様たちは、あるはずもない服を称賛(しょうさん)します。王様は、その服を着てパレードに出かけますが、やはり、バカだとは思われたくないので、誰一人『見えない』とは言えません。そんな中、子どもが『王様は裸だ!』と真実を言います。これで我(われ)に返った観衆も一転(いってん)して、『そうだ、王様は裸だ。』と言い出します。そして、ついに一人残らず、王様は裸だとさけぶようになります。

王さまは大弱(おおよわ)り。王さまだってみんなの言うことが正しいと思ったからです。でも、「いまさら行進パレードをやめるわけにはいかない。」と思ったので、そのまま、今まで以上にもったいぶってパレードを続けたという話しです。


これは、人間がよく陥(おちい)りやすい感情の風刺(ふうし)だと思いますが、探(さが)せは、似(に)たようなことが世の中には、あると思います。

たとえば、日本にはびこっている、さまざまな宗教・・。

それは、葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、神社信仰などですが、それらは、だれも本当に力や効力(こうりょく)、ご利益(ごりやく)があるとは思っていないけれど、かといって、だれも言わない。表面上は、いかにも、ご利益や効力があるように、もてはやす。あそこは、何々にご利益(りやく)がある。あそこはなんとかにご利益があるとかいっても、現実には、確証的(かくしょうてき)なものは、なにひとつない・・!

だれも「王様は裸だ!」と言わないように、ただ、なんとなく、あがめたて、もてそやす。そして、「きっといい事があるに違(ちが)いない」とか言って、 祈ったところで、そんなことは、まず、起らない・・。

宗教の虚構(きょこう)が通常(つうじょう)となり、それこそ、王様が裸で町をねり歩くような行為(こうい)が、まかり通ってしまう。

それが、世間一般的な宗教だと思う。

ところが、子供が、『王様は裸だ!』と言ったように、唯一(ゆいいつ)、真実を言ったのが、創価学会(そうかがっかい)です。

「それらの宗教は、間違(まちが)っている。そんな宗教に祈ったところで、幸せになどならない。返(かえ)って、でたらめな宗教に祈るということは、自分の生命と人生に害(がい)をもたらし、不幸になる原因(げんいん)になってしまう!」

そう、はっきりと明言(めいげん)したのが、創価学会の人たちだと言えます。

事実、その通りです。

それらの葬式仏教や神社信仰、観光宗教などは、明(あき)らかに間違っているがゆえに、その間違った宗教に祈るということは、自分の生命と人生を、その間違ったデタラメの宗教に、ささげることになる。間違ったデタラメの宗教に自分の生命と人生をささげていけば、当然、自分の生命と人生は、間違ったデタラメなものになっていく。自分の生命と人生が、間違ったデタラメなものになっていったならば、その結果として、さまざまな不幸が、もたらされてしまう。だから、真剣に祈れば祈るほど、逆(ぎゃく)に、不幸になる原因がつくられていき、その人の人生に、大きな害をもたらしてしまう。

それが、真実だと言えます。

不幸の根源(こんげん)には、間違った宗教がある!ということです。

そして、間違いのない、人々に幸せをもたらしていける、真実の宗教が、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。

それが正しい証拠(しょうこ)として、創価学会は、どんどん発展し、世界192カ国に広がっている。そして、その創価学会の南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の仏法(ぶっぽう)を実践した、世界中の人たちを現実に幸せにしている。

それは、ひとりひとりの悩みを解決した結果であり、ひとりひとりの夢や希望を実現(じつげん)していけた結果であり、ひとりひとりが現実に『幸せになった!』という結果として、創価学会は世界中に広まっている。


あたかも、それは、童話(どうわ)・裸の王様で、子供が『王様は裸だ!』と叫(さけ)んだあと、みんなが、『そうだ、王様は裸だ』と言い、最後は、すべての人が『王様は裸だ』と言ったように、ひとりの勇気の声が、まわりに広がり、世界に広がり、その真実の証明(しょうめい)として、これからも、創価学会は、広がり続けていくことでしょう・・・!


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希望列車316

2014-06-24 12:43:48 | 日記
聖教(せいきょう)新聞に、ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁(そうさい)の話しが、のっていました。

その一部分を抜粋(ばっすい)したいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「言論(げんろん)の獅子(しし)」がそこにいた。
顔に刻(きざ)まれた深いしわ。白く伸びた髪(かみ)。何より、小さい体から発散(はっさん)される威厳(いげん)は、地走る者の王・ライオンを 思わせた。

1993年の2月9日。時間は午後9時。ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁は、貴賓室(きひんしつ)で、2時間も前から待っている。

リオデジャネイロのガレオン国際空港。池田SGI(創価学会インタナショナル)会長が、27年ぶりに、このブラジルの古都(こと)に降(お)り立とうとしていた。

総裁(そうさい)は94歳。頭脳(ずのう)は明晰(めいせき)だが、さすがに足腰(あしこし)は衰(おとろ)え、ふだんは歩くのに、2人に両脇(りょうわき)を抱(かか)えてもらうことも、たびたびであった。ソファに座(すわ)る総裁に、体調を心配(しんぱい)した周囲(しゅうい)は、別室で休んではどうかと進めた。

だが、総裁は言った。

「私は、94年間も池田会長を待っていたのです。1時間や2時間は何ともありません。」

SGI会長を乗せた旅客機(りょかっき)が着いた。総裁はソファから身を起(お)こし、ドアのほうへ、一人で足を運(はこ)んだ。

扉(とびら)が開いた。池田SGI会長が両手を大きく広げて歩(あゆ)み寄(よ)り、総裁の両腕(うで)を下から支(ささ)えた。

「『世界の宝(たから)の人』です。私が総裁のことを、世界に永遠(えいえん)に残します!」

総裁は応(こた)えた。

「会いたい人にやっと会えました。池田会長は、この世紀(せいき)を決定づけた人です。戦いましょう。2人で力を合わせ、人類の歴史を変えましょう!」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ぼくが思うに、映画やドラマ、小説の世界ではなく、現実の生身(なまみ)の人間が、こういう会話をかわしていること自体(じたい)、スゴイことだと思いました。


アタイデ総裁は、1930、40年代、独裁(どくさい)を真っ向(まっこう)から批判(ひはん)し、3度の投獄(とうごく)、3年間の国外追放(ついほう)に耐(た)えた人物である。70年間以上、ペンを振(ふ)るい、発表したコラムは5万本。テレビに20年、ラジオには30年にわたって毎週出演し、人権擁護(じんけんようご)の『声の弾丸(だんがん)』を放(はな)ち続けた。

その名前は『強靭(きょうじん)なリベラリスト(自由主義者)』として、ブラジルにおいては伝統的な響(ひび)きを持っているそうです。

そのアタイデ総裁が1959年から30年以上にわたって率(ひき)いてきたのが、南米最高の知性の殿堂(でんどう)、ブラジル文学アカデミーです。

在外会員は、トルストイ、エミール・ゾラ、アンドレ・マルローらの名が連なる。

そして、アタイデ総裁が34年間で初めて推薦(すいせん)したのが、池田SGI(創価学会インタナショナル)会長です。

アタイデ総裁は、言っている。

「私には池田会長の偉大(いだい)さがわかる。」

「民衆のために戦い、苦しみ抜(ぬ)いた者にしか、彼と、彼を支(ささ)える香峯子婦人(池田会長婦人)の心は分からない。」

「迫害(はくがい)を受けた者だけが、池田会長の価値(かち)を知るのだ。」

さらに、アタイデ総裁は言う。

「一人の指導者が道を開けば、皆がその後を従(したが)うものです。」
「未来はひとりでに、やってくるものではありません。人間自身が切り開くものです。その人間の一人が、池田大作氏です。」

アタイデ総裁と池田SGI総裁の2人は、対談集の発刊(はっかん)を目指して、口述筆記(こうじゅつひっき)などを通して、対話を続けることで合意(ごうい)した。

だが、総裁の体調(たいちょう)は思わしくなかった。
総裁の秘書は、率直(そっちょく)に「口述筆記も、タイプライターで原稿(げんこう)を打つことも無理(むり)でしょう。最近は笑(え)みを見せることもないのです」と話した。

93年6月、SGIのスタッフから、「回復するまで、いつまでかかってもお待ちします」との池田SGI会長の伝言が、総裁に伝えられた。

じっと聞いていた総裁が、ほほ笑(え)んだ。

「ありがとうございます。私にはもう時間がありません。すぐに始めましょう。
しゃべって、しゃべって、しゃべり抜きます。人類の未来のため、21世紀のために語り継(つ)ぎましょう!」

口述はそれから、毎週土曜日、リオの総裁の自宅で行われた。SGI会長の書簡(しょかん)での質問に、総裁は毎回2時間、思索(しさく)を重ねながら、身じろぎもせず語り続けた。

SGI会長からは毎回、花束(はなたば)が届けられ、総裁はいつもそれを、応接間(おうせつま)の純銀(じゅんぎん)の花瓶(かびん)に飾(かざ)って、眺めるのだった。

最後の「対談」は8月21日。テーマは「人権の闘士・マンデラに学ぶ」であった。

その6日後に、総裁は入院した。

「私には、やらなければならない大事な仕事がある。早くここを出してください。私は、池田会長との対談を続けなければならないのだ。」

医師や看護士にそう何度も訴(うった)えた。

総裁が逝去(せいきょ)したのは93年9月13日。SGI会長は悲報(ひほう)を聞き、すぐさま弔電(ちょうでん)を送った。

10月には文学アカデミーの強い要請(ようせい)により、2人の出会いを描いた油彩画(ゆさいが)「アタイデ総裁」が同アカデミーに贈られている。

さらに息女(そくじょ)のラウラさんと夫のシィッセロ・サンドローニさん、子息(しそく)のロベルト・アタイデさんを、池田SGI会長は翌年8月、長野研修道場で歓迎(かんげい)した。

「父が毎日、使っていたペンです。父の名前が刻(きざ)まれています。」

席上、ラウルさんから、総裁の「武器」であった金色のボールペンが、池田SGI会長に渡された。友情は、家族と、アカデミーの後継者(こうけいしゃ)たちに受け継(つ)がれたのである。

対談集「21世紀の人権を語る」は95年に日本語版、2000年にポルトガル語版が発刊(はっかん)。

未来を見通(みとお)した総裁の『遺言(ゆいごん』で、語らいは結(むす)ばれた。

『池田会長の存在(そんざい)は、人類の歴史に残り、その運動は時代とともに広がりゆくことでしょう。

そして21世紀は、新たなヒューマニズムが実現された時代として、人類の歴史に深く刻(きざ)まれることになるでしょう。』


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