Japanese and Koreans invaded Asia. We apologize.

外国人差別と有色人差別への視点

2007年11月23日 03時25分27秒 | Weblog
日本の外国人差別や外国人嫌いがしばしば外国人から問題にされている。
様々な問題的提起がなされているが、、賛成する点も反対する点もある。
アジア人の側からは例えば、米国の有色人差別、有色人嫌いが問題にされている。
例えば、先日の投稿にこんなのがあった。有色人種差別の国・米国(防衛省OB太田述正ブログ)
 で、一番稚拙な論議がお前もやっていると言って、誤魔化そうとする論議だ。
 で、次にずるいのは、そうやって誤魔化すな、と言って、議論の対象を狭めて、恣意的に一方の問題だけに焦点を合わせようとすることだ。日本に対する慰安婦問題などが典型である。 
 もうすこし、視点を広げることだ。
 自国だと防御的になり、他国のことになると攻撃的になるというのは人情かもしれないが理にかなっていない。
 日本人の中には、自国に辛く、他国の問題は無視する人々もいる。マゾヒスト的と言われる人々だ。もう一方には日本は一つも悪くないというナルシストもいる。
 まあ、おれなんかは日本のは非は積極的に認めるべきだとは思うが、どちらかというと、自国を甘く採点するところがあるのかもしれない。
 外国人の中にはあたかも自国に問題ないかのごとく、同じよう問題に対して、正義の御旗で日本を攻撃し、自国の悪に眼をつむるものもいる。
 同じようなことはどこにでもあるのだから、他国のことを自国のことのように慎重に考え、自国のことも他国のことのように批判的に考える。そうした視点の相互移動が大切だ。他国を批判するときには、自国に適用した批判した基準をそのまま持ち出し、それを例にすれば他国の人にも受け入れられやすいかもしれない。(もちろん、その基準が正しいとは限らないが)
 おれが日本の慰安婦問題を批判する西洋人に強烈な嫌悪感を感じるのは、虐げられた慰安婦を救う必要がないと思うからでなく、ーーーむしろその逆だーーー奴らの多くが、より年代の近い同じ問題について自国が虐げた慰安婦娼婦のことについてはだんまりを決め込むからだ。
で、そうした、自称「人権活動家」に、おれは古めかしい偽善的なwhiteman's burdenを感じてしまうから、無意識にそして、余計に反発してしまうのかもしれない。
 で、勉強になるのは、この間、韓国イギリスでのアフリカ系に人々に対する警察な不当な取り扱いについての記事。両者とも被害者は人種差別よりも警察の不当性を論断していることだ。とくにフォーリンディスパッチスさんの方はその傾向が強い。
 おれが思うに安易に人種差別を叫ぶだけだと、かえって溝が深まる、といった知恵が働いているのではないかなあ。逆にいうと、外国人や有色人種が含まれる事件をなんでも人種差別だああ!!と叫ぶ活動方法は、両者により深い溝を作る手法といえる。
 自国と他国の問題、人種間の問題、両方とも双方が共通の土俵の上でものを語り、共同して活動し、共有できる視点を模索することが重要だ。
 

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