Japanese and Koreans invaded Asia. We apologize.

移民と言語

2008年02月01日 19時29分26秒 | Weblog
以前移民のためにも日本語能力を課すべきかな、という思いを書いた。英語しかしゃべれない人々が日本人と交流もできず、不満を募らせながらも日本人に日本語で不満を訴えられず、また、議論もできず、疎外感を感じ、有道氏のような偏向した政治的アジェンダをもった人々に扇動され反日になっていくのなら、最初から日本語能力を課すべきかとも考えたのだ。
Jane in Osakaさんに長期居住者に日本語を課すことに肯定的な意見が掲載されている。
誰もが歓迎するのではないか、というのである。提案されているのは、いままでの居住要件を緩和するものである、という前提のもとで、右翼は伝統を重んじるから、日本語課すことを歓迎するだろうし、リベラルは外国人が居留することを歓迎するだろうし、また、外国人も要件が緩和されることを歓迎するだろう、というわけである。

コメント欄のなかにある議論で、Willie さんという方の議論が面白い。

移民が増えるーー労働市場に人があふれるーーー給料の設定が低下

このようにしてアメリカでは、30年前までは家族の一人が働きにでればよかったのが、今では共稼ぎが標準になってしまった、という以前のアメリカに対してのある種の郷愁を感じさせるコメントを残している。



日本は難民認定をもっと緩やかにすべきだし、ある程度の移民は必然だろう。実習生という制度も限界にきているように思う。デビト氏が引用するような、イチゴ農家の中国人実習生 のようなケースは悲惨である。経済的に理由により呼び寄せ、経済的理由により追い返すというのでは、人を小馬鹿にしすぎている。労働者としてちゃんと権利を与えるべきだ。しかし、いろいろ見てくると、やはり、安易に増加すべきでもない。そして、日本社会への統合・融合ということを促進する上でも、あるレベルでの日本語能力を課すことも合理的であると思う。

 そして、日本語をしゃべることが祖国の文化をその文化を背景とする人間であることのを否定することにはならないだろう。




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