東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

板橋一丁目~千川上水と谷端川、下板橋駅~その二

2011-09-22 19:14:19 | 板橋区
さて、その二というほどでもないのだが、板橋一丁目関連の書き忘れたことなど、補完ということで。

千川上水についてだが、こういった人口河川は辺りの標高の一番高いところを通していく。当然、川下が低くなるようにはなっているわけだが、周辺より高いところを流れていくのが特徴と言える。これには理由があって、後々に水を分けていくときなど、高いところからはどんなところへも通水していけるからな訳である。板橋駅近くの千川上水跡の道路は明らかに旧中山道よりも高く土手上になっている上を通っている。昭和の初期には暗渠化されてしまうのだが、これも市街化が進んだことで年間数人が水へ落ちる事故が起きたり、大雨の際に溢れたりといったことがあった為だという。

上水とは関係ないが、この板橋駅近くの旧千川上水の道沿いに「与華楼」という中華料理店があり、私が幼い頃から家族でよく出掛けていた。美味しい中華料理を食べさせてくれた店で、皮がピンク色の餃子、ニラレバ炒め、鶏のカシューナッツ炒めなど、たくさんのメニューが記憶に残る。中でもジャージャー麺が美味しかった。八丁味噌を使って、ドロリとしたソースが掛けられて、銀色の打ち出しの皿に盛りつけてくれ、グリーンピースが散らしてあった。それぞれのメニューにちょっとしたキャッチフレーズが付けられていて、幸せのピンク餃子とかそんな具合だった。今も思い出すと懐かしく食べてみたいと思うのだが、バブル期に店を閉めてしまい、今はどこに店があったのか、痕跡もない。私の知る限りでは昭和40年代以降ではあるが、板橋の美味しい店として記憶に残る店だった。早世したした姉と二人で両親の留守に食事に行ったのが最後の記憶になっている。

さて、千川上水は前回に掲載した写真で、板橋区役所前付近で一旦国道17号とクロスして裏へ回って、再び国道と交差していく経路を取っている。この裏に入ったところが、今は大きな駐車場になっていて、大木が残されているのだが、かつてはここに喜奈古屋という料亭があった。そして、上水に水車が設けられていて名物になっていたという。私の母は昭和20年の終戦後に板橋へ越してきたのだが、その頃この喜奈古屋が寿司屋もやっており、そちらの屋号はたから寿司といったそうだが、そこから出前を取っていた記憶があるという。『三五の原の佐藤さん」と言われていたと話してくれた。これは、戦前の喜奈古屋。板橋区発行の「写真は語る」より。その後、私の知るところでは「文豪屋敷」という名前の料亭になっていた。私自身がこういった過去の痕跡に興味を持つようになる以前に店は閉店になり、全て取り壊されて駐車場になってしまった。


また、以前に豊島郡衛への道を取り上げた際に、西巣鴨近辺の明治通りから斜めに入る道で、道がくねっているのだが地形的には川があったわけではないだろうと書いたのだが、ここも西巣鴨堀割交差点付近で千川上水から分水された流れが王子方面へと流れていたという。これは幕末に今の醸造試験場の辺りに幕府が火薬製造所を作ろうとしていた為に、ここへ通じる水路が造られたのだという。この辺りは、面白い古道がクロスしているので、改めて取り上げたいと思っている。西巣鴨の堀割交差点は明治通りをすこし池袋寄りへ行ったところで、その向こうは谷端川の谷になっている。その際の高台に千川上水は流れ着いていて、今も公園になっているのだが、分水堰が設けられている。このあたりも、別項で取り上げるのでここではざっと触れるのみでお許し頂きたい。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 板橋一丁目~千川上水と谷端... | トップ | 大正・渋谷道玄坂~藤田佳世著 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

板橋区」カテゴリの最新記事