というわけで、1982年2月2日の谷中、根津、池之端を歩くも今回で終わり。といっても、実は2月3日の分もあるのだ。まずは、2月2日の最後の分を見ていこう。今回のエリアは、旧藍染川を暗渠化した跡の道沿いである。藍染大通りとの交差点から南へ下っていき、言問通りの辺りまで行って終了となる。この通りの片側が台東区谷中で、反対側が文京区根津というのは以前書いたとおりで、区界の通りになっている。
まずはつい最近まであった家、入口の横に丸窓が開けてあったり、モルタル仕上げだが凝った建物であることが伝わってくる。2009年11月撮影のクレジットのあるGoogleMapのストリートビューには写っている。谷中二丁目3。
その向かいには、藍染川の名の由来を今に残していた染物屋の丁字屋があった。82年当時は染物屋さん然としていたが、近年は谷中界隈の町興しの中でもシンボリックな存在になっていた印象がある。それだけに、建て替えられたという話を聞いたときには驚いた。先日も近くまで行っているのに、現在の姿を確かめに行かないまま帰ってきてしまった。根津二丁目32。
2011年6月の頃の様子。
反対側から6X6で撮ったカット。染めた反物が干されているのも見える。根津二丁目32。
2011年6月撮影。
少し南に向けて進んだ反対側の谷中側、木造二階建ての長屋。今は取り壊されて駐車場になっている。谷中二丁目3。
旧藍染川の道を進んで、言問通りに行き当たる手前の根津の側にあった家。根津二丁目23。
言問通りに出て来た角の今も営業されているせんべいの大黒屋。今もほとんど変わっていない。谷中一丁目3。
その隣にあった中野パン店。今も建物はそのままあるのだが、店は閉じられている。谷中一丁目3。
その言問通りの反対側。「丹頂マイコーム」の看板が渋い。この当時でもかなりのものだったと思う。松露鮨、丹頂マイコームおしゃれコーナー。谷中一丁目2。
その並びの蕎麦屋新ふじ、持ち帰り用蕎麦一人前400円と張り紙が出ている。店は改装されているが、三代目新ふじとテントに屋号が書かれている。谷中一丁目2。
まずはつい最近まであった家、入口の横に丸窓が開けてあったり、モルタル仕上げだが凝った建物であることが伝わってくる。2009年11月撮影のクレジットのあるGoogleMapのストリートビューには写っている。谷中二丁目3。
その向かいには、藍染川の名の由来を今に残していた染物屋の丁字屋があった。82年当時は染物屋さん然としていたが、近年は谷中界隈の町興しの中でもシンボリックな存在になっていた印象がある。それだけに、建て替えられたという話を聞いたときには驚いた。先日も近くまで行っているのに、現在の姿を確かめに行かないまま帰ってきてしまった。根津二丁目32。
2011年6月の頃の様子。
反対側から6X6で撮ったカット。染めた反物が干されているのも見える。根津二丁目32。
2011年6月撮影。
少し南に向けて進んだ反対側の谷中側、木造二階建ての長屋。今は取り壊されて駐車場になっている。谷中二丁目3。
旧藍染川の道を進んで、言問通りに行き当たる手前の根津の側にあった家。根津二丁目23。
言問通りに出て来た角の今も営業されているせんべいの大黒屋。今もほとんど変わっていない。谷中一丁目3。
その隣にあった中野パン店。今も建物はそのままあるのだが、店は閉じられている。谷中一丁目3。
その言問通りの反対側。「丹頂マイコーム」の看板が渋い。この当時でもかなりのものだったと思う。松露鮨、丹頂マイコームおしゃれコーナー。谷中一丁目2。
その並びの蕎麦屋新ふじ、持ち帰り用蕎麦一人前400円と張り紙が出ている。店は改装されているが、三代目新ふじとテントに屋号が書かれている。谷中一丁目2。
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