Japanese and Koreans invaded Asia. We apologize.

情報発信

2008年03月01日 22時05分31秒 | Weblog
 ふと思ったのだが、例えば、中国や韓国からの好意的な情報に関して、疑いの目をかけることがある。しかし、それでは、中国や韓国が日本の善意を悪意ととるのと同じになってしまう。
例えば、こんな記事がある。
中国人が「最も嫌いな国」は、日本ではなくなった!
やはり、まず歓迎の情報発信すべきだろう。
あるいは、以前書いた中国の冷静な反応も、同様。
実際正直なところ、自分もうがった目で見てしまう。しかし、それでは、両国の進歩発展は望めない。間違った情報発信をしてしまう。
もっとも、逆にこれも以前書いたが、一部ジャーナリズムのように日中関係を神聖視するのもよくない。毒餃子問題でもいうべきことは言うべきだ。そうしなければ、日本の読者の不信感を買うだけだ。
そこらへんのバランスが重要だな、とふと思った。ちょっとした自省である。


ニッポンの差別

2008年03月01日 13時44分21秒 | Weblog
機会の平等の記事などで、積極的差別是正策についてももちっと調べてみたいといった。というのは、以前書いた積極的差別是正策のところのリンクで、おれがわりかし、ファンのネーゲルが、
アメリカにおける黒人をとりまく状況の悲惨さを訴えることで、積極的なAAが正当化されると考える。「黒人はいまだに相当な範囲にわたって貧困・失業・社会的疎外によって特徴づけられた世襲的な社会的・経済的コミュニティを形成している」(19頁)のである。もちろん強度のAAは、「貧困で、技能をもたない黒人たちの地位については大きな改善をもたらさなかった」(同上)が、白人/黒人の分裂を打破するためにも必要とされる。
 しかし著者は、他の民族、そして女性に対して、積極的差別是正措置による保護を与えることに対しては、否定的である。例えば東洋系の人々は「過酷に剥奪され、排除された少数集団ではなく」(20頁)、「女性は貧困と無教育を特徴とする分離された世襲的なコミュニティを形成してはおらず、その地位は追放された人種のそれと同様の自己永続性をもつとは見なされない」(同上)のである

としている。
 つまり、積極的差別是正というのは、なんやいっても人種など特殊なグループを対象にした差別的政策であることは確かであり、それの弊害もあるから、かなりの社会状況があってはじめて正当化されうるものじゃないかなあ、なんて直感があるからである。
 で、おれは差別問題の現状って詳しくないから調べてみると、
日本共産党は、問題は既に解決しているとして、最近全解連を解散し、人権一般を扱う団体に衣替えした。ウィキ
2004年のことらしい。
もちろん、解散していない方の団体もあるわけであるが・・・
で、在日韓国人の場合は、ネットで拾った1999年の論攷魚拓
在日朝鮮人が短期間に学歴の格差を克服してきた田中

また、
、世代を経た定住外国人労働者の賃金構造が一般的な日本人雇用者のそれに類似しつつある状況、すなわち経済的同化が認められた。しかし、(3)同胞民族が多数を占める企業に就業する雇用者に教育の収益が全く認められなかったことは、先行研究が示すように、労働市場に入る前の差別が存在している可能性があると解釈された。リンク

 最新のはまた変わってきているかもしれん。

 在日外国出身者が日本で差別される人々の代表として、Burakuminとか、Zainichi等をあげるが、ーーー差別は現存するにせよーーー現状と彼らのひどいイメージはちょっと違うんじゃないか?
 
 やっぱここいらはもっと実証的データがほしいところだ。

TPRの3月1日

2008年03月01日 12時28分36秒 | Weblog
3月1日だ。きみら何を思い浮かぶ?
3月3日ならひな祭りだけどーーー。
そうだなああ。
何いっているの忘れた?独立運動でしょ?
どこ?
朝鮮?
はっ?

よしウィキペディア
# ビキニ・デー

1954年3月1日に、太平洋のビキニ環礁でアメリカが核実験を行い、第五福竜丸が被曝したことから。
この日、世界で反核集会等がおこなわれる。

# 三一節(韓国)

 1919年3月1日に、韓国、ソウルで起こった三・一独立運動を記念して

強いて言えば、どちらも日本に関係あるが、TPR
は後者を選んだ。
で、ちょっと写真見てみて。
おれどっかでみたことあったんだよな。女性が手を挙げて行進している写真はよく見かけるけど、この色づけの仕方、それと、どこから引っ張ってきたかよくわからない銃殺の写真。そう!!あの北朝鮮マンセーサイトのKIMSOFT。ネットでは他ではみかけない。
 まあ、別に内容に盗作があるわけではないが、どこから引っ張り出したがわからない写真をつけるというも、おかしな話だね。そういえば、このブロガーが使っていた南京虐殺の写真も専門家からは、中国での虐殺の場面かもしれないが、南京虐殺のものではない、という指摘があるものをつかっていた。
 さて、その韓国の独立運動については、歴史家の評価がいろいろあり、、独立運動に対する抑圧というよりも、共産主義運動に対する抑圧だった、という説も浮上している。また、独立文に署名した指導者たちが、なぜ、現代韓国で英雄視されないか、というと、例えば、崔南善など、むしろ親日派として現代では糾弾されているからなわけだ。
まあ、キムソフトや韓国発信の英語サイトには載っていないかもしれんが・・・
 もっとも警察による不当な虐殺があったことは事実でこの点は銘記しておかなければならない。
 さて、もう一つの3月1日の記念日、TPRさんの祖国アメリカが水爆実験した方だが、例えば、
実験当時、第五福竜丸は米国が設定した危険水域外で操業をしていた。危険を察知して海域からの脱出を計ったが、延縄の収容に時間がかかり、数時間に渡って放射性降下物の降灰を受け続けることとなり、第五福竜丸の船員23名は全員被曝した。後に米国は危険水域を拡大、第五福竜丸以外にも危険区域内で多くの漁船が操業していたことが明らかとなった。このときの水爆実験で放射性降下物を浴びた漁船は、数百隻にのぼるとみられ、被曝者は2万人を越えるとみられている。この予想以上の深刻な被害は、当初米国がこの爆弾の威力を4~8メガトンと見積もり、危険区域を狭く設定した事が原因である。爆弾の実際の威力は、その予想をはるかに超える15メガトンであった為、安全区域にいたはずの多くの人々が被ばくすることとなった。

第五福竜丸の水爆災害(とりわけ久保山が「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」と遺言して息を引き取った事)は、当時の日本国内に強烈な反核運動を起こす結果となった。
ウィキ

 来年の3月1日の特集はこれになるのだろうか?
でも
This Japan-as-victim mantra is so often repeated that it is as firmly a part of the canon of political correctness as more legitimate things such as the unacceptability of nuclear war and racism.TPR

原爆のこというと、被害者日本マントラ唱えてんじゃねえよ、って叱られちゃうかな?韓国の場合の取り扱いと不釣り合いやね。まるで、韓国の民族主義者みたい。


機会の平等についての若干の感想

2008年03月01日 05時23分37秒 | Weblog
機会の平等の記事を読んで、おれがなぜ、個人的にあまりこうしたことに関心がないというのがよくわかった。
 おれはかなり変人だし、よかったのか、悪かったのかわからんが、若いときに、雨露しのげてちょこっと飯が食えれば御の字と決め込んだしまったせいもあって、差別だああ!!!の対象になる相対的高い地位とかつこうという意欲がそもそもないから、こうした側面の社会正義っつうものが、何か遠いところのお話に聞こえてきて、あまり関心がなかったのだな、と思う。
 もっとも、それは個人のライフスタイルの問題だから、機会平等云々の社会正義の問題とは直接関係はないのであるが・・・・
で、また関係ないが、以前に紹介した本moral relativety
 Status Anxiety  などもいっていることだが、身分がなくなり、人種や性別による差別がなくなるのは結構な話だが、例えば、自分の責任の負える能力だけで純粋に判断される社会が出来たとして、そうした社会で結論された個人の低い評価というものは、いかに取り繕っても、その個人の尊厳感にとって致命的なダメージになることもあるだろうな、とも考えてしまう。
 収入とは別に、職業に貴賎なし、といったいまでは薄れたしまったような日本の価値観を今一度吟味・見直してもよいのではないかな?

移民と犯罪

2008年03月01日 04時17分30秒 | Weblog
デビトさんのところのロイターの記事。米国の移民の犯罪率はおもわれているよりとずっと低い、というもの。
long-standing fears of immigration as a threat to public safety are unjustified.
公共の安全に対して移民が脅威であるという根強い不安は根拠のないものである

つまり、アメリカではそう思われていて、だからこそ、日本でも外国人=犯罪者と思われているんだ、と妄想しているわけね。はいはい、よくわかりました。