■【きょうの人】 0111 ■ 太公望(呂尚) 「釣り人」の代名詞 ■ 安倍 晴明 平安時代の陰陽師
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■ 太公望(呂尚) 「釣り人」の代名詞
生没不詳
呂尚(りょしょう)は、紀元前11世紀ごろの古代中国春秋時代・周国の軍師としてしられ、後に、斉の始祖として現在の山東省を中心にした国です。
呂尚の姓は姜、氏は呂、字は子牙とか牙、諱は尚です。軍事長官である師の職に就いていたことから、「師尚父」とも呼ばれます。
謚が「太公」であることから、斉太公、姜太公の名でも呼ばれます。
呂尚は、釣りをよくしていたことから「太公望(たいこうぼう)」と呼ばれ、日本では、釣り好きの人達を表す代名詞として使われます。
■ 安倍 晴明 平安時代の陰陽師
あべ の せいめい/ はるあき/ はるあきら
延喜21年1月11日〈921年2月21日〉- 寛弘2年9月26日〈1005年10月31日〉
平安時代の陰陽師で、鎌倉時代から明治時代初めまで陰陽寮を統括した安倍氏流土御門家の祖です。官位は、従四位下・播磨守です。
幼少の頃については確かな記録はありませんが、陰陽師賀茂忠行・保憲父子に、陰陽道を学び、天文道を伝授されたといわれています。
960年(天徳4年)40歳で天文得業生(陰陽寮に所属し天文博士から天文道を学ぶ学生の職)でありました晴明は、村上天皇に占いを命ぜられていて、出世は遅れていましたが、占いの才能は既に貴族社会で認められていました。
979年(天元2年)、59歳の晴明は当時の皇太子師貞親王(後の花山天皇)の命で、那智山の天狗を封ずる儀式を行っています。
このころから花山天皇の信頼を受けるようになったようで、記録にしばしば晴明が占いや陰陽道の儀式を行った様子が見られるようになりました。
花山天皇の退位後は、一条天皇や藤原道長の信頼を集めたようです。
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【 注 】
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