Japanese and Koreans invaded Asia. We apologize.

どっちがいいか? 他

2011年03月28日 02時52分22秒 | Weblog
CNNやテレグラフ震災記事は「インチキ」 海外メディア監視サイトが「告発」
2011/3/27 1


ようやく、英語圏の報道の偏見に日本の報道も目を向け始めたか?
英語の記事というだけで、ありがたがる時代も終わりにしてもらいたいものだ。

ついでに、NYTがこっそり表題をかえたのにも注目してもらいたい。


New York Times Quietly Edits Article About Fukushima Evacuation

記者として名前を連ねながら、こっそり他の記者に罪をなすりつけているところはちょっと醜い。
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更新
津波は日本の捕鯨産業の柱を倒した…NYタイムズ「冷酷」日本総領事館抗議
2011.3.28

Japanese Town Mulls Future Without Whaling Industry
By MARTIN FACKLER
Published: March 24, 2011

Japan’s tsunami seems to have succeeded ― where years of boycotts, protests and high-seas chases by Western environmentalists had failed ― in knocking out a pillar of the nation’s whaling industry. Ayukawahama was one of only four communities in Japan that defiantly carried on whaling and eating whales as a part of the local culture, even as the rest of the nation lost interest in whale meat.




これについても書こうと思ったのだけど、とにかくいろんな話題があって書けなかった。
例えばの話、NYTが嫌いで社会に害悪を与えている、と考えていたとして、天災で、NYTの組織および関係者が死亡し悲嘆にくれているときに、、他の手段でできなかったが、天災がNYTにとどめをさした、などと書く輩がいたら、さすがに、意地の悪い冷淡なやつだといわざるえまい。
上記の記事でもそうだが、NYTの日本に対する態度、というのはいつもそんな感じなのが、多い。
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それと、ニフコJapan Timesのコラミストの記事がいかにいい加減かをまとめているサイトも新たにできた。


Debito Debunked


注目していただきたいものだ。


さらに、注意すべきは、、英語の記事を批判する英語の記事も上記のようにあるのであって、すべての英語の記事がインチキ、偏見や歪曲あるいは、日本に関する固定観念にそった線での記事ばかり、というわけではない、というところ。

日本の外国関連記事でも同じようなことはあるだろう。

 もっとも国際関係記事について、背景知識や言語能力・取材能力にかける外国特派員がまがりなりにも意見記事風な”報道記事”を書くのに対して、日本の国際関係記事は、外国の記事の翻訳・要約が多い。

固定観念にそった日本関連記事がこうも多いと、しかし、どっちがいいのかわからなくなってきた。


ついでにJcast


震災と日本人 倫理学者 竹内整一
連載(2) 日本人の「しあわせ」という語感はどこから来たか
2011/3/27


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「しあわせ」とは、もともと「為合はす・仕合わす」という言葉からきたものである。つまり、まずは「みずから」の努力によって、「うまく合うようにする」という意味の言葉であった。が、やがてそれが、「しあわせ」という名詞として使われてくると、「めぐりあわせること、運、なりゆき、いきさつ」といった意味合いの言葉となってくる。
そこには、「しあわせ」とは、われわれ「みずから」の力だけではない、それを超えた働きに大きく左右されるものだという受けとめ方を見てとることができる。
当初、この言葉は、「よきしあわせ」とか「悪しきしあわせ」と、両様に使われてきたものが、やがて「よきしあわせ」をとりわけて「しあわせ」と限定して用いられるようになったものである。すでに中世の終わりごろには、現在の使われ方と同じ、こうした用法で使われていた。
「みずから」努力し可能にしたことでも「出来た」という
「しあわせ」とは、何かが成就したり、あるいは可能になったりするという事態であるが、われわれは、「みずから」決断し努力したことでも「なった」と表現したり(例えば、「今度結婚することになった」とか「就職することになった」とか)、「みずから」努力し可能にしたことでも「出来た」=「出(い)で来た」と表現してきたのであり、この「しあわせ」という言葉にも、この世のもろもろの出来事は、「みずから」の努力と、「おのずから」の働きの「あわい」においてあるのだという発想を見いだすことができる。
日本人の考える「しあわせ」とは、まずはわれわれ自身が「為合はす」ものとして「みずから」の努力を基本としながら、なおそれを超えた「おのずから」の不慮・不測の働きを待ち、受けとめることとの「あわい」に招来される事態だと受けとめられてきたということである。
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 良記事である。



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3 コメント

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unthinkable (noga)
2011-03-28 05:23:23
我が国が核攻撃を受けたらどのような事態が発生するか。
我が国の原発が大事故を起こしたらどうなるか。
疾走する弾丸列車が貨物列車に激突したらどのようになるか。

悪夢は見たくない。いつまでも能天気でいたい。
天下泰平の気分を壊したくない。

自分に都合の良いことだけを考えていたい。
それ以外の内容は、想定外になる。

ただ「間違ってはいけない」とだけ注意を与える。
「人は、誤りを避けられない」とは教えない。
「お互いに注意を喚起し合って、正しい道を歩まなくてはならない」とは、考えていない。

もしも自分にとって都合の悪いことが起こったら、びっくりする以外にない。
そして、「私は、相手を信じていた」と言い訳するしかない。だから、罪がないことになる。

危機管理は大の苦手。
だが、ナウな感じのする犯人捜し・捕り物帳なら大好きである。毎日テレビで見ている。

日本語には時制がないので、未来時制もない。
未来の内容を鮮明に正確に脳裏に描きだすことは難しい。
一億一心のようではあるが、内容がないので建設的なことは起こらない。
お互いに、相手の手を抑えあった形である。すべては安全のためか。不信のためか。

問題を解決する能力はないが、事態を台無しにする力を持っている。
親分の腹芸か、政党の内紛のようなもの。
今回の事件はわが国の国民性を色濃くにじませている。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

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Unknown (debitodebunked)
2011-04-04 10:17:50
空さん

はじめまして。debitodebunkedの管理人です。リンクをはってくださいましてどうもありがとうございます。

この前新しい記事をアプロードしましたので、ぜひご拝見かださい。また、もし空さんが私に注目してほしいことがありましたら教えてください。

これからもよろしくお願いします。
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Unknown ()
2011-04-04 23:45:15
debitodebunkedさん

ありがとうございます。

拝読させていただきます。

また、このようなサイトを設立していただき大変感謝しております。

>もし空さんが私に注目してほしいことがありましたら教えてください。


ありがとうございます。<(_ _)>

これもおいおい連絡させていただきます。

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