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壱岐・対馬行/その5(万松院・万関橋)

ツシマヤマネコ(観光パンフより)


宗家累代の菩提寺万松院山門


万松院の三具足


登り損ねた墓群への石段


建設中の博物館(手前右)と山上の清水山城


博多からの客が降りた後ジェットフォイルに乗り込んだ。飛行機のように座席指定だ。私の席は左舷の一番うしろ。しかし、これが悪かった。何しろジェットエンジンのすぐ近くで、うるさいのだ。壱岐から対馬までシートベルトをしたままの昼食となった。配られた弁当は、バスの中で何度も予告された壱岐名物のウニご飯。といってもご飯の上にウニがのせてあるのではなく、混ぜ込んであるという弁当だ。お腹も空いていたのですぐに食べ終わった。ごちそうさま。
この日も天気抜群!そして海はべた凪。ジェットフォイルは海の上を浮上して走る。ガスタービンエンジン駆動のウォータージェット推進機で1分間におよそ180トンもの海水を吸い込み、強力なウォータージェットとして船尾ノズルから後に向けて噴射するのだという。180トンの水とは25mプールの半分ほどの量だそうだ。だから速い。壱岐芦辺港から対馬厳原港までは約1時間強だった。
港に着くとすぐに、待っていたバスで市役所近くのふれあい処へ。対馬の観光案内とお土産施設だ。いきなりのお土産施設にはまいったが、観光コーナーにはツシマヤマネコの動画があった。実物に会ってみたいが、今回は予定なし。残念。ツシマヤマネコは、国の天然記念物に指定されていて、環境省のレッドリストでは絶滅危惧ⅠA類に分類される絶滅の危険性が高い種だ。動画のヤマネコは2匹で、田んぼのあぜ道で戯れていた。世界中どこでもだが、この数十年の間に多くの種が滅んだり絶滅の危機に瀕している。危機におとしめているのは人間の活動だ。地球上で最も悪い種は、ヒトということか。複数のわが師は、宗教家ではないが「小欲知足」を説く。
ふれあい処のすぐ側では新しい博物館が建設中で、ドドドッと工事音を響かせていた。ひと時、時間が過ぎた後、次に向った所は万松院。歩いて5、6分ほどだったか。1615年(元和1)創建の対馬藩主宗家累代の菩提寺だ。数度の火災で本堂は明治に立て替えられたようだが、山門と仁王像はそのままで、安土桃山様式とか。本堂でお参り後、目に留まったのは朝鮮国王から贈られたという大きな置物。そう、ここ対馬は朝鮮通信使ゆかりの地だ。対馬市指定文化財になっている「万松院の三具足」だ。左から大きな花立て、獅子が香煙を出す香炉、亀の上に凛として立つ鶴の燭台だ。しばし観覧、立派だ。
対馬でのガイドは地元男性で、説明は懇切丁寧だった。しかし、懇切丁寧は時にアダになる。山門の右手には高い石段があるのだが、ここに登り損ねた。山門や本堂に時間を取られ過ぎたのだ。階段を上れば巨大な墓群と樹齢1200年という大杉3本に相見えたのだ。階段の途中に大杉があるのはあとで気付いたが何とも心残りだった。それにしても、万松院背後の照葉樹林は見ていて飽きることはなかった。対馬は平地は少なく山また山だ。背後に広がる山々は、急角度で天に昇るほどに広がり、緑々しているのだ。その一角に白い石垣が2カ所見えた。秀吉の朝鮮出兵の時に築かれた清水山城だ。時間があれば登ってみたいところだったが、これも残念。尚、秀吉の朝鮮出兵で対馬にとって命綱であった朝鮮との交易は断絶、家康の登場を待たねばならなかった。学校では教えてくれなかったが、江戸期鎖国政策の中でもわずかだが対馬は朝鮮との交易を続けていた。但し、朝鮮も鎖国政策をとっていたため長崎出島ほどではない。


当時のままの対馬藩お船江跡


浅茅湾と日本海をつなぐ水路(万関橋から)


板状の岩で葺かれた休憩所

万松院のあとは、近くの対馬藩お船江跡に。藩の御用船を係留した船だまりだ。江戸期の遺構が原型そのままのため、当時を知るにはとても貴重なところだ。当時の船が復元されていればなお良かったがそれは無し。写真左の係留船は、当時のものではなく、現在の船。残念。
さて、そこからバスは厳原市街を抜けて国道382号線を北上し、下島から上島方面へ。対馬は南北の細長い島でやや東に傾いている。その中央部よりやや下の所で、西の東シナ海からリアス式の湾が大きく入り込んでいる。浅茅湾だ。しかし、湾は日本海側には抜けていなくて、細い陸地でつながっていたのだ。そのため、湾に入ってきた船は、細い陸地部分で船を陸に引上げ日本海に抜けていたのだ。そこには小船越、大船越の名が残っているが、大船越には1671年(寛文12)に運河が造られ自由に行き来できるようになった。バスはその橋の上を通り、明治期に新たにつくられた大きな水道へ。人工の瀬戸だ。1900年(明治33)、軍事上の理由で当時の帝国海軍が艦船が通行できるように大掘削したのだ。その上にかかる万関橋は1996年(平成8)に完成、現在海上陸上の交通の要所となっている。橋の上から眺めると、直線的に切られた両岸と眼下の青い流れがとても印象的だった。橋のたもとには、対馬ならどこでもあるという板状の岩で葺かれた休憩所があった。これは観光のためのもので、石葺屋根の建物は台風や季節風、あるいは火災から食料などを守るための倉庫としてつくられたそうだ。
しばしそこで過ごした後、バスは万関橋を渡り上島へと進んだ。
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