東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

板橋区~旧中山道から和宮降嫁の道~その二

2013-12-09 19:26:21 | 板橋区
さて、板橋区の旧中山道の和宮降嫁の際に開かれたという、縁切り榎を迂回する道筋の後半である。
道筋の全体像は、地図をもう一度見て頂こう。富士見街道は古くからあったようだが、現在の環状七号線のルートで旧中山道から分岐していたようだ。


観光七号線を過ぎて、先を望む。前方には石神井川が流れており、その為に向こうの高さが下がっているのが分かる。当時はこれ程広い道ではもちろんなかっただろう。


この道沿いにあった出桁造りの商店。二階の戸袋に銅板が貼られている。屋根下の漆喰壁の感じ美しい。


側面はサイディングが貼られているが、周囲が木造モルタル仕上げの看板建築の中に、一軒だけ残されている。昭和の初期にはこの通りがそれなりに開けていた証拠と言えるのかもしれない。リフォームされているが、建物の雰囲気が分かって良い形で使われていると思う。


さらに進んで行くと、住宅街といった雰囲気になってくる。


そして、真っ直ぐ行くと坂を下って石神井川へ向かうのだが、この時に開かれた道筋はこちらではない。ここで向きを変えて左手に向かう。


現代では一方通行が逆方向に指定されている。こちらが、和宮降嫁の道の続きになる。


こちらの道を行っても、次第に道は下っていく。右にカーブしながらの下り坂になっている。


道沿いに進んで行くと、右手に石垣がある。日曜寺というお寺である。この辺りは、明治の頃に静岡から東京に戻った徳川慶喜が訪れて写真を撮ったりしている。


お寺の左手の木が慶喜の写真に写っていた木ではないかと思えるのだが、周辺には人家もなく、荒漠とした様子だった。明治中期以降のこと。ちなみに、この先の奥の方、明治の終わり頃には板橋競馬場が造られたりもする。ここは短命に終わって、今はその痕跡も残っていない。


お寺の本堂は戦災で焼失している。山門の扁額が、松平定信によるものという。


本堂は、コンクリート造りのもの。日曜寺の前は、根村用水が流れていた。今は暗渠化されているが、石の橋が残されている。


日曜寺前の様子。「止まれ」の先は、中板橋方面へ続く道。


これはその道に出て、振り返って見たところ。この道は恐らく前から存在したのではないかと思う。ここまでが新しく作られた道であったのではないだろうか。


そして、先を望むと、国道17号線と首都高速道路が見えている。


国道17号線の交差点。かつては、もちろんこの道はなかった。


17号線を越えたところにある、これも古い木造二階建ての商店。


今は仕舞た屋になっているが、手入れはしっかりされていて、あまり古い家が残っていない板橋の宿場町では貴重な存在。裏手にも、木造の家が並ぶが、その直ぐ後ろには高層マンション。


そして、もう直ぐ先が旧中山道に突き当たる。この迂回ルートを使って和宮一行は、板橋宿へ入り、板橋を超えた仲宿の本陣へ入ったのだろう。


中山道から、来た道を望む。縁切り榎は右手で道が曲がっているので見えない。


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