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壱岐・対馬行/その1(宮崎から唐津)

盆地っ子のシンボル霧島連山


おだやかバルーン

新型コロナで旅行がままならない中、ツアーで旅に出かけた。行く先は壱岐と対馬。九州内の旅行は、車を運転していくのが普通なのだが、今回はツアーなので旅行会社まかせの旅だ。

宮崎駅東口早朝7:00発。宮崎駅出発と言っても列車ではなく、貸切バス。世の中は、コロナ禍なので一人に2席が与えられた余裕の座席。GoToキャンペーンの旅行なのでかなり割安。それに加えて地域共通券もついていた。
宮崎市街を抜け、宮崎自動車道へ。天気は雲ひとつない快晴。都城インターを過ぎると、車窓からは盆地っ子のシンボル霧島連山がくっきり。これほど天気がいいのはめったにない感じだ。澄み切った空気の中に浮かんでいたのは2機の気球。のどかこの上ない。桜島も顔を出しているはずだったが、座ったシートからは人影になって見えなかった。少し残念。そこを過ぎればかつての巨大噴火の跡。と言っても、人にはあまり意識されないカルデラの中。知る人ぞ知る小林カルデラと加久藤カルデラの中なのだ。左手には霧島連山がせまる中、右手遠方に外輪山が連なる。乗用車だと車高が低いので、外輪山をゆっくり見る事はできないが、今回は特等席そのもの。小林市やえびの市は、かつて巨大噴火を起こしたカルデラの中なのだ。そのことを知っているのと知らないでは、風景の見え方も違うのではないだろうか。
走りは順調そのもので、やがて宮崎自動車道から九州自動車道へと入った。えびのサービスエリアで初めてのトイレ休憩。ここに駐車する時は、そこから望む霧島連山とその裾野を写真におさめるのが常なので、この日も一枚パチり。一息ついたあとは、外輪山を突き抜ける加久藤トンネルへ。そのトンネルの中で県境を越え熊本県へ入る。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」ではないが、抜けた途端に薄い霧。バスはその霧の中をものともせず進み、快調そのもの。人吉市に入る頃には霧も晴れ、山の緑も目にできるようになった。そこから八代市まではトンネルの連続だ。トンネルに入るとなぜか人は速度を上げたがるようだが、今回はバスなので速度は変わらない。いくつかトンネルを過ぎたところで、球磨川の洪水を思い出した。わが知り合いの夫婦も被害を被った。幸い家は高台にあったため難を逃れたが孤立し、ヘリで助けられたようだった。目を凝らして窓の外を見ていたが、爪痕と思われる所を少し目にしただけだった。コロナのため、手助けにいけなかったのが心残りだ。
そうこうしているうちにトンネル群を抜けて八代市へ。運転はしていなくても、ここまで来るとホッと一安心。車高の高いバスなので、市街地の遠方に雲仙普賢岳をよく望む事ができた。
バスは順調に進み、宮原をすぎ、4年半前の熊本地震の被害を受けた付近へ。地震直後は、緑川にかかる橋は段差ができ、1台ずつゆっくり走らされた。そこを過ぎると、目に見えて道路は波打ち、渋滞で長い車の列ができた。その時のことを思い出しながらも、あっという間に益城も熊本も過ぎ、いつの間にか2番目のトイレ休憩地・玉名サービスエリアへ。ここで、昼食用におにぎりと野菜サンドを調達し、走る車の中でぱくついた。玉名で思い出すのは「日本マラソンの父」金栗四三氏の生誕地だが、まだ訪ねたことはない。いつか訪ねてみたい。
バスの運転手も久しぶりなのか、運転軽やか。早くも熊本県を抜け、福岡県南部へ。八女、広川、久留米を過ぎれば鳥栖ジャンクションから左折し長崎自動車道なのだが、背振山系に送電鉄塔の多さが目に触る。誰も言わなかったのだろうか、山の景色がかわいそうだ。山の色も南九州とはちがい少し茶色気味。これは、土質の違いと気候のちがいなのだろう。途中、最後のトイレ休憩で金立サービスエリアで駐車したが、鳥栖から多久までは西に向って一直線。しかし、この一直線は、九州北部と南部を分けつつある地溝帯の一番北の端になる松山-伊万里構造線に平行しているはずだ。今後もなにごともなくあって欲しいと思うが、地震はいつ何時起こるか分からない。多久には「多久聖廟」と呼ばれる孔子廟がある。約300年前に建てられたものだ。一見の価値ありだ。途中、長崎道からは佐賀県が誇る天山を右手に望める。尾根部分はほぼ水平なだらかで、散歩道のごとしだ。一度は登ってみたい山だ。私は既に複数回。
多久から唐津へは、バスは長崎道を降りて、厳木多久有料道路を走った。狭い道路だがそこを過ぎると相知町へ出る。現在は唐津市に編入されている。ここには、空海が唐からの帰りに立ち寄り、釈迦如来、阿弥陀如来、観音菩薩の三対の仏様を岩肌に刻んだのが始まりといわれる鵜殿石仏群がある。ここも一見の価値aりだが、今回は壱岐と対馬が目的のツアー。案内板だけ目にして素通り。そうこうしている内に唐津のシンボルのひとつ・鏡山が右手に見え出す。そこから松浦川右岸を通り、虹ノ松原をかすめて唐津城の下を抜けた。そして壱岐へのフェリーが着く唐津東港へ無事到着。目の前には10月に解体が始まったばかりの唐津火力の煙突が見えた。時代は変わる。


煙突を解体中の唐津火力
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