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甑島(里港周辺〜串木野新港)


3日目の夕食は、地元の居酒屋さん。雲間に時折月が顔を出す天気。傘を持って歩いて出掛けた。観光案内所からは、地元の居酒屋さんなどは地元の人が利用するので、予約しておいた方がいいとアドバイスをいただいていた。集団ともなればなおさらだ。一応、昼間に電話はしてあった。だが、やはりまずかった。大人数にすぐには対応できないのだ。私のほか数人は、最も簡単なはずの刺身定食を頼んだのだが、食事できたのは約1時間後だった。誰が悪いと言うことはないだろう。2、3人で行くならすぐにできたのだろうが、大人数ではやはり無理があったようだ。だが、とにかく食べることができたということで、良としたい。

4日目。今日こそは帰れるだろう。ホテルの朝食は言うことなし。美味しかった。出港は12時50分だ。それまで時間たっぷりある。ということで、またまた里港周辺散歩。歩けばやはり何か見つかる。すぐそばの公園に「里の風」と題する石彫があった。里のシンボルと言ってもよさそうだが、観光パンフ等には載ってないので足を運ぶ人は少ないようだ。見えていても見てないということになりそうだ。題名のごとく、風を感じさせるいい石彫なのにちょっと残念。じっくり見た後、公園の階段を降りた。その時、ちょっといい発見をした。目に止まったのは石垣の石にある紋様。地衣類がきれいな紋様を描いていたのだ。まるで着物の柄そのもの。自然はやはりすごい。ところで、地衣類をコケ類と書きそうになった。調べてみると、やはり違う。コケ類は植物だが、地衣類は植物でなく、菌類なのだそうだ。地衣類は自分では光合成ができないので、藻類と共生して暮らしているらしい。「似て非なるものここにあり」といったところだ。私たちの足元には不思議がいっぱいだ。





さて、時間もそろそろ近づいてきた。乗船名簿を提出し、乗船券をいただいた。待合室も人が増えてきた。今度こそ出港だ。帰路では、左舷窓側のスペースに陣取った。左舷側に双子島が見えるはずだったので、どうしても左舷窓側を確保したかった。大正6年から2年間だけ、銅の採掘も行われた島だが、時代が下ると昭和33年に、鉱床ではウラン・チタン酸化物のブランネル石による放射能異常が確認されている。また、露出している岩から領家帯に属する島とも考えられているのだ。見逃す手はない。近島に続き、野島、そして双子島が姿を見せた。名前のように真ん中から二つに分かれている島だった。そしてその向こうに白く輝く沖ノ島が見えた。ここは、釣りの絶好のポイントのようだ。





というようなことで、写真を撮れるだけ撮って、あとは甲板へ上がった。往路に見たように九州本土側には川内原発や川内火力が見えていた。そして、甑島はフェリーの航跡の先に遠ざかりつつあった。さようなら甑島だ。しばらく見ていると、甑島の方に真っ黒い雲が広がり始め、フェリーをどんどん追いかけてきた。とうとう串木野新港に着く頃には雨粒が落ち始め、下船時は強い雨模様となった。なので、ここで参加者とはお別れだ。と、ここで突然思い出した。会の旗をリュックに入れたままだった。絶景ポイントで、旗を持って集合写真を撮ろうと思っていたのだが、1枚も撮っていなかった。そのため、雨を避けて待合所の軒下に全員集合。最悪ポイントでの写真撮影となった。




帰りに、川内駅まで熊本からの参加者を送り、1階の「駅市 薩摩川内」で甑島産を念頭にお土産を買い足し、わが家を目指した。途中、県境を超える頃には晴れ間が覗き始め、家に帰り着いた時には星空が広がっていた。九州の中でも、九州山地に囲まれた宮崎平野の天気は他所とは違う。冬には晴れ間が多く、雪は全くと言っていいほど降らない。なので、甑島の悪天候も、なかなかいい経験だった。なお、甑島で買った「木立甘酢」(キダチアロエで作られたお酢)は、とても美味しかった。
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