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甑島探訪(串木野新港〜里港)


ハラハラハラ・・・。集合時間になっても到着しない2人。8日午前中のことだ。『日本の地質百選・地質構造百選の甑島探訪』を企画したのは今年4月。参加者は、串木野新港に出港30分前までに必ず集合としていた。「フェリーニューこしき」の出港時間は11時20分。なのに熊本からの友人が来ない。九州新幹線内で「京王線事件」をまねした放火未遂事件に巻き込まれたのだ。LINEで連絡が入った。35分遅れで出発とのこと。薩摩川内駅に10時37分着の予定と再びLINE。そこからは知り合った方の息子さんが串木野新港まで送るとのこと。だが、駅を出るまでにも時間を喰う。間に合わなければどうなることか。2人のチケットは私が持っている。間に合えばいいが・・・。他の参加者もハラハラドキドキだ。
出港間際、やはり事件に巻き込まれた何人かが、手続き窓口に現れた。その1、2分後、2人も待合室に駆け込んできた。よかった。これでみんな揃って甑島へ行ける。まぁ、最初からつまずいた旅行だった。だが、とにかく甑島へ向けて無事出港となった。





串木野新港を出てまもなく、右舷方向に川内原発が見え始めた。陸上側からは何度も見ているが、海上からは初めてだ。

宮崎が言い出しっぺになり、原発そばから事故時の放射能に見立てた風船を飛ばしてからもう33年にもなる。宮崎から出かけたのは約100人。熊本や鹿児島からも加わり総勢約600人だったか。みなで風船を持ち午後1時に風船を一斉に放流した。風のほとんどない中、ひと塊りとなった風船は、ゆっくりと上昇、そして甑島の方へ向かった。宮崎方面には飛んでいかないとも思われたが、結果は旧・川内市内で約30分後、都城でも約4時間後には拾われていた。風船には拾った時間・場所を知らせてもらうハガキが付けられていたのだ。地上では風がなくてもこのようだ。宮崎県は、川内原発の風下になりやすい東側。巨大事故では、壊滅的被害を被りかかねない。

フェリーは順調に甑島の里港を目指した。ところで、この海峡には、M7.5という大地震の可能性がある甑海峡中央断層と甑断層が眠っている。M7.5と言えば、兵庫県南部地震や熊本地震(本震)の約2倍のエネルギーだ。出港した串木野新港自体も、五反田川断層の真上だ。川内原発近くには、このように活断層がいっぱいだ。さらには、川内原発沖には、九州の中央構造線とも言われる「臼杵-八代構造線」が定置している可能性も報告されている。
その川内原発は、福島事故後に決まった原発寿命40年まであと3年もないのだが、九電はその延長運転を目指している。トイレもないのに、いつまで運転するつもりなのだろうか。

川内原発と川内火力がだんだん遠ざかり、まもなくフェリーは里港へと着いた。降りると、予約しておいたレンタカー会社の方と、事前に紹介していただいていた島在住の方が待っていた。以後、島内観光はこの方の労に負うこと大となる。それぞれの簡単な自己紹介を済ませ、早速レンタカーに分譲して出発。初日は遠い下甑島を済ませ、だんだんと近場へと移動する予定にしていたが、天気予報では、午後3時頃から急に荒天との予報。そのため、初日は近場からに変更してもいいと思ったが、案内者は「大丈夫、天気は持つ」との言。それに従うことにしたが、天気は予報通り急変した。
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