東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

谷中、根津、池之端1982~その八

2013-10-16 18:29:12 | 1980年代初期の写真
引き続いて、1982年2月2日の谷中、根津、池之端を歩いて行く。今回のエリアは前回と隣接しているところで、大名時計博物館の方から坂を下って根津方面に下りてきたところで、旧藍染川の通りを北側に曲がった辺りと言うところから始まる。この通りは藍染川を暗渠化した跡の道で、片側が台東区谷中、片側が文京区根津という区界の道でもある。そこから不忍通りへ向けての少し広くなっている道は、藍染大通りという名が付けられている。この道は、位置関係から見ると不忍通りが出来る前に根津神社の参道として開かれていた道ではないだろうか。


藍染川跡の道、角を曲がって直ぐの谷中側にあった家。板塀が波板に貼り替えられているのが惜しいが、往年の雰囲気は充分に窺える。今は駐車場になっている。谷中二丁目5。


その少し先の並びにあった銭湯、真島湯。周囲には長屋だらけで、銭湯があってという町であったのが、今では信じられない程に変わっている。今はマンションが建っている。谷中二丁目5。



道を挟んだ向かい側。文京区根津である。こちら側は見事な長屋が連なっていて、壮観だった。ちらっと見えているよしのや酒店は、今も新しい建物の中で営業されている。根津二丁目33。



少し間を開けて、またも長屋があった。木造二階建てでこの当時でも古めかしく見えたが、なかなかのもの。根津二丁目33。



前のカットと同じ長屋を逆サイドから見る。今建てられているマンションは、長屋二軒分と裏手の敷地をまとめて建てられている様だ。右隣のクリーニング兼六舎は、今も変わらない。根津二丁目33。



クリーニング兼六舎の隣には、米屋さんがあった。今も建て直されて営業されている。愛染町販売所と大書された看板が掛けられていた。根津二丁目33。




ここからは、不忍通りと繋がる藍染大通りを見ていく。藍染川跡の道との交差点の角。雪印乳業根津販売所、貸本屋、仕舞た屋、鈴木塗装店と看板が出ている。今は新しい建物が出来ている。根津二丁目33。

2011年6月撮影。


並んでいる商店、その業種が今の時代と変わっているのが何とも言えない。根津二丁目33。

その並びの長屋は今も健在。


道の反対側。小さな菓子屋。菓子の特売堂と看板が出ている。コンビニが蔓延する前の時代には、町中にこうしたパンなども併せて販売する菓子屋があったものだった。根津二丁目31。

左のえんじ色のビルのところがかつての特売堂だったところ。


その隣の茶舗。出桁造りの店構えはなかなか立派なものだった。この当時の現在との違いとしては、路上駐車の数がまるで違っていた。どこの町でも、路駐する車を避けて撮影するのに苦労した。今では、路駐している車なんてほとんど見掛けなくなっている。この建物も取り壊されている。根津二丁目31。



その並びの銅板貼りの看板建築、榊原商店。今も変わらずにある。根津二丁目31。



一軒ずつ撮影しているが、木造二階家が並んでいるのが分かる。全て撮影するのが難しいほど、この当時にはまだそういう家が多かった。そして、ここは両側が建て替えられている中で、現存している。根津二丁目31。



その並びも出桁造りの商家だった。この時には店舗部分の改装工事をしているようだ。今は建て替えられている。根津二丁目31。

右側のビルが現在の姿。


木造二階家の二軒長屋。石川書店のガラス戸には、古書買い入れの張り紙がある。隣は芋甚。どちらも建て替えられている。根津二丁目30。


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