そんなふうに無関心になっているのが「アホだからつきあうな」「バカだから話しても無駄」というような最近の風潮だね。つまり「自分の得にならない」から、相手にかかわらない、かまおうとしないわけでしょ? 結局、相手を排除したり、差別したりすることにつながりますよ。
世の中には賢い人ばかりじゃなくて、そりゃあアホもバカもいる。落語を考えればわかるよね。与太郎が出てきて、それをご隠居さんとかおかみさんがかまうわけでしょう。与太郎って今の世の中で言えば、「アホ」「バカ」ですよ。でも「アホ」「バカ」がいなくなれば社会が良くなると思うのは考え違い。与太郎は頭が悪いけれど、たまにぽろっと言った本音が真実を突いたりしている。世の中に刺激や活気を与えていたり、物事を円滑に進める潤滑油になったりしているんです。
「いけすのナマズ」という小話を知っている? 外国の漁村の話で、遠方へ漁に出かけて魚を取っても、港に帰る頃には、いけすに入れた魚の生きが悪くなってしまう。ただ、ある老漁師の船のいけすに入った魚だけはなぜか元気で生きが良く、港の市場でも高く売れるんだそうだ。
不思議に思ったほかの漁師が調べたら、いつもいけすに1匹のナマズが入っていた。魚は、ふだん見ない淡水魚のナマズの不気味な姿に緊張し、ストレスを感じて泳ぎ回り、結果的に生きの良さが保たれたという教訓話だよ。
「アホ」「バカ」ってこのナマズに似ているだろ? ナマズは見た目や味はともかく、いけすの魚に刺激を与え、みんなを元気に保った。「アホ」や「バカ」の存在も世の中に適度なストレスを与え、それで社会は進歩している。つまり社会にとって必要なの。「必要悪」じゃなくて「必要善」なんですよ。
与太郎みたいな親友をもち、また、おれも与太郎的な存在だからか、なんかちょっとしみじみとしたいい話だな、と感じいった。
不合理、馬鹿、阿呆、のろまの厄介なやつでも、自分を支えてくれている側面があるんだろうな、と。