さて、金剛院のとなりには長崎神社がある。元々、金剛院が別当寺であったそうで、見て歩いていると、仕切の塀がある方が不自然に思えたりもする。それでも、金剛院が境内も綺麗に整備されていて、あまり寺代を感じさせない、近代的な雰囲気を漂わせているのに対して、長崎神社の境内は農村時代の雰囲気を色濃く残している様で、それはそれで面白く感じる。
参道の脇には、日露戦役記念碑が立つ。山県有朋の筆になるもの。
木製の鳥居。重厚な雰囲気がある。創建年代不詳とのことで、江戸時代には十羅刹女社と呼ばれていたそうだ。明治の神仏分離令で、須佐之男命を祀るようになり氷川神社、そして長崎神社と改称したという。この神社も、神仏分離令に振り回されてきている。(「猫のあしあと」より)
境内には古木が数本あって、趣がある。
村の時代から、この地にあった木なのだろう。
社務所も良い雰囲気。
こんなアングルで見ると、武蔵野の面影なんて言いたくなる。背後には、金剛院の伽藍が見えている。
拝殿は寛政十年(一七九八)の築で、明治三十二年(一八九九)の改築なのだろうか。本殿は嘉永二年(一八四九)の改築と出ている。(「椎名町インフォメーション」より)
シンプルだけど、丁寧な造りといった感じ。
凝った細工の奉納額。
社殿のとなりには、小柳稲荷神社が祀られている。
やはり稲荷社はつきものである。
その反対側には、招魂社がある。こちらは、明治神道からの系譜の中で造られたのだろう。日清戦争以後の戦没者を祀っている。
境内の雰囲気。
参道の脇には、日露戦役記念碑が立つ。山県有朋の筆になるもの。
木製の鳥居。重厚な雰囲気がある。創建年代不詳とのことで、江戸時代には十羅刹女社と呼ばれていたそうだ。明治の神仏分離令で、須佐之男命を祀るようになり氷川神社、そして長崎神社と改称したという。この神社も、神仏分離令に振り回されてきている。(「猫のあしあと」より)
境内には古木が数本あって、趣がある。
村の時代から、この地にあった木なのだろう。
社務所も良い雰囲気。
こんなアングルで見ると、武蔵野の面影なんて言いたくなる。背後には、金剛院の伽藍が見えている。
拝殿は寛政十年(一七九八)の築で、明治三十二年(一八九九)の改築なのだろうか。本殿は嘉永二年(一八四九)の改築と出ている。(「椎名町インフォメーション」より)
シンプルだけど、丁寧な造りといった感じ。
凝った細工の奉納額。
社殿のとなりには、小柳稲荷神社が祀られている。
やはり稲荷社はつきものである。
その反対側には、招魂社がある。こちらは、明治神道からの系譜の中で造られたのだろう。日清戦争以後の戦没者を祀っている。
境内の雰囲気。
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