今回で佃も終わり、これで中央区内で撮影した分は概ね公開できた。月島もそうなのだが、清澄通りの海側の一体というのは区画も整然としていて、家々が建ち並んでいる様が落ち着いた感じがした。晴海の埋立地が出来るまでは、海に遊ぶ宿があったりしたという。昭和初期の良い雰囲気の家が多かったので、ここでのカット数もそれなりに多い。御屋敷とか邸宅とかいうのではない、市井の人々の暮らしと共にある家というべきか。撮影は、1981年10月3日、1982年2月18日19日。現在の画像は2011年5月14日撮影。
最初のカットは清澄通り沿いの二丁目19番。野原リーム。看板にはリームと書かれているけど、リムという方が普通かと思う。車やバイクなどの車輪の外側の丸い部分をリムという。店の前でご主人が作業されているのは、スポークホイールのリム組。中心のハブとリムをたくさんのスポークで張りを調整しながら固定する。最終的にハブとリムの中心を揃えなければならないという作業。根気と熟練の必要な作業。今は高層マンションになっている。
三丁目4番。清澄通りを渡った反対側の商店。パン屋藤屋ベーカリー、この頃は多かったのだなと思う。伊藤パンの看板が目立った。今はマンションになっている。
三丁目4番。その並びの丸久屋蒲団店に工具屋麻生商店。モルタル造りのなかなか風格のある看板建築。その向こうのビルもあわせて今は無い。マンション建設工事中。
三丁目2番。清澄通りを少し相生橋の方へ進んで、三丁目へと入っていく。その直ぐの道の左側の様子。ここも歩道狭しと植木が並ぶ。奥の向こうの方には小野田セメントのサインが見える。今はそこにも高層マンションが建っている。
三丁目2番。その並びの家を一軒ずつ見ていく。標準的な二軒長屋。窓の格子が繊細な感じだし、良い生活感がある。この並びもほとんど建て替えられている。
三丁目2番。その隣の家。看板は池坊とあるので、華道教授か。これも同じような造りだが、二軒の玄関の位置関係が違う。右半分のみ健在。
三丁目3番。通りの向かい側にあった閉店している酒の店かっぱ。この写真でも閉店して年月が経っているのが分かる。隣は銭湯。今はマンションになっている。
三丁目9番。その並びの奥の様子。この長屋は今も健在。
三丁目9番。床屋さん、今の方が塗り直されて綺麗になっている。
三丁目9番。その並びの奥。同じ造りの二軒長屋が二つ...と見えるけど、実は二軒一軒と向こう二軒という形になっている。今も健在。
三丁目9番。更にその奥の並び。ちょっと雰囲気の違う二軒長屋。この栄は今も健在だが、劇的なリフォームをされている。かなり変わってはいるけど、大切にされているようで良いことだと思う。
三丁目9番。その奥は道なりに直角に曲がる。これも普通の家だけど、ちょっと良い感じの昭和の住宅という印象。今はマンションである。
三丁目8番。さて、そこからこのブロックの中へと入っていく。先程の角に床屋さんのあった道へと入る。二軒長屋の標準的なスタイル。これも良い感じで使い込まれている。現存してる。
三丁目4番。家の前の僅かなスペースに木を植えてある。これも江戸以来の文化だった。この家も現存しているが、大幅なリフォームがされている。家の前の木はない。
三丁目8番。その道路をちょっと行った向かい側。この家もモディファイを受けつつも健在。これも昭和の住宅という良い感じの家。
三丁目7番。更にその並びの一軒。この時点でもそれなりに手が入っている。家の横の天水桶が良い感じ。柴崎公認会計士税理士事務所というのと、川村商事という二つの看板が貼られている。今は外壁にサイディングが貼られているが、健在。
三丁目5番。その通りを出てきた角の長屋。角の家は「もみりょうじ所」と書かれている。トタンの波板張りにされている。今は企業の社員寮が建っている。
佃もこれで終わり。もう少し霊岸島とか人形町辺りも歩いておけば良かったなとは思うが、どう思おうと三十年近い歳月は過ぎ去っている。この為にあちらこちらを歩き回ったことは、東京の町の土地勘を得るという点でも有効だったと思う。今でも、この頃から培われてきたものを持ち続けているし。
最初のカットは清澄通り沿いの二丁目19番。野原リーム。看板にはリームと書かれているけど、リムという方が普通かと思う。車やバイクなどの車輪の外側の丸い部分をリムという。店の前でご主人が作業されているのは、スポークホイールのリム組。中心のハブとリムをたくさんのスポークで張りを調整しながら固定する。最終的にハブとリムの中心を揃えなければならないという作業。根気と熟練の必要な作業。今は高層マンションになっている。
三丁目4番。清澄通りを渡った反対側の商店。パン屋藤屋ベーカリー、この頃は多かったのだなと思う。伊藤パンの看板が目立った。今はマンションになっている。
三丁目4番。その並びの丸久屋蒲団店に工具屋麻生商店。モルタル造りのなかなか風格のある看板建築。その向こうのビルもあわせて今は無い。マンション建設工事中。
三丁目2番。清澄通りを少し相生橋の方へ進んで、三丁目へと入っていく。その直ぐの道の左側の様子。ここも歩道狭しと植木が並ぶ。奥の向こうの方には小野田セメントのサインが見える。今はそこにも高層マンションが建っている。
三丁目2番。その並びの家を一軒ずつ見ていく。標準的な二軒長屋。窓の格子が繊細な感じだし、良い生活感がある。この並びもほとんど建て替えられている。
三丁目2番。その隣の家。看板は池坊とあるので、華道教授か。これも同じような造りだが、二軒の玄関の位置関係が違う。右半分のみ健在。
三丁目3番。通りの向かい側にあった閉店している酒の店かっぱ。この写真でも閉店して年月が経っているのが分かる。隣は銭湯。今はマンションになっている。
三丁目9番。その並びの奥の様子。この長屋は今も健在。
三丁目9番。床屋さん、今の方が塗り直されて綺麗になっている。
三丁目9番。その並びの奥。同じ造りの二軒長屋が二つ...と見えるけど、実は二軒一軒と向こう二軒という形になっている。今も健在。
三丁目9番。更にその奥の並び。ちょっと雰囲気の違う二軒長屋。この栄は今も健在だが、劇的なリフォームをされている。かなり変わってはいるけど、大切にされているようで良いことだと思う。
三丁目9番。その奥は道なりに直角に曲がる。これも普通の家だけど、ちょっと良い感じの昭和の住宅という印象。今はマンションである。
三丁目8番。さて、そこからこのブロックの中へと入っていく。先程の角に床屋さんのあった道へと入る。二軒長屋の標準的なスタイル。これも良い感じで使い込まれている。現存してる。
三丁目4番。家の前の僅かなスペースに木を植えてある。これも江戸以来の文化だった。この家も現存しているが、大幅なリフォームがされている。家の前の木はない。
三丁目8番。その道路をちょっと行った向かい側。この家もモディファイを受けつつも健在。これも昭和の住宅という良い感じの家。
三丁目7番。更にその並びの一軒。この時点でもそれなりに手が入っている。家の横の天水桶が良い感じ。柴崎公認会計士税理士事務所というのと、川村商事という二つの看板が貼られている。今は外壁にサイディングが貼られているが、健在。
三丁目5番。その通りを出てきた角の長屋。角の家は「もみりょうじ所」と書かれている。トタンの波板張りにされている。今は企業の社員寮が建っている。
佃もこれで終わり。もう少し霊岸島とか人形町辺りも歩いておけば良かったなとは思うが、どう思おうと三十年近い歳月は過ぎ去っている。この為にあちらこちらを歩き回ったことは、東京の町の土地勘を得るという点でも有効だったと思う。今でも、この頃から培われてきたものを持ち続けているし。
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