■【きょうの人】 0113 宗峰妙超 入滅 (大燈国師) 京都の大徳寺の開山
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■ 宗峰妙超 入滅 (大燈国師) 京都の大徳寺の開山
しゅうほうみょうちょう
弘安5年12月7日(1283年1月7日) - 延元2年/建武4年12月22日(1338年1月13日)
鎌倉時代末期の臨済宗の僧で、一般には「大燈国師」の名で知られています。
諱は妙超、道号は宗峰、播磨(兵庫県)の出身で、同国浦上荘の豪族・浦上氏の一族・浦上一国(掃部入道覚性)の子として生まれました。
朝廷から興禅大灯、高照正灯の国師号が与えられ、京都の大徳寺の開山でもあります。
11歳の時、地元の大寺院である書写山円教寺に入り、天台宗を学びます。
のちに禅宗にめざめ、鎌倉の高峰顕日、京の南浦紹明(大応国師)に参禅しました。南浦紹明が鎌倉の建長寺に移るにしたがって宗峰も鎌倉入りし、徳治2年(1307年)、26歳のとき、師から印可を得ました。
花園天皇は宗峰に帰依し、正中2年(1325年)、大徳寺を祈願所とする院宣を発しています。
その際、妙超は浦上庄の半分を自分の一族に分配する事を申し出ますと、天皇はこれを承認し、妙超の一族である浦上為景にその旨を伝える綸旨を発行しています。
建武4年(1337年)、妙超は病に伏し重態となりますが、花園法皇の求めに応じて、妙超没後に花園法皇が師とすべき禅僧として、弟子の関山慧玄を推挙しました。
師の南浦紹明(大応国師)から宗峰妙超(大灯国師)を経て関山慧玄へ続く法系を「応灯関」といい、現在、日本臨済宗はみなこの法系に属するといわれています。
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