東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

「戦後・池袋~ヤミ市から自由文化都市へ」を見る(2)

2015-09-23 16:23:29 | 豊島区
そして、立教大学から東京芸術劇場へと歩いて行く。この場所はかつて、豊島師範学校があったところ。


芸術劇場が出来ると聞いた時には、あの池袋に?と思ったけど、今ではすっかり地元の顔になっている。


五階のギャラリーが会場で、池袋の昔の写真など、豊富に展示されている。これが中々面白かった。私が知っているのは高度成長期以降だけど、西武デパートの前が都電のターミナルになっていたのも覚えているし、丸物百貨店だって覚えている。私の母親は、昭和20年の終戦の年に板橋に越して来て、その時が中学生だった。


それだけに、戦後の池袋というのは、我が家にとってはどこか親しい思いのする町なのだ。そして、ヤミ市が昭和三十年代まで続いたことなど、山手線の西側のターミナルの中では、どこか泥臭くて、胡散臭い匂いが一番強かったし、場末感も漂っていたのが池袋だった。
だから、いつの間にか、そんな過去を振り捨てて、渋谷と見紛うような店が並んで、若者の街に姿を変えているなんていう話を聞くと、どこか信じられない様な気がしたものだ。


一番身近なデパートのある駅だけど、ハレの日の場ではないというのが、池袋だった。それでも、西口の梅屋にピザを食べに行くのはあの頃の我が家のお決まりパターンだった。ハレの日には銀座なんだけど、もっと日常的なのが池袋。


高度成長期を迎えていても、どこか戦後の復興期の香りを残していたのが、池袋の面白さでもあった。サンシャイン60の開業当初は閑古鳥が鳴いて先行きが危ぶまれたものだけど、今となってはあれが池袋を大きく転換させていったことはまちがいない。中学生になることまでは、池袋の駅の外に一人で出掛けていったことはなかった。何にもなかったこともあるけど、デパートの他に何かというのはなかったなとも思う。


今回の展示の中では、三角炻が心血を注いだ人生座についての展示があったところも面白かった。板橋駅近くに弁天座があったことも、その記憶だけはうっすらと残っている。


比較的固い内容のイベントを町ぐるみの規模にして開催されたことには、脱帽としか言い様がない。一端を見て回っただけだが、とても濃い内容で楽しめた。そして、何よりも池袋の歴史が自分や家族の歴史と重なっているという意味でも、興味深いものだった。東京という巨大都市の一断面としても、池袋というターミナルの町の消長を見ていく事は中々面白い。次があるのかは分からないのだが、こんな良いイベントはどんな形になるにせよ、継続して欲しいものだと思えた。

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