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タンポポの「最期の一花」




ある日、田んぼ脇の農道一面にわっと咲いた西洋タンポポ。見慣れていた農道は、タンポポの黄色い花で埋め尽くされていた。写真に納めていればよかったのだが、その時はカメラもスマホも持参していなかった。残念。
次の日にカメラ持参で行ってみたが、チラホラで前日の半分の様相。ということで、これも写真はパス。そのうち、「3.11」関連行事のことや知人のスミレの話題に気を取られ、タンポポのことはすっかり頭から抜け落ちてしまった。巷では新型コロナウイルス感染拡大防止のため学校も休み、公共施設も使用禁止となり、「3.11」関連行事も中止となった頃だ。

田んぼの準備のこともあり、久しぶりにタンポポの農道へ行ってみた。雨上がりの早朝である。おおっ!、そこには雨粒をいっぱい携えたタンポポの花が数個。その姿をLINEで「タンポポの成れの果て」の文字を添えて友人らに送った。
でも、「成れの果て」という言葉は良くなかったように思う。一般的には、「成れの果て」の意味は「落ちぶれはてた姿」などだ。タンポポは花を咲かせ、種を飛ばし、立派に役割を果たした姿なのだから、落ちぶれはてた姿ではない。人間で言えば、子どもを産み、育て上げ、余生を送り、最期を迎えている姿だ。「最期の一花」の方が適切だった。
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