東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

「戦後・池袋~ヤミ市から自由文化都市へ」を見る(1)

2015-09-22 18:47:52 | 豊島区
前に、JR埼京線板橋駅にポスターが貼り出されていて、これは見てみたいと思っていた「戦後・池袋~ヤミ市から自由文化都市へ」という地域イベントを見に行って来た。会場は、立教大学、東京芸術劇場、豊島区立郷土資料館、立教学院展示室、旧江戸川乱歩邸、池袋西口公園、自由学園明日館、新文芸座、ミステリー文学資料館、池袋演芸場他という、正に池袋の地域ぐるみのイベントになっていて、興味深いものだった。今日は最終日だったのだが、まずは立教大学から旧江戸川乱歩邸まで。

立教大学のキャンパス、前は限りなく通っているのに、中に入ったことがなかった。築地明石町で創立されて、大正7年にこの地へと移ってきた。その頃から戦争までの時期の池袋東口は学園都市というのが相応しい様な、学校の町であったようだ。
もともと、池袋という地名の中心地はもっと板橋寄りの現在の池袋本町のあたりだったようで、現在の駅のあたりは人家もなく寂しいところだったという。江戸時代には高田村の農民が、板橋宿に行く途中で辻斬りにあい、その慰霊碑が今も残されている。それが戦災で焼け野原と化し、ヤミ市の栄える町になったわけである。
この続きは次回にもう少し詳しく書くつもりだけど、池袋の町の歩みを、街全体で大事にしていこうという雰囲気の感じられるイベントで、商業的な色合いよりも主催者の思いがきちんと反映されている雰囲気があって、それが街全体に及んでいるという意味でも面白いイベントになっていたと思う。


構内を抜けて歩いていたら、チャペルは見学自由とのこと。ステンドグラスが綺麗なのが外からも分かる。


チャペルの中。古い建物だけど、見事に手入れを重ねて使われてきているのが分かる。


祭壇が正面にある。


その横手にはパイプオルガン。賛美歌を皆で歌う声が響くのだろう。


中から見たステンドグラス。


正門のところまで行くと、旧乱歩邸公開の案内が出ている。


立教大学に隣接したところに、旧乱歩邸はあった。


今は立教大学に寄託されて、江戸川乱歩記念大衆文化研究センターという名称になっている。


乱歩作品や、愛用した品々など、彼が生活した環境のままに保存されている。


昭和9年7月にここに越して来て、昭和40年に亡くなるまで、ここに江戸川乱歩が暮らしていた。それは東京の町の変遷とも重なるところが多い。震災後に一気にそれまで郊外であったエリアの都市化が進行していき、それは周辺部の生活環境の成熟も同時に起きていたわけで、池袋もターミナル駅ではあったけど、繁華街には程遠い寂れた場所から次第に発展していく道筋の端緒であったと言えるのかもしれない。


内部に入ることは出来なかったけど、展示は撮影も可で、気楽に見て歩ける。


旧乱歩邸が2002年に立教大学に帰属して以来、見学に来てみたいと思っていたので、良い機会だった。


庭に回って、応接間を外から見ることが出来る。昭和期の住宅建築としてみても、面白い。


奥には書庫として使われていたという、この家のシンボリックな存在でもある蔵がある。


入口も綺麗に整備されて、乱歩の蔵書が眠っている。


重厚な蔵の扉。



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