東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

谷中、根津、池ノ端1982~その五

2013-10-11 21:25:33 | 1980年代初期の写真
引き続いて、1982年2月2日の谷中、根津、池ノ端を歩いて行く。今回の分は、池ノ端三丁目の上野動物園下の辺り。この当時でも住宅街で、以下にも池ノ端という感じの板塀の木造日本家屋が並んでいるような町だった。元々は武家地であったところで、明治になってからは谷中清水町と言われていたようだ。


黒板塀に木造の二階家。門柱に付けられた門灯も良い雰囲気。今は周辺も建て直されていて、位置確認に苦労する。池ノ端三丁目4。


左側の家は木造モルタル仕上げの家だが、玄関回りに竹をあしらっている。隣は、サイディング貼りの玄関になっているが、木造二階家。ここも今は建て直されている。池ノ端四丁目5。


レンガ塀を巡らせた家。塀はレンガだけど、建物は日本家屋。この辺りも並びも含めて建て直されていて、レンガ塀も残っていない。池ノ端三丁目4。


この並びだけでも、一体どれほど木造の二階家の日本家屋が並んでいたのかと思う。今では一軒も残っていない。板塀を巡らせた家。時代劇とは言わないが、小津映画のロケなら十分出来そうな町並みだった。池ノ端三丁目4。


この辺りは、建物が道路に直に建っている町屋ではなく、塀を巡らせた家ばかりで、それが独特の雰囲気を醸し出していた。今はマンションが建てられている。池ノ端三丁目4。



コンクリート塀だが、中には堂々たる二階建ての大きな木造建築があった。池ノ端三丁目4。


この家はかなり大きかった。敷地の中に聳えるように大きな木造家屋があって、気圧されるようだった。池ノ端三丁目4。



右側は六龍鉱泉の裏。この裏口の鉄の扉が未だに変わらないのも面白い。隣には木造二階家の町屋があった。池ノ端三丁目4。



そして、上野の山裾を巡る道に出て来たところ。その正面には、和洋折衷のお宅があった。元々は右手の駐車スペースは庭だったのではないかと思うが、木造の二階家とモルタル仕上げの洋風の部分が合体した家。今はビルになっている。池ノ端四丁目2。


1982年の写真に写っている天水桶は今も置かれている。


同じ家のアップ。日本建築の部分もかなり凝って繊細な作りになっている。細かい格子の入った玄関脇の窓など、美しい。池ノ端四丁目2。


モルタル仕上げの洋風建築部分。屋上に出るペントハウスが小さな帽子のようだが、このカットでは見えていない。窓や通用口の建具類が美しい。池ノ端四丁目2。


その並びの木造モルタル二階家。ここも建て直されている。池ノ端四丁目2。


その向かい側にあった木造二階家の二軒長屋。左側はぶち抜かれて車庫になっている。でも、元々は左寄りに玄関を持つ作りなのに対して、左側は店舗になっている。屋根にゆがみが出ている状態になっているが、お店は健気に営業中である。タバコに雑誌に、お菓子や飲み物の他に履き物も扱っていて、靴の修理の看板も出ている。池ノ端四丁目3。



通りを少し先へ行ったところ。大成教寿老教会という看板が掛かっている。この建物は今も変わらずにあるが、庭木が育って繁っているので、この頃のようには全貌が見えなくなっている。池ノ端四丁目16。



真正面から見たところ。今では希少な立派な木造家屋。池ノ端四丁目16。

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