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希望列車で行こう!

勇気は幸福の乗車券、希望列車に、飛び乗ろう。

希望列車325

2015-02-25 23:25:00 | 日記
以前、聖教(せいきょう)新聞に、ある創価学会(そうかがっかい)に新しく入会した壮年の体験がのっていました。

その壮年(そうねん)の入会のきっかけは、三年前の東日本大震災(だいしんさい)の被災地(ひさいち)で目(ま)の当たりにした創価学会員の医師や看護士(かんごし)はじめ、創価の友の献身(けんしん)の姿だったそうです。

彼は語っています。

「その創価学会の人たちの言葉は苦しんでいる人々の心に染(し)み入る誠実(せいじつ)さに溢(あふ)れていました。
その姿を見る度(たび)に、私は何度も目頭(めがしら)が熱くなりました。」

「疲(つか)れを知らない情熱の根拠(こんきょ)を知りたいと思いました。」

彼は、自分の生き方を根底(こんてい)から変えようと創価学会に入会。さっそく、二人の友も入会に導(みちび)き、共に黄金(おうごん)の人生を歩(あゆ)まれているそうです。


池田先生(創価学会インターナショナル会長)が言っています。

『創価の友の「人の振舞(ふるまい)」ほど、雄弁(ゆうべん)に仏法(ぶっぽう)の素晴らしさを物語るものはない。
友のため、地域のため、社会のため、真心を尽(つ)くす、わが同志の「振舞」の積(つ)み重ねが、知らず知らすのうちに、無数の仏縁(ぶつえん)を結(むす)び、育(はぐくみ)み、広げてきたのだ。

時代は一段(いちだん)と我らの価値創造(かちそうぞう)の行動を求めている。』


人の振舞(ふるまい)は、ウソをつけない。

人の振舞には、真実が込(こ)められている。

とくに、何かあって、大変な時は、そうかもしれない。

そんな時、光るのが、創価学会の人たちの、仏法(ぶっぽう)の信仰によって培(つちか)った生命の輝(かがや)きであり、その振舞だと思う。

確かに、いいかげんな三流雑誌などを読んで、創価学会を良く思っていなかった人であっても、なにかの機会に、創価学会の人たちの振舞にふれ、見方が180度変わったということは、たくさんある・・!!

創価学会の人たちの振舞が、多くの感動をもたらしたことも、多々(たた)あると思う。

それは、人間としても、人生という道からしても、創価学会が間違(まちが)っていない!ことを表(あらわ)している。

また、間違っていないだけでなく、人生にとっても、人間にとってもプラスになり、幸せと希望と勝利をもたらす、大きな大きなエネルギーであることがわかる。

率直(そっちょく)に言えば、それが、創価学会の人たちが実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる、 仏法の信仰なんだと思う。

もとより、その創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、人間にとっても人生にとっても、生き方としてプラスになるだけでなく、現実に悩みや苦しみを解決する力(ちから)となっていく。現実に、夢や希望をつかむ強力なエネルギーになって、その人々に夢や希望をかなえさせ、幸せを実現している。

要(よう)するに、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰は、人間としても生き方としても素晴らしいだけでなく、人間として、人生として、素晴らしい生き方をするがゆえに、その素晴らしい結果として、悩みを解決できたり、夢や希望をかなえていけるようになっていく!ということです。

すべてにわたって、人間としても、人生としても、自分の夢や希望にとっても、自分の悩みの解決のためにも、なんの矛盾(むじゅん)もなく、すべてを叶(かな)え、実現していける、ものすごい法則(ほうそく)であり、力(ちから)だということです。

それが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰です。


ともかく、池田先生が言うように、時代は、創価学会の哲学(てつがく)を求めている。生きることに対する確固(かっこ)たる価値(かち)と希望と力(ちから)を求めている。

その絶対の価値となるもの。絶対の希望となるもの。どんな悩みや困難があったとしても乗り越(こ)え、解決していける、夢や希望をかなえていける決定的な法則(ほうそく)であり力となるものが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということで す・・・。


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希望列車324

2015-02-08 21:41:59 | 日記
中国では、大変な尊敬(そんけい)を集めている、大指導者、周恩来(しゅうおんらい)総理の名前は、歴史などで、知っている人も多いと思う。その周恩来総理は、1972年、日中国交正常化を実現させた。

日中国交正常化というと、日本では、表面上は、その時の総理だった、田中角栄氏が実現させたように言われているけれど、実情(じつじょう)は違っている。

田中角栄総理は、お膳立(おぜんだて)てが、すべて整(ととの)えられて、最後に調印(ちょういん)にサインしたということだけで、実際(じっさい)は、日中国交正常化のために努力してきた人たちが、別にいる。

その日中国交正常化に尽力(じんりょく)した、大功労者(だいこうろうしゃ)が、創価学会インターナショナル会長である、池田大作先生だと、言える。


当時、中国の周恩来総理は、民間交流の着実(ちゃくじつ)な積(つ)み重(かさ)ねの上に、国家関係の改善(かいぜん)を図(はか)ろうとしていた。

『民(たみ)を似(もっ)て、官(かん)を促(うなが)す。』

それが、周恩来総理の外交哲学(がいこうてつがく)であった。

そして、その哲学は、対日政策(たいにちせいさく)にも適用(てきよう)された。

周総理は、「大衆の中に基盤(きばん)を持つ団体」として、「創価学会(そうか がっかい)」に早くから注目していた。1960年代前半のことである。それは、池田先生が、創価学会第3代会長に就任(しゅうにん)し、日本を左右する社会的勢力(せいりょく)へ、大発展する時期である。

周総理は、対日政策(せいさく)の関係者に、創価学会の研究を指示(しじ)した。

また、そのころ、相次(あいつ)いで訪中(ほうちゅう)した、中国との友好を志 (こころざ)す松村謙三氏、高崎達之助氏が、周総理に創価学会を好意的に紹介した。

一方、SGI(創価学会インターナショナル)会長の池田先生は、1961年、東京・両国支部の結成大会で、中国の国連復帰(こくれんふっき)を提唱(ていしょう)。

1964年の11月、公明党結党にあたっては、「創立者からの唯一(ゆいいつ)のお願い」として、日中国交正常化への努力を促(うなが)した。

1966年5月には、作家の有吉佐和子氏を介(かい)して、『中国にご招待(しょうたい)します。』との周恩来総理の伝言が、SGI池田会長に伝えられる。

そして、周総理の信頼を決定づける出来事が起った。

1968年9月8日、東京・日大講堂で、池田先生は、1万数千人の青年を前に、『日中国交正常化提言』を行った。

当時、反対勢力(はんたいせいりょく)もあり、日本と中国の関係は、厳(きび)しいものがあった。そういう意味で、国交正常化を提言(ていげん)することは、自分の身に危険がおよぶ可能性もあった。その中での提言である。

日中国交正常化を望む、友好の先達(せんだつ)である松村謙三氏は、『百万力の力を得た!』と語っています。

そして、1972年、日中国交正常化は、実現していく。

そして、後に、1974年、池田先生と周恩来総理は、会見する。

その当時、周恩来総理の病状は、大変悪化していて、きびしい状態にあった。

1974年12月5日、場所は北京(ぺきん)の305病院。周総理の入院先は機密事項(きみつじこう)で池田SGI会長は後に、そこが病院だったことを知る。

その日の午前、池田SGI会長は、トウ小平(とうしょうへい)副総理に会っている。
中国側が池田SGI会長を最大に遇(ぐう)した表(あらわ)れだが、同時にそれは、総理自身には会えないことを意味していた。

しかし、12月5日夜の答礼宴(とうれいえん)の席上、中日友好協会の・廖承志(りょうしょうし)会長が、そっと告(つ)げた。

「池田会長、周恩来総理が、待っておられます。」

それは、周総理自身の強い意向(いこう)であることは明らかであった。

SGI池田会長は、総理の健康を心配し、いったんは固辞(こじ)するが、「それでは2、3分だけ。ひと目お会いしたら、失礼をさせてください」と、車上(しゃじょう)の人となった。

実は、その時、周総理は、『会見するなら命の保証(ほしょう)はできない!』と医師団に猛(もう)反対されていた。

だか、総理は、『どんなことがあっても会わねばならない!!』と譲(ゆず)らない。

「周恩来同志(どうし)がそこまで言うのなら・・!」という、トウ頴超婦人(とうえいちょう/周総理夫人)の進言(しんげん)によって、『5分だけ』との条件付きで、認められたのである。

会見上には、池田SGI会長と香峯子婦人(かねこ/池田会長夫人)だけが入った。総理を疲(つか)れさせないよう、SGI会長が、そう希望したのである。

「池田会長とは、どうしてもお会いしたいと思っていました。お会いできて本当にうれしい。」

「池田会長は、中日両国人民の友好関係の発展は、どんなことをしても必要であるということを何度も提唱(ていしょう)されている。そのことが私にはとてもうれしい。」

池田会長は、答える。
「中日友好が今日まで発展できたのは、私たち双方(そうほう)の努力の成果(せいか)であり、そして、私たちは、その努力をこれからも続けて行くことを希望します。」

時に総理76歳、SGI池田会長46歳。

「あなたが若いからこそ、大事に付き合いたいのです。」

総理は言った。

語らいは終始、和(なご)やかに進んだ。「そろそろお休みください。」と書かれた医師団からのメモが総理に渡された。

総理は、メモを制(せい)して話しを続けた。

「ご出身はどちらですか」
「東京です」とSGI会長。
香峯子夫人も「東京です」。
SGI会長が「二人で一人前です」と付け加えると、呵々大笑(かかたいしょう)する総理であった。

だか、中日の未来について語る時、その目は鋭(するど)かった。

「中日平和友好条約の早期締結(ていけつ)を希望します」
「20世紀の最後の25年間は、世界にとって最も大事な時期です。お互(たが)いに平等な立場で助け合い、努力しましょう。」

池田SGI会長は、それを総理の『遺言(ゆいごん)』と受け止めた。

医師団が、5分だけと条件をつけて認められて会見は、周総理の意向(いこう)によって、30分に及(およ)んだ。


会見の後、池田SGI会長が、日中のために最も心血(しんけつ)を注(そそ)いだのは、青年交流だった。

創価大学に、国交正常化後初の国費留学生を受け入れ、その後、創大に学んだ留学生の中から、友好を担(にな)う多くの指導者が育った。

創大と中国の各大学との教員・留学生の交換(こうかん)、全青連(中華全国青年連合会)と創価学会青年部の相互交流(そうごこうりゅう)。- - - その池田会長が築(きず)いた『金の橋』を渡(わた)って、無数の若い友情が生まれた。


思えば周総理も、日本に遊学(ゆうがく)し、青雲(せいうん)の志(こころざし)を燃やした一人である。

「五十数年前、私は、桜の咲(さ)くころに日本を発(た)ちました・・・」

会見で総理は、日本留学の日々を、懐(なつ)かしそうに振(ふ)り返った。

周総理の来日は大正年代。中国人への強い差別(さべつ)にさらせれ、抗日(こうにち)運動にも関(かか)わっている。だが、その後の総理の日本へのまなざしには、鋭(するど)い分析(ぶんせき)の一方で、温かいものが通(かよ)っている。

その感情の源(みなもと)には、日本の庶民(しょみん)との触(ふ)れ合いがあった。

異国(いこく)から来た貧(まず)しい周青年に、何かと世話(せわ)を焼いてくれる下宿(げしゅく)のおばちゃんがいた。
「お腹(はら)がすいてるでしょう?」と、いつもご飯(はん)をごちそうしてくれた。

「とくに、その中の豆腐(とうふ)を使った料理が、じつにおいしかった。」
「下宿に帰って、そのあばちゃんと話すとホッとした。」

周総理が、日本の友人に語ったエピソードである。

人間と人間との、温かな触(ふ)れ合いのひとしずくが集まって、やがて国と国の友好の大海へと注(そそ)ぐ。

凪(なぎ)の時も、嵐(あらし)の時も、そのひとしずくに思いをはせたい。

大衆の中で、大衆とともに - - -

周総理が残し、池田SGI会長が受け継(つ)ぎ、広げてきた、友好の永遠の基盤(きばん)である・・・。


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希望列車323

2015-01-12 21:40:37 | 日記

人気のあるアニメで、「魔法少女まどか☆マギカ」というアニメがあります。

この物語は、魔法(まほう)少女に対するあこがれを、逆手(さかて)にとったようなダークな内容ですが、通称(つうしょう)キュウべえという宇宙生命体が、 少女に、どんな願いでも、ひとつだけ叶(かな)えてあげるかわりに、魔法少女となって、魔女と戦ってほしいという契約(けいやく)を結(むす)ぶ物語で、少女たちは、自分の願いをかなえるために、魔法少女となって、魔女たちと戦うことになる。

魔法少女となったものは、魔女の呪(のろ)いを受けることになり、ほっておいたら、その魔女の呪いによって、自分が死んでしまうことになる。けれど、魔女を倒すと、ある種の生命を浄化(じょうか)するアイテムが手に入り、そのアイテムによって、自分の生命を浄化して、生きながらえることができるという話しです。

だから、魔女と戦い、魔女を倒(たお)すしかない・・。それでも、このアニメの中で、魔女は、呪(のろ)いによって、人間の命を奪(うば)う、悪そのもののような存在なので、魔法少女たちは、その悪である魔女を倒して、人々と、この世界を守るという正義(せいぎ)と使命感(しめいかん)があり、それが、彼女たちの支(ささ)えになっていた。

けれど、魔法少女たちは、やがて、その悪そのものである「魔女」が、実は、魔法少女のなれのはてであることを知ってしまう。魔女とは、実は、魔法少女の生まれ変わりであり、魔法少女たちは、魔女の呪いによって、最終的には、「魔女」になってしまう。

すなわち、自分たちは、世界のため、人々のためと思い、正義と希望をいだいて魔女と戦ってきたのに、結局(けっきょく)、自分たちが、人間を呪い、殺していく魔女になることがわかってしまい、正義と希望が、完全に打ち破(やぶ)られてしまう。そして、魔法少女たちは、絶望(ぜつぼう)していく。

そして、最後の最後、魔法少女になることを拒(こば)んでいた、マドカは、魔法少女となることを決断する。


ひとつの願いと、ひきかえに・・・。


その「マドカ」が叶(かな)えてほしい願いとは、「過去から現在にいたるまで、魔法少女から魔女が誕生する前に、すべての魔女を消滅(しょうめつ)させてほしい!!」・・ということだった。

そうなれば、魔法少女たちは、自分が死ぬ時に、自分が魔女になるという絶望をいだかず、希望と正義をもって、安らかに死んでいける・・。

「魔法少女たちの希望と正義を奪(うば)わないでほしい・・」

それが、マドカの願いだった・・。

そのマドカの願いは、かなえられるが、その願いがあまりにも壮大(そうだい)であるため、マドカは、人間としての個体を保(たも)つことができず、宇宙のある種の法則(ほうそく)、概念(がいねん)となって、宇宙の中に溶(と)けこんでいく。


マドカは、いわば、魔法少女の希望となって、宇宙に消えていった。


そうして、魔法少女たちは、絶望をいだくことなく、死んでいけるようになっていく。


絶望から、希望へ。

マドカの願いは、この絶望を消し去り、希望を生み出すことだったのかもしれない。

あらゆる人々の中から、絶望を消し去り、希望を生み出す・・・。

わかりやすい譬(たと)えだから言うのだけれど、創価学会(そうかがっかい)の人々がとなえている、『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』とは、そういう力(ちから)だと思う。

すべての人の中から、絶望を消し去り、希望を生み出してしまう!

それが、『南無妙法蓮華経』の力です。

だから、創価学会の人たちは、『南無妙法蓮華経を、となえる!』ことによって、どんな苦難(くなん)も乗り越(こ)えていくことが、できる。どんな絶望も打ち破(やぶ)り、希望を生み出し、そして人生に勝っていける。

南無妙法蓮華経をとなえることは、無限の希望をもたらすので、結果として、それは、自分のさまざまな夢や希望も、かなえていけるようになっていく。

南無妙法蓮華経の力は、計(はか)り知れないので、それだけではないけれど、希望を生み出す力、絶望を打ち破る力が、南無妙法蓮華経だと言えます。


話しは少し変わりますが、このアニメのストーリーの中で、「祈れば祈るほど、呪(のろ)われていく・・」というような表現がでてくる。

確かに、デタラメな宗教、間違(まちが)った宗教においては、そう表現(ひょうげん)しても、いいかもしれない・・。

間違った宗教、デタラメな宗教に祈るということは、その間違った宗教、デタラメな宗教に、自分の生命と人生を、ささげていくことになる。

間違った、デタラメの宗教に、自分の生命と人生をささげていったならば、当然(とうぜん)の結果として、自分の生命と人生は、間違った、デタラメなものになっていく。

自分の生命と人生が、間違ったデタラメなものになっていったならば、その結果として、さまざまな不幸が、もたらされてしまう・・!ということです。

だから、それは、結果として、「祈れば祈るほど、呪(のろ)われていく」ということになってしまう。

それが、間違った宗教、デタラメな宗教というものです。

そして、その間違った宗教、デタラメな宗教が、日本にはびこっている、葬式仏教(そうしきぶっきょう)や神社信仰、観光宗教などです。


それとは逆(ぎゃく)に、『祈れば祈るほど、幸せになっていく!』『祈れば祈るほど、希望を生み出していける!』のが、さっきも言ったように、創価学会の人たちが実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)です。


南無妙法蓮華経とは、希望の法則なんです・・!


間違った宗教、デタラメな宗教のように、祈れば祈るほど、不幸になっていくようなことは、あってはならない!

本当に幸せになっていける宗教。本当に悩みを解決していける宗教。本当に希望をかなえていける宗教が求められる。

それが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰です。


このアニメで、まどかは、魔法少女たちの絶望を消し去り、希望となった。それは、アニメの中の話しだけに、あまりにも壮大(そうだい)で、宇宙規模(きぼ)の物語だけれども、それと同じように、壮大なエネルギーが、ぼくたち人間の中にもある!!

その壮大な希望のエネルギー・・!

それが、『南無妙法蓮華経』だと言える。

絶望を打ち砕(くだ)き、希望を生み出す、壮大(そうだい)な壮大な、希望のエネルギーが、『南無妙法蓮華経』だと表現できます。

だから、ぼくたちが、南無妙法蓮華経をとなえる時、ぼくたちの中から、その壮大なエネルギーが湧(わ)き上がってくる。それは、人間が持っている本源的(ほんげんてき)なエネルギーとも言えますが、その人間が本来(ほんらい)持っている本源的なエネルギーが湧(わ)き上がってくるから、悩みを解決していけたり、困難(こんなん)を打開(だかい)できたり、夢や希望をかなえていけたりするわけです。そして、幸せと勝利をつかんでいける・・!!


あえて、譬(たと)えるならば、アニメ「魔法少女まどか☆マギカ」の中で、マドカが、 自(みずか)ら、宇宙の力、宇宙の法則(ほうそく)となって、宇宙をかけめぐり、魔法少女たちの絶望を消し去り、希望を生み出していったように、ぼくたちが、南無妙法蓮華経をとなえる時、宇宙の希望のエネルギーが、ぼくたちの生命の中を、かけめぐる。

そして、絶望を消し去り、希望を生み出していく。

その本源的で、宇宙的とも言える、幸せのエネルギーであり希望のエネルギーが、『南無妙法蓮華経』であり、絶望を消し去り、希望を、どこまでもどこまでも開花していける方法が、創価学会の人たちが実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰だと、いうことです。


それは、あたかも、
アニメ「魔法少女まどか☆マギカ」の中で、マドカが、魔法少女たちの絶望を消し去り、希望を生み出していったように・・・。

 


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希望列車322

2014-11-03 21:24:03 | 日記
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『御書(ごしょ)に、「教主釈尊(きょうしゅしゃくそん)をうごかし奉(たてまつ)れば、ゆるがぬ草木(そうもく)やあるべき・さわがぬ水やあるべき・・」と仰(おお)せの通り、ご本尊(ほんぞん)への必死の祈りは、一切(いっさい)を動かしていく。』

ちなみに、御書(ごしょ)とは、日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が書かれた、論文や手紙をすべて集めたものです。

また、ご本尊とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることをあらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。

ここで、まず引っかかるのは、当然(とうぜん)これは、創価学会(そうかがっかい)の南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰のことを言っていますが、創価学会の信仰と、『釈尊(しゃくそん)』は関係あるのか??ということです。

釈尊とは、ブッダとも釈迦(しゃか)とも言われていますが、いわゆる仏教の創始者(そうししゃ)ですから、知っていると思います。日本のさまざまな仏教の大元(おおもと)は、この釈迦(しゃか/釈尊)から来ていると言えます。

ただし、現代の日本の仏教は、釈迦(しゃか)の仏法(ぶっぽう)とは、かけはなれたもので、単なる形だけです。釈尊(しゃくそん)の教えのかけらもない!と言ってもいいでしょう。だいたい、釈尊は、『坊主は葬式(そうしき)に出てはいけない!葬式というものは親しい知人や家族でやるものだ。 そんな暇(ひま)があったら、今、苦しんでいる人のもとに行ってあげなさい。』と言っているので、坊主が葬式でお経(きょう)をあげるのは、仏教でもなんでもない。ただの金儲(かねもう)けのエセ宗教だと言えます。

形だけ真似(まね)て、お金儲けに利用しているだけですから、かえって害(がい)になり、そんな害になるものを人々に信じ込ませていれば、その人々に害毒(がいどく)が伝わり、その人たちを不幸にしてしまう!ということです。

どういうことかというと、間違(まちが)ったデタラメの宗教に祈るということは、その間違ったデタラメの宗教に、自分の生命と人生をささげることになります。間違ったデタラメの宗教に自分の生命と人生をささげていけば、当然(とうぜん)、自分の生命と人生は、間違ったデタラメなものになっていく。自分の生命と人生が、間違ったデタラメのものになっていったならば、その結果として、さまざまな不幸がもたらされてしまう!ということです。

不幸の根源(こんげん)には、形骸化(けいがいか)した仏教にかぎらず、神社信仰や観光宗教など、それらの間違った宗教がある!ということです。


話しを戻(もど)しますが、釈尊は、仏教の創始者(そうししゃ)です。そして、釈尊が、何を伝えようとしたか?というと、それは、『生命の法則(ほうそく)』であり『宇宙の法則』です。簡単(かんたん)に言えば、それは、『幸せになるための法則』です。

それを、釈尊は、伝えようとしました。

そして、その幸せになるための究極(きゅうきょく)の法則がこめられたものが、釈尊の『法華経(ほけきょう)』です。
だから、釈尊の法華経には、その生命における、あるいは宇宙における、『幸せになるための法則』が込(こ)められています。

だったら、その釈尊の法華経(ほけきょう)をやればいいじゃないか・・!と思うかもしれませんが、それも違(ちが)います。

法華経というと、釈尊の法華経を思い浮(う)かべますが、法華経というのは、さっきも言ったように、幸せになるための法則です。そして、それは時代時代によって、表現の仕方(しかた)が違ってきます。

釈尊の時代であれば、その、釈尊の法華経をやれば、幸せになれましたが、現代では、なれません。この現代に、釈尊の法華経をいくら、やったとしたも、幸せにはなれないし、何の効力(こうりょく)もありません。

これは、釈尊自身が言っていることですが、釈尊が亡(な)くなってから2000年以上経(た)った、この現代という、思想・人心が乱(みだ)れた時代では、釈尊の法華経は、返って害(がい)になり、人々を不幸にする原因(げんいん)にしかなりません。

だから、現代の日本のさまざまな仏教は、良く見積(みつ)もっても、その釈尊の仏教の域(いき)をでていないし、はっきり言えば、釈尊の仏教を適当(てきとう)に変え、めちゃくちゃにしたような宗教ですから、なんの効力もなく、幸せにもなれません。 返(かえ)って、でたらめなメチャクチャな宗教ですから、そのメチャクチャの当然の結果として、害になり、人々を不幸にしてしまう!ということです。


では、釈尊が、本当に伝えようとした『幸せの法則』とは何なのか?

さきほど、法華経といっても、時代時代によって、表現の仕方(しかた)が違うと言いましたが、今生きている人々を、現実に幸せにしていける『現代の法華経(ほけきょう)』とは何なのか??ということになっていきます。

実は、その答えが秘(ひ)められているのが、釈尊の法華経だと言えます。

その釈尊の意図(いと)と隠(かく)れたメッセージをくみとり、唯一(ゆいいつ)正しく理解し、その現代の人々が幸せになっていける『真実の法華経』を発見し広めたのが、日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)です。

そして、現代の人々が幸せになっていける、『真実の幸せの法則』『生命の法則』『宇宙の法則』が、『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』なんです。

だから、『南無妙法蓮華経』とは、釈尊が本当に伝えたかったものなんです。

そして、『南無妙法蓮華経』が、今生きている人々が真(しん)に幸せになっていける、『現代の法華経』なんです。

だから、今、現実に効力(こうりょく)のある、悩みを解決していける、夢や希望をかなえていける、力(ちから)ある幸せの法則が『南無妙法蓮華経』であり、それが、『現代の法華経』です。

ですから、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる信仰は、釈尊が真に伝えたかった法華経であり、人々を幸せにしていける、仏法(ぶっぽう)の究極(きゅうきょく)の真髄(しんずい)なんです。

だから、創価学会と釈尊は、深く密接(みっせつ)な関係があり、釈尊が望み、伝え、実現したかったものが、創価学会の中にある!!!
ということです。

釈尊が望んだもの、釈尊が望み実現したかったものが、まさしく、創価学会によって実現されている!!ということです。

だから、最初に

「『教主釈尊(きょうしゅしゃくそん)をうごかし奉(たてまつ)れば、ゆるがぬ草木(そうもく)やあるべき・さわがぬ水やあるべき・・』と仰(おお)せの通り、ご本尊(ほんぞん)への必死の祈りは、一切(いっさい)を動かしていく。」

と話したように、創価学会のご本尊への必死の祈りは、そのまま『釈尊』に通じていく。なぜなら、創価学会が実践している南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、釈尊の望み、願いそのものであり、『南無妙法蓮華経』が釈尊が伝えたかったことだからです。

ゆえに、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる祈りは、釈尊のいう宇宙の法則、生命の法則、幸せの法則を実行することになり、それはいわば、釈尊自身をうごかすような大きな結果を生み、その結果、悩みを解決できたり、夢や希望をかなえていけたり、さまざまな困難(こんなん)も乗り越(こ)えて、幸せになっていけるわけです。

それが、創価学会の祈りなんです。

ゆえに、池田先生が言うように、
『教主釈尊を動かすことができれば、ゆるがぬ草木はない!さわがぬ水はない!』
そして、祈りをかなえ、幸せになっていける!!


それが、釈尊が本当に伝えたかった宇宙と生命の幸せの法則であり、究極の力(ちから)である、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・!

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希望列車321

2014-10-07 13:15:40 | 日記
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が、言っています。

『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)と唱(とな)え奉(たてまつ)るは自身の宮殿(きゅうでん)に入(い)るなり。』

この日蓮大聖人のご文について、池田SGI会長(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『いかなる状況(じょうきょう)にあっても、題目(だいもく/南無妙法蓮華経のこと)を唱(とな)えれば、生命は「宮殿」に入っている。魂(たましい)は王者である。最後は必ず幸福になる。皆、立派(りっぱ)な勝利者の人生を綴(つづ)ってもらいたい。』

南無妙法蓮華経をとなえたならば、自分の生命は『宮殿(きゅうでん)』に入っている。

どういうことだろうか・・。

生命の宮殿・・・。

それは、どう考えても不幸なものではない。幸せなものだ。
宮殿とは、素晴らしいものであり、光り輝(かがや)く豪勢(ごうせい)なものだ。
すなわち、最高にきらびやかで、優雅(ゆうが)で威厳(いげん)があって素晴らしく、黄金(おうごん)のように輝く存在と言えるかもしれない。

まさにそれは、幸せそのものと言えるかもしれない。

南無妙法蓮華経をとなえるということは、その『宮殿』に入ること・・・!

それは、まさしく、勝利をあらせてしてるし、幸せを表(あらわ)している。

そして、自分の生命が宮殿に入ったならば、おのずから、幸せがもたらされていく。

悩みを解決でき、時とともに、自分の望む人生、自分が望んだ未来、希望がかなっていく。

そう言えるかもしれない。

けれど、もし、自分の生命が宮殿に入っていないとしたら、かりに今良かったとしても、暗澹(あんたん)とした未来が待ち受けていたり、苦しく、望まない人生になってしまうことも多々あると思う。

生命の宮殿・・!

その生命の宮殿を築(きず)くことができるのが、創価学会(そうかがっかい)が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。


生命の宮殿に入るとは、自分の生命の根(ね)っこにあるものを、ダイヤモンドのように輝(かがや)かせることだと思う。

その、生命の根っこにあるものが、ダイヤモンドのように輝いたならば、おのずと、そこから、希望と勇気、幸せと勝利がもたらされていく。

だから、生命の根っこは、大切!!!

だから、生命の根っこを、より良く、より素晴らしく変えていくことができたならば、その人の人生は、希望に満(み)ち、幸せになっていく。

けれど、自分の生命の根っこが、腐(くさ)っていたり、元気がなかったら、実際、根本的(こんぽんてき)には悩みや問題は、解決していかないし、夢や希望も、かなえていくことは、できないでしょう。

そうなれば、結局(けっきょく)、夢や希望もなくなっていき、自分が望む人生を生きないまま、人生を終えることになる。

夢や希望、自分の望む人生を生きるためには、やはり、生命の根っこを輝かせなければならない。

根本のところ、生命の根っこ・・。

その生命の根っこが、ダイヤのごとく、輝いていったとき、自分の人生も、環境も、未来も、輝き、幸せがもたらされていく。

その生命の根っこを、黄金(おうごん)ように、太陽のように、輝かせることが、『南無妙法蓮華経を、となえる!』ということであり、それが、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の信仰であり、それが、『生命の宮殿に入る!!』というこだと、思う・・・。


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