旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

たけのこが呼んでいる

2018年04月10日 14時21分10秒 | 淡路島のこと
たけのこが出始めた。
圧力鍋でゆがいたら、ちょちょいのちょいだというのに、たけのこのハードルは高い!!
皮をむいて、ぬかもしくは米のとぎ汁と一緒にゆがくだけだというのになぜこんなにためらってしまうのか。

たけのこご飯、たけのことわかめの煮物、たけのこの酢味噌和え、そのままわさび醤油で・・・
大好きなのに、ゆがきたては格別の美味しさなのに、自分でゆがくと全然違うのに、ああ・・・たけのこ。

立派なたけのこを前にして今日もすごすごと退散。
うーん思うに「今日料理してしまわないといけない」という制限がハードルの高さにつながるのかな。
それにしても淡路島の産直。たけのこ、安いっす。

明日は雨かー。たけのこの日にしよっかな。

18時半ごろになると家の外から福星が「かーーーちゃん!!今日のごはん何??」と叫んでくる。
「水や!!」と答えると「いややーー!!」とまた叫んでる。
家に入ってくると「今日もめっちゃ食べるからな」と宣言して食卓につく二人。ちょっとだけ本気で
腹が立つ。嘘。なんて嬉しいありがたいことだろうか。

日々の糧を与えることができる喜びと感謝を忘れてはいかんなと毎食作るたびに思う。
シリアの子どもたち、パレスチナの子どもたち、そこにいる赤ちゃんのことを思うと、野菜を切る手が
とまってしまう。世界は断絶されているわけではない。必ずどこかでつながっているはず。
私には何ができるんだろうか。考えることだけは忘れてはいかんと思う。何もできてないけど、
何の役にも立っていないけど、私の心の神様に祈るだけだけど。




お母さんと保育士の間で

2018年04月09日 15時23分12秒 | 日々のこと
つばさが保育園に通い始めた。一番慣れるのに時間がかかる1歳クラス。
保育園に到着するまでは大張り切りでニコニコしているのに、いざ到着すると号泣している。
「かあちゃん、かあちゃん、かあああーーちゃん」と大絶叫する声を背中で聞きながら車に戻る私。

受け入れてくれる保育士さんは全員誰かをおんぶしている。園長先生も主任先生も朝は総出。
床に座っている保育士さんは私とつばさの存在を認めつつも、今自分がその場から立ち上がると
ようやく遊び始めた目の前の子どもが泣くことを分かっているから座ったまま「いってらっしゃい」と
見送ってくれる。きっとどの先生の背中も腕も袖も子どもたちの涙と鼻水とヨダレでカピカピに
なっているんだろうな。ポケットには鼻水をふいたティッシュが何枚も入っているんだろうな。
子どもたちの泣き声と、どれが誰のものかわからない新年度特有のドタバタと、緊張感と、休まるひま
なんてどこにもないはずなのに、笑って子どもたちに「大丈夫」「おいで」「お母さん大丈夫。
いってらっしゃい」と言ってくれる。改めてすごい仕事だなーと思う。

ベテラン保育士さんは知ってるんだ。子どもは必ず泣き止んで遊び始める力があることを。こんな日が
いつまでも続くわけではないことを。あと何か月かしたらここが昼間の居場所となって子どもたちの
笑顔がはちきれることを。お母さんにはなれなくても子どもの唯一の存在になることを。子どもが
自分に向かってその手を伸ばす日が来ることを。だから子どもの力を信じて待つことができるんだ。

新人保育士さんの「ああ、もうどうなるの・・・私じゃだめなの・・・まさかずっとこのまんま?」と
いう不安そうな表情もそれはそれで大切だと今は思う。現場にいるときは「堂々としてなきゃダメだ」と
思い込んでいたし、それを強要してしまっていたけれど、泣いている子どもの気持ちに本当に寄り添うことが
できる保育士は実はこの新人保育士さんかもしれない。

毎朝この保育室から「お母さん、大丈夫、いってらっしゃい!」と見送られるたび
「ああ、もっとここにいたいなー。あの子を抱っこしたいなー。」と別の意味で名残惜しむ私がいる。
「いやいや、自分の子泣いてるし」と心の中でツッコミつつも、母ではない保育士としての自分が
全く別のところから別の見方で心の中にいることをギュッと押さえて家に戻る。

子どものために何かをあきらめているだなんてこれっぽっちも思わないけれど、保育士の仕事は
やっぱり素晴らしい仕事だな、と思う4月はじまりの一週間だった。

後輩や仲間からは「何歳クラスの担任になりました!」「もう一度保育士に戻りました」「育休終わりました」
「腰が痛い」「肩こりがひどい」「忙しすぎる」「組んだ相手が・・・」「新しい保育園が・・・」
なんて話もたくさん聞くけれど、それでもみんなそれぞれの場所で最前線で子どもを受け止めていることに
変わりはない。給料は相変わらず低いし、激務だし、遊んでるだけとかいまだに言われるし、理不尽な目に
あうことも多いけれど、それでもやっぱり保育士バンザイ!!って私は思う。

子どもを預けて仕事に戻るお母さん。大丈夫。保育園はいいところだよ。そして先生たちはなんやかんや
いうてもこの立ち上げの4月が大好きな人たちばかりだよ。忙しすぎて保育室に入るのに靴をそろえたり
できてないかも知れないし、給食をもぐもぐ食べながら片手で日誌書いたりしてるかも知れないけれど、
見ている方向はいつでも子どもと保護者のちょっと先の未来だからどうかそれを信じて大切な子どもの
命と時間を預けてくださいね。







魚はどこや?

2018年04月08日 22時39分00秒 | 淡路島のこと
淡路島で暮らし始めてからまだ食べてなかったもの。それは魚。
魚屋さんは至る所にあるものの、魚が並べられていなのが不思議だった。
「卸し専門なのか?」「一見さんお断りなのか?」「開いてないのか?」
謎は深まるばかり・・・

もちろんスーパーでも淡路産の魚は売られているけれど、魚屋さんで魚を買ってみたかったのだ。
近所の人にこの疑問をぶつけてみるとアハハと笑われて「そりゃ魚を店の前に並べてたら鮮度が落ちるから
冷蔵庫に入れてるに決まってるじゃない。(あんたバカねぇ)」そうか、その通りだ。

何人かに尋ねてみると、それぞれひいきにしている魚屋さんがあって「あそこはねぇ・・・」と
熱く語ってくれる。ついでに道順も。ローカルすぎて全然わからん。

海の方の狭い道に入り込んでしまうと絶対にお手上げなので、ダンナ氏に運転をお願いして
目当ての魚屋さんにいってきた。絶対にわからん路地の奥にその魚屋さんはあった。
豪快に魚をさばくおじいちゃん、息子、そして中学生か高校生くらいの孫が一列に並んで作業をしていた。
(家族総出というのは私の思い込みかも知れないが、多分そうじゃないかなー)

どうやって料理するのかに合わせて魚をその場でさばいてくれた。「アラはいるか?」と聞かれたので
首をぶんぶん縦に振って欲しいことを伝えると、どでかい鯛の頭をどでかい包丁でズドンと落として
ビニール袋に入れてくれた。アラはただだった。
なんでスーパーにアラが売っていないのかこれも不思議で仕方なかったのだけれど、謎がとけた。
アラは買うものではなくてもらうものだったんだー。びっくり。

家に帰ってすぐにご飯を炊いて、刺身とご飯で昼ご飯。塩焼きで夕ご飯。明日はアラ炊きが食べごろに
なっているはず。

ようやく魚にありつけた喜びでいっぱい。

いろんなことをいっぺんに知ることがもったいないほど、島での暮らしが楽しくて仕方ない。
きっとパソコンやスマホで調べたら一瞬でわかることなんだろうけど、私は少しでも長くこんな
旅のような日常を漂っていたい。「魚屋に行った。アラをもらった。おいしかった。」たったそれだけの話
なんだけど、旅の一日がそうであるように、これだけで十分満足な一日だった。

さあ、春休みもおしまい。
福2年生、星年長さん、つばさ1歳クラス、青6か月。それぞれの春が過ぎてゆく。
つばさの慣らし保育が終わったら、ウエスティンホテルの朝食ビュッフェに行くことが今の私の原動力。
毎朝ホテルの前を通り過ぎながら「もうすぐ行くからな。待っとれよ」と呪文のように心で唱える日々。