僕とわたしの歩く道

日々のいろんなことを。。。

辛かった頃

2011-06-10 08:00:00 | 自閉症が辛かった頃

おひさまが年少さんの生活発表会。

これ、私が一番つらかった頃の写真。

アルバムに貼ることができずにいたけど、今なら貼れるかな。

親ばかだけれど、おひさま、お顔は誰よりも可愛かったんだよね♪ 

 

幼稚園の生活発表会。

市民会館の舞台の上で、合唱の時は、おひさまの横に付き添ったんだよね。

どうしたらいいのか、この子はどうしたいのか、

何にもわからなかった。

 

平気な顔して

「はい、私が付き添いますよ。」と先生には言って、

「うん、付き添うことになったんよ~」とママ友には言って、

 でも、全然平気じゃなかったな。

 

お遊戯は、母たちの手作り衣装でさ。

しかも頼まれて、衣装づくりのリーダーしててさ。

型紙つくって、みんなに教えて、可愛いつなぎの衣装ができて。

 

お遊戯の本番、

練習にも1回も参加しなかったって言われていたし、

衣装、着るには着たんだけれど、

舞台に出すと、他の子の邪魔になったらイヤだな~と思って、

舞台脇のスピーカーの下で、腰を抱いて、

おひさまはスピーカーに手をあててたんだよね。

震えるのが面白かったみたいで、じっとしててくれたんだけれど、

お遊戯が終わって、腰から手をはなしたらピューって走って、

向こうの舞台脇にはけた子どもたちのところに行ってしまって。

 

その姿を見て、踊れなくても、ここで押さえてないで、出してあげればよかったんじゃないか・・・って、

私はその後、ずっと後悔することになる。

 

男の子のお遊戯は全然覚えてもいなかった おひさまだけれど、

客席で一緒に見ていた、女の子のお遊戯のときは、

立ち上がって通路で完璧に踊っていてね。

先生にあとで聞くと、

「そうなんです。女の子の見学をしているときはよく踊ってたんですよ。」なんて言われてて。

 

夫と、

「覚えられないとか、(身体的に)踊れないとかじゃないんよね、

 気持ちの問題なんやね。」

って言いながら、私は泣いて、

 

自閉症って障がいは、難しいな。

そりゃ周りにも理解されないよな・・・って思ったんだ。

 

今思うと、

だから、本人の気持ちを支えればいいだけ なんだけれどね。

 

某Sチャイルドアカデミーとか、療育センターのOTとかSTとか、思いっきり行っていたんだよ。

治るなら、いくらかかってもいいと思ったもん。

治したかったもん。

小学校も普通級じゃないと!!って、

そうじゃないとこの子は幸せじゃない!!って思ってたもん。

全部、私の差別の心。

 

絶対戻りたくない時代。

でも・・・私の後姿は今より細くていいな・・・。

 

 

 

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成長

2011-01-27 08:28:08 | 自閉症が辛かった頃

まあね~つらい話の一つや二つ、自閉症児の母なら持っているもので、

障害児スイミングのお母さんたちと話していると、いろいろな話を聞いた。

 

息子さんが高等部のお母さん、

「幼児の時にね、

 母子療育のところの先生がうちの子が手をつなぎにいくと、

 もう、イヤそうに手をふりほどくのよ。すごく、贔屓の激しいひとで、おとなしい子が好きでね。

 

 療育の現場の人でもこんななんだから、これから先はもっとなんだろうな~なんて思ったんだけれど、

 それから、小・中とずっと 楽しそうよ。

 まあ、中学校の先生とか、すごく評判の悪い人だったけれど、うちの子には良かったから、それでいいしね。

 

 うまくいってると思えるのは、

 最初が最悪だったから、いつもあの頃より良いな~って思えるからかもしれないけれど。

 今なら、あの療育の先生だったとしても、冷静に話しにいける気もするし。」

 

子どもとともに、親も成長するんだよね。

 

私も今なら、困ったことを伝えられても、「こうしてくださ~い!」って明るく伝えられただろうし、

先生の言葉にもいちいち傷つかないだろうな~と思うので、

担任の先生には、泣いてばかりの親で悪かったな~と申し訳なくさえ思う。

 

でも、まあ、あの幼稚園のことは、「理念で掲げていることとしていることが全然違うやん。」って、今でも大っ嫌いだけれどね(^^)

 

 

 

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つら~い記憶

2011-01-26 14:31:35 | 自閉症が辛かった頃

↓ に書いた先生からのメールには、感謝するとともに、ちょっとつらい記憶を思い出した。

 

おひさまが年少さんで私立幼稚園に通っていた頃、

ちょうど今くらいの季節、嘔吐下痢症が幼稚園で大流行して、

うちでは、娘がかかったけれど、おひさまは元気だった。

 

そして、おひさまの担任の先生から電話がかかってきた。

 

「私もかかってしまったみたいでお休みしたいんですが、おひさまくんは明日は幼稚園、登園されますか?」

自分が休むのに、おひさまがいると不安なんだろうな。

「・・・いえ、娘もかかっていますし、用心に明日はお休みさせますね。」

「よかったです~」と、ほっとした先生の声に、

おひさまの存在は、この幼稚園で邪魔なんだなあ・・・って、ただただ悲しかった。

 

「おひさまくんのせいで、あひるぐみさんには負けたくないんです!」

と、生活発表会のお遊戯の練習の時にも言われていたし、

担任がクラスの全責任を持つ。。。みたいな私立幼稚園だったから、先生もすごく大変だったんだろう。

(副担任の先生も補助の先生もいたんだけれどね。)

 

でも、あの時の、幼稚園での経験がなければ、

私は、おひさまが障害児であることすら認められないで、なんとか普通に追いつくように・・・と必死な状態から抜けられなかったし、

夫が、本当に何かあったときには、きちんと冷静沈着に大人として、相手と対峙してくれることも知らなかっただろう。

 

結局、この幼稚園で頑張ることは出来ずにに逃げてしまったけれど、

だからこそ、仲間にも出会えた。

 

あの頃があるから、今がある。 

 

明けない夜はない。

 

 

 

 

 

 

 

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もしかしたら・・・

2009-05-12 08:13:11 | 自閉症が辛かった頃
昨日、通信添削の仕事の納品に行くと、
同じ仕事をされていて小学校の学童の指導員もされている方が、

「今年、入学してきた子に大変な子がいてね。」

つばを吐く、叩く、蹴る、トラブル続出。

「親も手に負えなくて学童にいれてるみたいなんだけれど。」

「言葉もうまく使えなくて、すぐ手を出る。」

「なんだかいっつもイライライライラしてるのよね。」

「先週はフラフープを全部屋根の上に投げちゃって、フラフープ落ちてこないしさあ。」

特学がない小学校で普通級にいるようだけれど、
何の支援も受けていないらしい。

ちゃんと支援があれば、わかることもできることも増えるから、
落ち着いてくるんでしょうけど・・・とはお話したのだけれど・・・


おひさまは幼稚園の年少で、トラブル続出になり(と言っても、人に対して大きなことはなかったのでよかったけれど)通園施設に転園した。

そこでやっと、普通の子のなかにいるだけで、
成長するわけじゃないことに気づいた。

支援を学び、同じ悩みをもつ友人ができた。

幼稚園の二の舞にならないように、
小学校では伝え続けている。

困った子じゃなくて困ってるんだよって。
だから、こうしたらわかりますって。
こうしたらできますって。

あの時あのまま幼稚園に通わせていたら、トラブルが起きていなかったら、
この子の姿はおひさまの姿だったかもしれない・・・



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おひさまのお誕生日に思うこと

2008-04-04 06:27:01 | 自閉症が辛かった頃
おひさまは今日誕生日♪
うちは4月の第1週に誕生日が続きます。
ええ計画出産でしたから。ついでにちょっと産み分けもしてみました。あっ薬までは飲んだりしていませんが。

ばっちり計画通りの4月生まれの女の子と男の子

幸せだなあ・・・娘はお母さんべったりだけどおひさまは言葉も遅いけど、お姉ちゃんのいる男の子は言葉遅いって「地図が読めない女~」にも書いてあったしね。2人とも可愛いなあ
来年になったら本格的に仕事をはじめて、娘もおひさまも延長保育で大丈夫だよね~~あああれもこれも~~
と、思っていたのはおひさま2歳、娘4歳の時だったでしょうか。

3歳児検診で指摘されたときには、天国から地獄へ・・の心境でした。

障害児に関しては理解あると自分では思っていたんです。
「ブラックジャックによろしく」で未熟児でダウン症の新生児医療の話を読んだときだって、「自分の子どもだったらどんな子でも可愛いはずなのに、何で!!」と思ったし、
友人が少し障害のある子を授かったときだって
「でもやっぱりこの子じゃないと・・って思うのよ」
っていう言葉を聞いて、「そうだよね。当然だよね。」と思ったものでした。

なのにね。
受け入れられなくて。
おひさまがベッドでぴょンぴょン跳ぶのを見るだけで吐き気がして、
そんなはずがないってそんなはずがないって言ってくれる人を探して、

障害に理解があるなんて、全部他人事だったからなんだ。
私、そんな人間だったんだ。

って自分の中の嫌な部分をすごく感じました。
おひさまは障害なんかじゃない!!と強く思い込んで、自閉症の症状に当てはまらない部分を1つ1つ探して、自分の気持ちを守っていました。

小学校にあがるころには普通になっているだろうから、
早く小学校にあがる年齢になってほしい

そう思っていたあのころの私。

普通にはならなかったけど、幸せにはなったよ。
思い描いていたのとは違ったけど、毎日とっても楽しいよ。

よかったね。
本当によかった。

たくさんの出会いにありがとう




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幼稚園生活を振り返る

2008-03-08 09:49:58 | 自閉症が辛かった頃
今回、給食当番をするにあたって、係りを本人の希望に・・・なんてことは何もお願いしていません。
特学の先生と交流級の先生で話して決めてくださいました。

それは1年を通して、おひさまが
「やる気があることはとてもよく出来る!」
ということを、しっかり証明してきたからでしょう。
それは、裏を返せば、
「やる気のないことはちっともできない(しない)」
ってことを証明したことでもあります。

だからこそ、係りの内容も選ばせてもらったんですもの。
さすが、特別支援教育 です。

動くほうに杖をすることで弱いところを連れて行く。(杖の役割 ハルヤンネ@おめめどう)

学校の先生方がおひさまに適切な支援をしてくださるようになったのは、おひさまがそれを証明してきたからでしょう。

「スケジュールとごほうびがあったら苦手なことでも結構頑張る。」
「やる気があることはとてもよく出来る。」
「カレンダーで伝えたら、上靴は金曜日にしか持って帰らなくなった。」
「練習より本番のほうが良く出来る(だってやり直しも怒られることもないものね。)」
etc・・・

これらは裏を返せば・・・ってことです。
幼稚園ではちょうど裏を返したような状態だったのだと思います。

辛い辛いと思っていた幼稚園での日々でしたが、
どうしていいかわからない状態で、皆と同じにしてくれと望む親に、幼稚園の先生もさぞかし困られたことだろうと、その困り感はおひさまにも直接伝わり、それはそれはおひさまも困っただろうと、今になると本当に申し訳ない思いでいっぱいになります。

今でも毎年、1月1日に年賀状が届く幼稚園の担任の先生と副担任の先生。

通園施設に行って間もない頃、結婚退職された担任の先生は、今年も幼稚園にパートに行くことになっていて、
「こうして今年も働くことになるのなら、今年も私が見てあげればよかったのに・・・ごめんなさい。」
とバス停でばったり出会って、涙を流してくれました。
「いえいえ、今楽しく通えてます!これがベストの選択だったと思います。」と、言いながら、その時は先生の言葉も素直に受け取れなかったんだけど・・・

今なら、素直にありがとう、大丈夫です!と言える私がいます。

そして、たまにもやもや~とその時の思いがフラッシュバックするときがあるのですが、幼稚園でのことを色々思うのはもうおしまいにしようと。

私と娘とおひさまを成長させてくれた大事な時期だったと思うのです。

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あのころ(4)

2007-03-19 14:12:31 | 自閉症が辛かった頃
つきの卒園と同時に、おひさまも転園。
一番おひさまにわかりやすいかたち。

おひさま4月から通園施設に入園することになりました。
と担任の先生につげたとき、隣で聞いていたつきが

「どうしておひさまはT幼稚園じゃだめなの」と泣きはじめた。
どう説明しようかと、涙がでてきた私。

おひさまの担任の先生がつきに、泣きながら

「おひさまくんがね。もっともっと、おはなししたり、あそんだりできるようになるために、通園施設にいくんだよ。」

つきも先生と話して、納得したようだった。

色々話すなかで、辛かったときもあったけど、この担任の先生はほんとうにおひさまのことを考えて、悩んでくれていた。
おひさまにはいつもとっても優しかったもの。
おひさまもすぐ名前呼んでたものね。

副担任の先生も「わたしはほんとうにおひさまくんのことが可愛くて。もう自分の子どもみたいで・・・」と泣いてくれた。

2歳から行っていた未入園児のクラスの先生も、「おひさまくんは本当に天使ですよ。」といつも言ってくれていた。

おひさまのことで悩んでいたとき、色々なほかの幼稚園情報をくれた友人、「大丈夫よ」と励ましてくれた友人、「我慢してるでしょ。泣いていいよ。そしたら私も一緒に泣けるから・・」と言ってくれた友人。

辛いこともいっぱいあったが、ここで出会った人たちが私を強くしてくれた。
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あのころ(3)

2007-03-18 19:06:51 | 自閉症が辛かった頃
通園施設で2階の職員室に入った。
園長先生に向かいあって座ったとたん、
「おかあさん、ここに来るだけでも勇気がいったでしょう。
 よく来られましたね。」
と言われた。その言葉だけで・・・救われた気がした。

生育暦を話し、保育の様子を見学に行く。自閉症の子が多いその通園施設で私が見たものは、よく話す、笑顔でいっぱいの子どもたちだった。

スケジュールも1人1人に合わせて。漢字で書かれたスケジュールの子も、絵や写真のスケジュールの子もいた。

「1人1人にわかる形で教えてあげることは何も特別なことじゃないの。
 でも、普通の幼稚園じゃ集団の保育しかできないから・・」

ここにこよう。きっとここがおひさまの居場所になる。
そう思えた。
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あのころ(2)

2007-03-15 11:44:16 | 自閉症が辛かった頃
こんなにかわいいおひさまがなぜ、園では荒れているのだろう・・・
家では落ち着いて生活しているのに、なぜおひさまは人にむかっていくのだろう・・・

ずっと考えていたら、「おひさまが一番辛いのかもしれない・・」
と思った。

遠足についていくと、おひさまが遊んでるおもちゃを何も言わずに取っていく子がいる。おひさまは何も言わない。おひさまが取ると、「先生・・おひさまくんが~」
おひさまが「貸して」って言っても、「いや」って言われてる。

療育センターの心理士の先生がおひさまの様子を園に見に行ってくださっても、「おひさまくんが遊びたいパズルの上で、他の子たちが遊んでて・・・やっと退いてくれて、パズルしだしたら、もう片付けの時間でね。「まだしたい~」ってなっちゃったんですよ。」と言ってた。

したいことやりたいことが伝えられない・・わかってもらえない・・自分におきかえて考えたとき、担任の先生も私もおひさまのことで、つらいけど、一番辛いのはおひさまなんだ!と思った。

そして私は、今通っている通園施設を見学に行った。
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あのころ(1)

2007-03-08 23:36:30 | 自閉症が辛かった頃
おひさまは年少さんのころは私立幼稚園に行っていた。
つきが年長。

おとなしいタイプだったし1学期の個人懇談(個別におねがいしていた)
では、「特に問題ないですよ」「おひさまくんのおかげでクラスの皆もとても優しいです」「集団で集まる場所でも、目立つこともなくなってます」
という、お話だった。
しかし・・・2学期、おひさまは荒れていった。他の子を押したり、後ろから蹴ってみたり。担任の先生は疲れ果てていたのだろう。私に
「わたしはおひさまくんだけの担任じゃありません!」と言い、
「おひさまくんはクラスの皆の優しさを踏みにじってます」
と言った。

園全体をまとめる主任の先生は
「おねえちゃんはですね~郡読も年長さんで一番上手ですよ」
「おねえちゃんがおひさまくんのことで謝ってるのをよく見るので、これからどういう姉弟関係になっていくのでしょうね」
と言った。

そして2人で「おねえちゃんがかわいそう」と言った。

おひさまは踏みにじるつもりなんてないのに・・・
つきも弟がただ好きなだけなのに・・・

私は毎日眠れなくて、幼稚園の先生にも自閉症やその対応を伝えられなくて、私とおひさまがいなければ皆幸せなのかな・・・と一人で考えていた・・・
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