ロコさんとの対話のなかにも書いたが、英語で語られる日本人・日本論の中には、日本人の声が全く反映されていないものがある。こっちが声を出しても消されてしまうのである。それはともかく、
趣味の有道ブログでコメントが伸びている。
「ハーフ」という言葉遣いについてである。
ハーフというのは国籍の違う両親から生まれた人を指すわけであるが、ハーフはhalf であって半分の意味があるからよくない、という主張は以前から随分あって、じゃあ、ダブルがいいと。しかし、それはあまり定着しなかった。両親の国籍が同じ大半の人はその半分かい、ということにもなる。
で、先日紹介したグループはミックスルーツという言葉を使い始めた。これも定着するか、どうかはわかならい。
ミックスフルーツとも間違えられかねない。
本当言えば、
ハーフなんて言葉がなくなったとき真の国際化であると、
といことだろうとは思う。
ある言葉がなぜ新しく生まれるのか言語学的に面白いところだとうが、ハーフに関して言えば、紆余曲折があって、混血とか、あいのこ、という言葉があった。ただ、これは、侮蔑の意味が伴うということで、ハーフになって、いま、現在ハーフという言葉に否定的な響きがあるかと言えば、それほどないのではないか、というのが私の印象である。
先日も、「おれ、韓国人と日本人の、今でいう、ハーフなんだな」と得意げに言っている親父がいた。
混血にしてもあいのこにしてもハーフにしても地の上の図みたいものでやはり目立つのだろう。
そこに中立的な意味を読み込んでいくか、否定的な意味を読み込んでいくか、肯定的な意味を読み込んでいく、あるいは、そもそもそれが図として浮かび上がるかいなかは、歴史社会的な構築であって、その裏に何か歴史社会を離れた実体的な本質があるわけではない。
で、いま現在の日本社会では、やはり、そうした国籍の異なる両親から生まれた子供たちというのは何らか意味で多かれ少なかれ目立つ。
その違いをいい意味でとるか、中立的な意味でとるか、否定的な意味でとってしまうかは、これは、ハーフである人にとっても、ハーフでない人にとっても様々であろう。
これは例えば、米国社会でのブラックとかラティーノ、あるいは、日本社会で”黒人”、”白人”という言葉遣いについても同様である。
ブラックとかホワイトとかラティーノとかの言葉が消失したときたしかに本当の意味で脱人種化した社会といえよう。
日本の有名人を生徒に書くように、たずねたら、出てこないから蓮舫はどうだ?ときいたら、彼女は中国人だ、と答えた、と。
と答えたすれば、中国人が国会議員になれないことを知らない日本人生徒だろう。で、彼女の背景を説明して、、ああ、ハーフか、との返答した、と。で、また、それでも彼女の名前を書かないから、どうして、と聞いたら、彼女はハーフだから、と答えた、と。
これは誘導がまずいのであって、蓮舫は日本人だよ、一方の親が台湾人でも、日本国籍を選択した日本人だよ、と説明していればまた違った答えがかえってきただろう、と思う。ハーフといっても日本人、あるいは、日本国籍をもつとは限らないからである。Rob先生の方がむしろ、ハーフは日本人ではない、と思いこんでいるのではないか?
でこちらは室伏選手はハーフであり、日本人とみなさなかった、人がいた、と。
そういう人がいたというなら、そうかもしれないが、しかし、たぶん圧倒的多数の人は日本人の英雄として応援しているだろう。
ハーフが外国人を含意するのではなく、ハーフは例えば、台湾人とセネガル人ハーフもおり、日本人とアメリカ人のハーフでも日本国籍を選択しないものもおり、ハーフは日本国籍取得者=日本人とは限らないのである。
(Aは非Bを含意するということと、、AはBを含意するとは限らないの違い)
それはともかく、面白いのは、この人達、最初にも書いたが、日本人の声を反映させようとせす、反映させようとすると、かえって拒否・抹殺してしまうのだ。
アフガンについても似たようなことをやっているのかいな?と。
・・・・不思議な人達だな、と思う。
檻の向こうで、噂されている、動物園の猿の気持がすこしわかった。
、
CNNGo.com: “Will there ever be a rainbow Japan?”
Posted by debito on December 4th, 2010
debito.org/?p=7995
趣味の有道ブログでコメントが伸びている。
「ハーフ」という言葉遣いについてである。
ハーフというのは国籍の違う両親から生まれた人を指すわけであるが、ハーフはhalf であって半分の意味があるからよくない、という主張は以前から随分あって、じゃあ、ダブルがいいと。しかし、それはあまり定着しなかった。両親の国籍が同じ大半の人はその半分かい、ということにもなる。
で、先日紹介したグループはミックスルーツという言葉を使い始めた。これも定着するか、どうかはわかならい。
ミックスフルーツとも間違えられかねない。
本当言えば、
Andrew Smallacombe Says: http://www.debito.org/?p=7995#comment-215163
December 6th, 2010 at 6:05 am
Of course, we will know that Japan is truly internationalised when we see “haafu” disappear from mainstream usage. Half what? Not-half what? One parent was a man, the other was a woman. Is the offspring “haafu”?
A label we will all be better off without.
ハーフなんて言葉がなくなったとき真の国際化であると、
といことだろうとは思う。
ある言葉がなぜ新しく生まれるのか言語学的に面白いところだとうが、ハーフに関して言えば、紆余曲折があって、混血とか、あいのこ、という言葉があった。ただ、これは、侮蔑の意味が伴うということで、ハーフになって、いま、現在ハーフという言葉に否定的な響きがあるかと言えば、それほどないのではないか、というのが私の印象である。
先日も、「おれ、韓国人と日本人の、今でいう、ハーフなんだな」と得意げに言っている親父がいた。
混血にしてもあいのこにしてもハーフにしても地の上の図みたいものでやはり目立つのだろう。
そこに中立的な意味を読み込んでいくか、否定的な意味を読み込んでいくか、肯定的な意味を読み込んでいく、あるいは、そもそもそれが図として浮かび上がるかいなかは、歴史社会的な構築であって、その裏に何か歴史社会を離れた実体的な本質があるわけではない。
で、いま現在の日本社会では、やはり、そうした国籍の異なる両親から生まれた子供たちというのは何らか意味で多かれ少なかれ目立つ。
その違いをいい意味でとるか、中立的な意味でとるか、否定的な意味でとってしまうかは、これは、ハーフである人にとっても、ハーフでない人にとっても様々であろう。
これは例えば、米国社会でのブラックとかラティーノ、あるいは、日本社会で”黒人”、”白人”という言葉遣いについても同様である。
ブラックとかホワイトとかラティーノとかの言葉が消失したときたしかに本当の意味で脱人種化した社会といえよう。
Rob Says:
December 8th, 2010 at 7:09 am
I asked my students to name 5 famous Japanese people in class yesterday. Two girls were struggling to think of any famous Japanese women, so I suggested Ren Ho. They looked at me like I was crazy and said “no, she’s Chinese.” I explained her background, and they said “Oh, haafu?”.
The next time I checked the two of them they had not written her name down. I asked why, and they said “She’s haafu, not real Japanese”.
Sad.
日本の有名人を生徒に書くように、たずねたら、出てこないから蓮舫はどうだ?ときいたら、彼女は中国人だ、と答えた、と。
と答えたすれば、中国人が国会議員になれないことを知らない日本人生徒だろう。で、彼女の背景を説明して、、ああ、ハーフか、との返答した、と。で、また、それでも彼女の名前を書かないから、どうして、と聞いたら、彼女はハーフだから、と答えた、と。
これは誘導がまずいのであって、蓮舫は日本人だよ、一方の親が台湾人でも、日本国籍を選択した日本人だよ、と説明していればまた違った答えがかえってきただろう、と思う。ハーフといっても日本人、あるいは、日本国籍をもつとは限らないからである。Rob先生の方がむしろ、ハーフは日本人ではない、と思いこんでいるのではないか?
Giant Panda Says:
December 8th, 2010 at 10:18 am
Rob I’ve heard very similar comments about the studly Japanese hammer-thrower and Olympic gold medalist Koji Murofushi (who has a Dutch mother apparently). Notwithstanding that the guy has, as far as I know, only ever held Japanese nationality, was born and raised in Japan and has won a gold medal (and several silver and bronze) for Japan for goodness sake, my (highly educated and professional friends) discount him as a Japanese, because he is “haafu”. And I think that is entirely the problem. “Haafu” equals “not-Japanese” in too many people’s eyes.
でこちらは室伏選手はハーフであり、日本人とみなさなかった、人がいた、と。
そういう人がいたというなら、そうかもしれないが、しかし、たぶん圧倒的多数の人は日本人の英雄として応援しているだろう。
ハーフが外国人を含意するのではなく、ハーフは例えば、台湾人とセネガル人ハーフもおり、日本人とアメリカ人のハーフでも日本国籍を選択しないものもおり、ハーフは日本国籍取得者=日本人とは限らないのである。
(Aは非Bを含意するということと、、AはBを含意するとは限らないの違い)
それはともかく、面白いのは、この人達、最初にも書いたが、日本人の声を反映させようとせす、反映させようとすると、かえって拒否・抹殺してしまうのだ。
アフガンについても似たようなことをやっているのかいな?と。
・・・・不思議な人達だな、と思う。
檻の向こうで、噂されている、動物園の猿の気持がすこしわかった。
、
蓮舫はそもそも前回の参院選で他を引き離してトップ当選していることも忘れている。
>の特殊例
→
もうこれはメディアでも一貫したやり口ですね。
どうもこの種の話が本当のことなのか疑ってしまうのは私の偏見でしょうか。少なくとも、百人や千人に一人ぐらいの特殊例をあたかも日本人の代表例であるかのように語っているのは間違いないように思います。