古いネガを整理していると、忘れていた板橋で撮影した写真が出てくることがある。それをスキャンして貯めていたのだが、少しまとまったのでこれまでの追加分として掲載してみようと思う。撮影時期は様々で1977年から1980年に掛けてのもの。
まず、板橋駅北側の踏切から駅構内を見渡したカット。1977年1月に撮影したもの。今はマンションが建っている住友セメント工場の在りし日の姿。貨車で到着した原料をクレーン . . . 本文を読む
神社に興味を持つようになったのは、この神社を知ってからだったかもしれない。我が家の周囲を歩き回っていて、その範囲を広げていった時にこの神社を知った。板橋区双葉町の氷川神社である。
国道17号線から中板橋方向へ入っていく道筋、さらに1本裏の通りに入ると染め物関係からの信仰が厚い日曜寺という寺がある。その横を抜けて、ずっと進んでいき、飽きた頃に右手を見ると坂の上に神社が見える。それがこの双葉町氷川 . . . 本文を読む
地元の板橋区立郷土資料館には、何度も足を運んでいる。なかなか意欲的な企画展を催してくれるので、惹き付けられるものがある。やはり、地元には愛着もあり、思い入れもあるので、地元の施設にも肩入れしてしまう。場所は板橋でも奥の奥と言った感じの都営三田線西高島平駅から徒歩13分、東武東上線下赤塚、成増駅より徒歩23分、もしくは都営三田線高島平駅と東武東上線成増駅を結ぶバスを利用するかといったところ。現地には . . . 本文を読む
JR埼京線の板橋駅と言えば、私にとっては最寄り駅でもあり、馴染み深い。駅の様子も昔から大きくは変わらないと思っていたのだが、古いネガを見ていたら板橋駅で撮影した写真が出てきて、変わらないようで結構変わって来ているのだと気付かされた。そこで、板橋駅について振り返ってみようと思う。まず、板橋駅の貨物扱いをしていた様子をまとめた図である。青で塗ったところが貨物を使っていた場所である。今は全て無くなってい . . . 本文を読む
さて、今回は千川上水を少し遡って大山駅にほど近い辺りに明治時代にあった板橋競馬場と現在も東京都健康長寿医療センターという形になった養育院について、触れてみようと思う。まずは位置関係から見て頂こうと思う。この地図は、明治44年版の通称郵便地図と昭和16年版の板橋区の地図を元に、重ね図を作成して位置を絞り込んだ地図である。自分自身の興味の為に作成してみたのだが、当然誤差もそれなりにあるはずなので、ご承 . . . 本文を読む
さて、その二というほどでもないのだが、板橋一丁目関連の書き忘れたことなど、補完ということで。
千川上水についてだが、こういった人口河川は辺りの標高の一番高いところを通していく。当然、川下が低くなるようにはなっているわけだが、周辺より高いところを流れていくのが特徴と言える。これには理由があって、後々に水を分けていくときなど、高いところからはどんなところへも通水していけるからな訳である。板橋駅近くの . . . 本文を読む
これまでは板橋宿の中仙道の北側を見てきたのだが、今回は街道の反対側一丁目に触れてみようと思う。北園高校辺りから下板橋駅辺りに掛けては、昭和20年4月の空襲で焼けてしまい、戦前の面影を失ってしまったのは非常に残念なことだと思う。このエリアの特徴としては、地形上の一番高いところと低いところの両方を川が流れているということだろう。高いところを流れる川というのは、どう考えてもおかしいと思われるだろうが、人 . . . 本文を読む
ここまで見てくると、板橋の町の特徴として、旧中山道に近い元々の宿場町裏手が、その背後を加賀藩下屋敷に押さえられてしまい、狭い中で町が発展したこと、昭和初期に宅地開発された上御代の台分譲地は東京府の指導で行ったというだけあって、宿場町裏の路地を巡るような町並と違って、道路幅も広く区画が広く取られていたことなどお分かり頂けるかと思う。これとは別に、陸軍東京第二造兵敞の存在があり、それに付随する将校官舎 . . . 本文を読む
さて、板橋を歩くの続き。前回は仲宿交差点のところまで来たところ。そこから続けていこうと思う。
仲宿交差点は今は小さな交差点だが、戦前から戦後間もない頃まではロータリーと呼ばれていた。ヨーロッパ式の交差点で、交差点に入ったら決まった方向へ回っていき、行きたい方向へと出ていくというスタイルである。東京市内でも何カ所も作られていたようだが、結局定着することはなかったようだ。今やってきた王子新道は明治に . . . 本文を読む
.さて、私の地元板橋をテーマにするとなると、基本的には三つの大きなテーマに分けていくことができる。一つは宿場町としての板橋宿、そしてもう一つが加賀藩の下屋敷のこと、そして最後に明治以降にできた陸軍東京第二造兵敞ということになる。この中で、後の二つについては広大な下屋敷があったが故に、後に陸軍造兵敞が置かれることになる流れがある。また、位置的にも重なるので、切り離して話を進めるよりも合わせて話を進め . . . 本文を読む