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《ワクワク感》が冒険の合図だ!
非ハリウッド娯楽映画を中心に、個人的に興味があるモノを紹介っ!

妄想武侠小説 蹴撃天使 RINA ~神様に出逢った日 11.27~

2015年11月23日 | Novel
 まったく女の子らしくない、武骨なデザインのスポーツバッグの奥に眠っているスマートフォンから、着信音として使用しているラロ・シフリンの『エンター・ザ・ドラゴン』が流れてきた。RINAはバッグの中をごそごそと掻き回しスマホを取り出すと、青白く光る液晶画面を確認する。
画面に指を這わせ着信したメールを開くと、にわかには信じられないような内容の文面が書かれていた。正直これを「額縁通り」に受け取ってよいものか?と、彼女は苦笑いを浮かべる。

「リナちゃん、何かあったのかい?」

 彼女の背後からスマホ画面を覗きこもうとする、RINAの言うところの《恋人に一番近い友達》である、二学年上の男子学生・ケーイチであったが、気配に気づいたRINAはさっと掌で表示画面を隠し見えないようにした。

「ちょっと……先輩っ!ビックリさせないでください、もうっ」

 RINAの怒気を帯びたトーンの声に、しゅんと委縮してしまうケーイチ。叱られた飼犬のようなちょっぴり情けない彼の姿を見るなり、RINAは「しまった!」という顔をして、あわてて年上のボーイフレンドに謝った。たぶん傍目から見ればどちらが年上なのか混乱してしまうだろう。
 彼が委縮するのには理由があった。RINAは女子高生の身でありながらも既に、武術の世界である《武林》では好漢・英雄と呼ばれる人物たちに混じり、《蹴撃天使》の通り名を轟かせる〝女侠〟なのだ。仮にいざ《喧嘩》になろうものなら到底彼の手に負えるものではないのだが、そこは武道修行で日々肉体と精神を研鑽している彼女の事、ちゃんと年上の彼の顔を立てる事を忘れない。

「そんな顔しないでくださいよ~。そうだ、これからデートしません? ちょっと映画のDVDが観たくなっちゃったんで、あそこのレンタル店でちょっと」
「それ……デートっていうのかな? わかった、喜んで付き合うよ。ただ少し心配事が……」
「何です?」
「また、急に戦闘が始まったりしないかなぁ……なんて」

 思い当たるフシがありすぎて、RINAの表情が固まった。が、そこはポジティブシンキングな彼女の事、ケーイチの手を握ると有無も言わさず、引っ張るように目的のレンタルビデオ店へと誘導する。
 RINAの頭の中では、先ほどのメールの文面がまだ脳裏に引っかかってしょうがなかった。

《李師傅(マスター・リー)、武林に帰還する》

――まさか、ね。

 期しくも今日はその《李師傅》の誕生日……たちの悪い冗談であってほしい。RINAはそう思った。


 全国チェーンを展開する大手レンタルビデオ店の《映画コーナー》の片隅で、借りたい映画をチョイスしつつもRINAはメールのやり取りを行っていた。内容は当然、先ほどの《李師傅》の件だ。

[李師傅って……随分前に亡くなった方でしょ? 一体どういう事なの]
[にわかに信じられない話なんだけど、実は《師父》クラスの方々の中で「李師傅と会った」という話を複数聞いているんだ]

 メールの相手は、以前RINAと激しい《手合せ》をして以来の知り合いである《東海龍将》ASARYU。元々李師傅主演の映画の影響で、この世界に入った彼としても《李師傅帰還》のニュースは冷静に聞いてはいられなかった。嘘ならば嘘で、本当であればもっと完全なディテールを知りたくて、《武林》の連中から今知りうる事の出来る、信頼性のある情報を仕入れまくっていたのだった。

[そんなオカルトめいた事がもし本当なら、少し怖いわ]
[残念だけど今回の季節外れの《怪談話》、現実味を帯びてきそうだよ。というのも、RINAってぃ~は洪家拳高手の《豪侠》柳家良(リュウ・チャーリャン)を知っている?]
[名前だけは一応。あまり良い《噂》は聞かないけど、武芸の技だけは一級品だって]
[その《素行の悪い》柳氏が今日の早朝というか深夜に、何者かによって負傷させられて……二度と武芸ができない身体になってしまったそうだ]

 低く細い身体つきとは裏腹に、どっしりと構えた腰から繰り出される重量感あふれるパワフルな拳技が、《武林》の間に知れ渡る洪家拳高手の柳だが、近年では暴力沙汰による度重なる不祥事の末、闇金融業者の《用心棒》として身を落とし持ち前の《暴力性》を如何なく発揮しているとの悪評を耳にしていた。その彼が本日朝の3時ごろ、泥酔した状態での帰宅途中に正体不明の何者かが現れ、拳による《粛正》が行われた――という。

[もっとも柳本人は「襲われた」といっているけど。泥酔で判断力が鈍っていたとはいえ、あの柳の攻撃をまったく寄せ付けず、的確に四肢の骨を損傷させてしまうほどの打撃を打てる人物なんてざらにいないだろ?それにその時の《謎の彼》の服装がなんと……紺色の中華服だったそうだ。な? 絶対李師傅に違いないって]
[それってASARYUさんの《願望》でしょ? それじゃあ、お仕事がんばってくださいね]

 RINAはそう文章を入力すると、着信音がバイブレーションのみの《マナーモード》に設定し、スマホをバッグの奥に入れて映画探しを再開した。


 それから30分後、会計レジ前のスペースでそれぞれが別々に、観たい映画を選んでいたふたりが合流した。

「先輩は映画、何にしたんですか?」

 RINAに尋ねられたケーイチは「待ってました!」とばかりにDVDケースを掲げる。彼が手にしているのはハリウッド製の小洒落たロマンティック・コメディー映画。《彼女》ができたら一度はこの手の映画をふたりで観て、ロマンティクな気分に浸ってみたかったらしい。

「どう?」
「う~ん、別に悪くはないんですけど……《分かりやすい》というか《あざとい》というか。下心が丸見えですよ?」

 どうやら図星だったようで、びしっとRINAに指摘されたケーイチはガクッと肩を落とした。

「でも、私ってそういう映画に疎いからいい機会ですね。一緒に観ましょうよ、先輩」
「ありがとう!リナちゃんならそういってくれると思った。うん、うん!」

 彼女の手を握り、ぶんぶんと上下に振って感謝の意を表すケーイチに対し、周りの視線が気になって顔を真っ赤にして複雑な表情をするRINA。

「あの……いっぱい人が見てるから。落ち着いて、ね!」
「悪かった、ちょっと取り乱しちゃって……それでリナちゃんは何を持ってきたの?」

 ケーイチに尋ねられたRINAは手にしている、ふたつのDVDケースを見せた。ひとつはクンフー映画の金字塔である『燃えよドラゴン』、もうひとつは永遠の未完成作品『BRUCE LEE in G.O.D / 死亡的遊戯』――どちらも李師祖の《晩年》の主演作で、彼の《格闘哲学》が色濃く出ている作品という事で、RINAお気に入りの映画であった。

「ブルース・リーかぁ、いかにもリナちゃんらしいセレクトだなぁ。うちの父さんも子供の頃によくテレビで観て真似したっていってたっけ。〝アチャー!〟って叫んで飛び蹴りしたのはいいけど、着地に失敗して捻挫したって」

 ――はぁ、やっぱり《悪い冗談》であってほしいな。亡くなってもなお世界中の人々に《夢》と《勇気》を与え続ける李師傅みたいな人が、狭い《武林》の揉め事に介入するはずないもの。

 RINAは楽しそうに、自分の父親の《ブルース・リー》体験を語るケーイチを見てると、今朝から《武林》中で情報が錯綜している、《李師傅》問題なんて正直どうでもよくなってきた。今一番大事なのは「愛する人と一緒にいる事」なのだから。

「捜したぞ!《蹴撃天使》RINAぁ!」

 何処からともなく、頭からすっぽりと黒いマントを被った怪しげな三人組が現れ、店内にいるRINAの名を大声で叫ぶ。非現実な光景に周りはたちまち騒然となった。

 ――うわっ、馬鹿! 何でこんな時に現れるのよ⁈

 三人はRINAを中心にぐるりと取り囲むと、時折ニワトリの鳴き声のような《怪鳥音》を発して彼女を威嚇する。一触即発な危機的状況を心配そうに見守るケーイチ。
 謎の男たちは一斉にマントを取りその全貌を明らかにした。濃紺の中華服を着た鼠のような顔の細身の男、黒い功夫パンツに持ち前の筋肉をアピールするかのような、薄い白の半袖シャツを身に着けた山のようなの肉体を持つ男、そして何の特徴もなく単にトラックスーツに「着られて」いる普通の男など……もし彼らに共通項があるとすれば多分《ブルース・リー》であろう。

「我らは、李師祖の理念を受け継ぐ武芸集団《三龍会(トリプル・ドラゴンズ)》! 俺がリーダーの《偽小龍》ルゥだ」
「同じく《三龍会》サブリーダー、《猛筋龍》コリョン!」
「オレの名は《漢江龍》イルドだっ!」

 ――何これ? もしかして『クローン人間 ブルース・リー』?

 突っ込み処満載な《愉快な》挑戦者を相手に、どう対処していいか困っているRINAに対し、細身のルーの放つ素早いサイドキックが空を切って襲いかかる。相手が冗談ではなく《本気》で自分に挑んできた事を察したRINAであったが、反応がやや遅かった。ルーのサイドキックは回避できたものの、間髪入れずに飛んできたコリョンの回し蹴りを捌き切れず顔に喰らってしまい、ふらつく彼女にとどめのイルドの踵落としが脳天を直撃した。息の合った三人によるコンビネーション攻撃を受けたRINAは、白いフロアタイルの床へと倒れた。

 ――油断した!《本物》じゃないの、奴ら!

「リナちゃん!」

 心配したケーイチが彼女の傍へ駆け寄ると、冷たい床から引き剥がすように抱き起した。人目が気になるRINAは少々恥ずかしかったが、黙って彼の行為に甘んじた。

「ちょっと離れて。ここは危ないから、ね?」
「うん、わかった。でも……奴らは一体何者なんだ?」

 頭を左右に振り、意識をクリアーな状態に戻すとRINAは自ら愛する彼の腕を外し、再び三人組に対峙した。
「少なくとも……ふたりは《ブルース・リー》みたいね、外見だけは」

 アチャァァァァァァ!
 ホォォォォォォォォ!

 《怪鳥音》を発して威嚇するドラゴン三人衆は、フォーメーションの配置を何度も変えじりじりとRINAに迫る。
 彼女は軽く拳を握り構えると、変則的な彼らの動きを目で追っていく。そして「来いっ!」とばかりに、顎を上げ「くいくいっ」と人差し指を前後に動かして、眼の前の男どもを挑発した。
 こしゃくな彼女の態度に、一番《ブルース・リー》に似ていないイルドが、誘いに乗り前に飛び出てきた。

 オチャァァァァァァッ!

 イルドは彼女の頭部を狙うべく身体を捻り、得意の後ろ回し蹴りの体勢に入る。だがRINAは彼が背中を向ける一瞬を見計らい、彼の軸足を素早い掃腿で刈り後頭部から床へ転倒させた。
 彼女の早業に目が付いて行かず、フロアタイルへ後頭部を強くぶつけ、意識が朦朧とするイルドの上へ馬乗りになるRINA。そして――怒りの鉄槌をひと振り彼の顔面へと叩き込むと、そのまま気絶し哀れ戦闘不能となってしまった。
 怒りの炎が燃える瞳で、残ったふたりをぐっと睨みつけるRINA。
 スカートの奥から健康的な太腿をちらりと覗かせ、眠るように気絶しているイルドの身体からゆっくりと立ち上がり離れると、両脇を締めファイティングポーズを構えた。
 顔の筋肉を震わせ、甲高い《怪鳥音》とともにコリョンがRINAへ、ボディ狙いの回し蹴りを放つ。冷静に軌道を読んでいた彼女は、蹴り足を払いのけると一気に間合いを詰めて彼の顎へフックを叩き込む。よろめくコリョンであったが当たりは浅く決定打とはならなかった。

 どかっ!

 ルゥがRINAの背中を蹴る。衝撃でバランスを崩し前方へと転倒するが、すぐさま《偽小龍》の方へ身体を向けて立ち上がる。

 ワチャァァァァァァ!

 RINAとルゥ、顔面を狙うパンチが両者同時に放たれた。ふたりとも頬に拳を受けて後ろへと倒れるが、若い分リカバリーが早いRINAはハンドスプリングで身体を起し、そのまま回転後ろ蹴りで鳩尾を狙う。だがその《外見》に似合わぬ、かなりの武芸高手であるルゥは彼女にクリーンヒットの機会を与えない。蹴り足はボディに当たるものの急所を微妙にずらしていて、ルゥ本人への決定的なダメージはほぼ皆無だった。
 勢いづく彼らによる《ダブル怪鳥音》が店内に響き渡る。

 ――私の攻撃が効いていない?! どうすればいいのよ?

 何度も拳脚は相手に届くものの、ダメージを与える事ができず次第に焦りの表情をみせるRINA。そこへ彼女の心理状態を見計らったようにルゥとコリョンによる、下からカチ上げるような横蹴りがRINAにヒットした。ふたりの踵が見事顎を捉えその衝撃で、彼女はDVDの陳列棚まで吹き飛ばされた。棚を倒し仰向けになってダウンするRINAの上へ、陳列されていたDVDケースがぱらぱらと降り注いだ。
 身体に、そして頭部へ強いダメージを受け、RINAは痛みで意識が遠退いていく。瞳に映る景色も次第にぼやけていき――気を失った。


 ……………………

 ――負けちゃったのかなぁ、私?

 暗黒の《意識の世界》の中、RINAは自問する。闇が全てを覆い尽くし他には誰ひとりいない、愛するケーイチの姿さえもない孤独な世界にRINAはひとり佇んでいた。

《悲観するな、まだ勝負はついていない》
 
 誰かの声が聞こえた。
 優しく、そして力強い声調がRINAの頭の中に、直接語りかけてくる。

 ――いったい誰?

 彼女の問いかけに対する返事はなかった。僅かの沈黙の後、再び《声》はRINAに語りかけてきた。

《いいか、「負ける」のは決して恥ずべき事ではない。だが決着もついていないのに自らが、「勝つ」チャンスを閉ざしてしまうのは少し頂けないな》

 ――でも、何度攻撃しても一度も決定打を与えられなかった……

 RINAのネガティブな回答に《声》は、的確な《助言》を授ける。

《それは君の身体に、余分な力が入りすぎているせいだ。もっとリラックスしろ、肩の力を抜くのだ。そして――奴らの見た目に誤魔化されるな。そうすれば勝機が訪れるはずだ》

 謎の声による《アドバイス》は、自信を失いかけていたRINAの心に少しずつ、希望の光を灯していく。彼女の瞳にはもう迷いの色はなかった。

 ――ありがとうございます!それで……あなたは誰なのですか?

 RINAの再度の問いかけに、《声》はひと言だけヒントを与えた。

《君も……よく知っている人物さ》

               

 ぱっ!

 最後に《声》を聞いた直後、急に目の前が明るくなり、RINAは一気に現実世界に引き戻された。身体中を走る鈍い痛みに耐え、眼だけを動かして周りを見渡す。散乱するDVDケース、倒れた黒色の陳列棚、そして心配そうに覗き見るケーイチの顔……

「えっ?」

 驚くRINA。何故なら気を失う前とは違い、自分の頭が彼の膝枕の上に乗せられていたからだ。

「気が付いた、良かった!」
「せ、先輩?」

 すぐさま膝枕から頭を起こし、急いでその場を離れようとするRINAの肩を、ぐっと掴んで制止するケーイチ。

「何故止めるんです⁈ まだ勝負は終わっていないんです!」
「もういいじゃないか!何が君をそこまでさせるんだ? 武芸者としての誇りかい?」

 今までに見た事のないケーイチの、強く真剣な眼差しに一瞬だけ〝少女の顔〟に戻るRINAだったが、すぐに〝女侠〟モードへ気持ちを切り替える。緊張の汗で湿る彼の手を、肩から外して立ち上がるとRINAはぐるりと背を向けた。

「……勝ち負けなんかじゃないですよ、ただ私は舐められっぱなしで終わりたくないの。 やるからには《勝つ》にしろ《負ける》にしろ、自分が納得した上で終わりたいんです……こんな女の子、嫌ですよね?」

 感情を抑えて静かに語るRINA。ケーイチの側からは表情は見えないが、きっと悲しみを堪え虚勢を張って精一杯自分に語りかけているのだ、と感じた彼はもう引き止める事などできなかった。

「そんな事ない……信じているから、リナちゃんの《勝利》を」
「ありがとう《ケーイチ》さん」

 RINAは愛情の念を込めて、付き合い始めてから今日初めて《彼》を下の名前で呼んでみた。果し合いの真っ只中の、鬼気迫った状況下で彼の方は「それ」に全く気付いていない様子だったが、RINAはそれでも満足気だった。
 顎をくいと上げ、余裕綽々で待っている《偽ブルース・リー》ふたりを睨みつける。
 細身のルゥが親指を立てて「好!」と彼女を褒め称えた。

「大した根性だ! あの柳前輩も君ぐらい心の強い人物だったら、どれだけ良かったか」

 聞き覚えのある名前が彼の口から出てきたのでRINAは尋ねてみた。

「あなたたち……今朝の柳氏襲撃事件と何か関わりがあるの?」
「彼は《武林》の名を穢した《裏切り者》。だから李師傅が御存命であればそうした様に、我々で柳前輩を粛清したまでの事」

――はぁ、やっぱり。李師傅の誕生日にちなんだ《ジョーク》だったって事ね。

 RINAは彼の答えを聞いて、朝から続くもやっとした気分がぱぁっと晴れた。それと同時に目の前の偽ドラゴンふたりが、微妙な《ブルース・リー》などではなく、それぞれが卓越した武芸の技を持つ、ひとりの《武道家》としてようやく認知できた。

 とん……とん……

 自分の《リズム》を取り戻すため、RINAは脱力し軽く上下にステップを踏んだ。緊張と焦りで硬くなっていた筋肉と思考が、柔らかく解けていくのが自分でもしっかりと感じられ、自然と表情も柔和へとなっていく。

「さぁ、始めましょうか」

 RINAの呼びかけに、コリョンは親指でぴんと鼻を擦り一歩前へ踏み出した。彼はひらひらと上下左右に掌をなびかせ、対戦相手を幻惑する《胡蝶の舞》でRINAを自分の間合いへ誘う。だが、自信と己のスタイルを取り戻した彼女にはまるで効果がなかった。一歩前へ踏み込んだと思えば、次には一歩後ろへ退いたりして精神的な揺さぶりをかけ、相手を苛々とさせる。
 ステップを踏む度にRINAの、頭の後ろで結ばれたポニーテールがぴょんぴょんと跳ね上がり、ますます苛々を募らせていくコリョン。

 ホォォォォォォォォォ!

 いよいよ我慢ができなくなったコリョンが前へ飛び出した。

 筋肉に覆われている、太くがっちりとした脚で蹴りを出そうとするが、発射する寸前にRINAの脚への前蹴りで全て止められてしまい《武器》を前に出す事ができない。
 脚が駄目なら今度は拳だと、一発当たれば即ノックアウト間違いなしの、重量級のパンチを焦りと怒りに任せて振り回す。しかしこの攻撃も完全に見切られており、ジャブやフック、アッパーカットにボディブローなど各種攻撃はブロック、またはスウェーバックで回避する。RINAは絶妙なタイミングでヒットさせるカウンター攻撃によりコリョンへのダメージを蓄積させていく。
 顔を腫らし疲労困憊なコリョン。肩で大きく息をする彼に、もはや《怪鳥音》を発する余裕などなかった。

 タンッ!

 RINAがローファーの硬い靴底で、床を踏み鳴らし《攻撃》への狼煙を上げた。
 彼女の短いスカートがふわりと舞い上がったと同時に身体が旋回する。RINAが蹴り技を繰り出そうとする事ぐらいはコリョンも察知できた。しかし先ほどの執拗な《脚殺し》の影響で脚が前に出せないのだ。
 空中旋回するRINAから放たれた、鞭のようにしなる蹴り足がコリョンの首筋に巻き付いた。勢いの増した彼女の蹴りはダイレクトにその威力を伝え、彼の意識を刈り取り身体を宙に舞わせる。そして硬い床に顔面から激突したコリョンが、立ち上がる事は二度となかった。

 残るは《偽小龍》ルゥのみとなった。

 ふたりいた仲間が倒され、さぞショックを受けていると思いきや、意外に精神的ダメージは薄く、RINAに対して精度の高い突きや蹴りを次々と繰り出していく。ルゥの感情は仲間の敗北よりも自身の勝利を選んだのだ。
 リーダーを名乗っていただけあって、他のふたりとは比べ物にならない変幻自在な手技や脚技が彼女の急所を狙ってくる。ひとつでもミスしたら確実に致命傷を負いかねない、彼の豊富な技を前にRINAは防御するだけで精一杯となった。
 拳や脚が繰り出される度に空を切る音や、接触時に発生する乾いた破裂音がふたりの《世界》を覆い尽くす。

 ハォォォォォォォ!

 ルゥの拳が虎爪へと変化して、彼女の喉に狙いを定め飛び掛かってきた。手で捌くにはもう時間がない、RINAは攻撃を回避しようと上半身を後方へ反らす。彼の虎爪は喉を掴む事ができずに空を切った。

 ――もう、これしかないっ!

 RINAは攻撃目標を失ったルゥの腕を掴むと、脚を彼の身体に引っ掛けて、自ら胴体を回転させて相手を床へ倒し、掴んでいる腕をテコの原理で拉ぐ――飛び付き腕十字固めだ。
 肘関節を極められたルゥは、腕に走る激痛に悲鳴を上げる。
 彼女は腰を突き上げて、更に肘を逆方向へ折り曲げるが、これ以上はなるものかと、空いている反対の腕で腕が湾曲するのを阻止した。
膝を付きゆっくりと立ち上がるルゥ。そして残るすべての力を集中させ、腕を極められたままRINAの身体を持ち上げると、そのまま床に叩き付けた。衝撃で背中が圧迫され息が詰まりそうになるが、それでも彼女は腕をしっかり持って離さない。
 二度三度とRINAの身体を床へ叩き付け、脱出を試みるが一向に技を解く気配が感じられず、ルゥは焦りの表情を浮かべる。RINAは勝敗を付けるべく頸動脈を、彼自身の肩と共に剥き出しの内腿で挟み力一杯締め上げる。グラウンドからの三角締めが極まった!
 頸動脈が強く圧迫される事によって、脳に酸素が行き渡らなくなり次第に彼の身体から力が抜け落ちていき――やがて眠るように倒れそのまま気を失った。
 手練れ揃いの《三龍会》との、長き死闘の末に遂にRINAは勝利を収める事ができたのだった。

「大丈夫か、リナちゃん!」

《決着》が着いたのを見計らうとケーイチは、白い床の上で大の字になるRINAの側へ急いで駆け寄る。疲労困憊で胸を上下させ大きく息をする彼女は、《彼氏》の存在に気付くとぎこちない笑顔で応えた。

「先輩……見ていました? 私勝ちましたよ?」

 ケーイチは何も言わず頷いて彼女の問いに応える。そして倒れているRINAを優しく抱き起こすと自分の背中に背負った。《武林》より来る武芸者たちを、こんなに華奢で軽い女子高生がたったひとりで倒してしまう事自体信じ難いが、店内に横たわる彼らの姿を見ると《事実》として受け止めざるを得ない。

「……連れてって」

 RINAが、力のないか細い声でケーイチに懇願する。

「えっ、何処へ?」
「街外れの丘のある公園……私を待っている《人》がいるの」


 外はすでに陽も落ちて、時折吹く風が身を縮ませるほど冷たかった。《死闘》を制しぐったりとするRINAを背負ったケーイチは、彼女の道案内を頼りに目的地の公園へたどり着いた。公園中央に芝生でコーティングされた小さな丘がある事から、近隣の住人からは《丘の公園》として親しまれている場所であった。
 さすがにこの時間には子供たちの姿もなく、いまここにいるのはリナたちふたりだけ。公園の周りを覆い囲む、樹木の間から見える仄かな住宅の窓明りが寂しさを増長させる。

「ここで……いいんだね?」

 ケーイチが首を傾けて後ろのRINAに確認する。彼女はこくりと小さく頭を縦に動かし《OK》の意思表示をすると、するりと背中から降りて丘の方角に向かって歩き出した。

「おい、リナちゃん⁈」

 彼の問いかけにも応えず、ただ一点――丘の頂上を凝視したまま一歩、また一歩と饅頭型の丘を、重力が感じられない足取りでふらりふらりと登っていく。
 彼女のただならぬ状況にケーイチは、あわてて後を追う。ようやく隣に並んだ時、いつの間にかRINAたちは丘の頂に立っていた。
 夜空を見上げると、都会では珍しいほどの数の星々が、天空に広がり闇を彩っている。
しばらくふたりは空いっぱいに広がる、小さく輝く星たちを眺めていたが、再び視線を下に落とすと、青白い光を放つ人影がそこに立っていた。

「……お待たせしました、李師傅」

 《李師傅》と呼ばれた謎の人影は、不鮮明な霧状の身体を変化させ徐々に《人間》の形を作っていく。やがて精悍な顔立ちに、少し猫背気味の背中、着用している濃紺の中華服の上からでもわかる鍛えられた肉体……RINAたちがよく知る《ブルース・リー》の姿となった。
 《ブルース・リー》が自身の誕生日にこの世に現れる、という奇跡にふたりは胸を熱くする。

「よく来てくれた、RINA。《武林》に名を轟かせるスクールガールがいると友人たちから聞いていたので、一度お目に掛かりたかったのだ……おや、となりの彼は?」

 彼はRINAの横で、ぽかんと口を開けたままのケーイチを指差した。

「……私の《大切な人》です」

 彼女は恐縮しまくる年上の《彼氏》を紹介する。まだ両親にも正式に紹介していないのに、関係性も薄くこの世の人でもない李師傅にケーイチを紹介するとは、夢にも思わなかったRINAであった。

「オ-、君のボーイフレンドか。ははは、これは失礼をした」

 数々の写真で拝見する、口角をいっぱいに広げる満面の笑みを李師祖は見せた。これは夢でも何でもない、《生きている》師傅がすぐ側にいるのだ、と彼女は実感した。

「ご家族や……友人方にはもう会われたのですか?」
「ああ、もちろん。マイファミリーやターキー、ダン……親しい人間にはひと通り会ってきたよ、毎年の習慣ってやつさ。もっとも、彼らにわたしの《顔》が見えているか分からないけどね」

 師傅は最後の部分で少し寂しげな表情を浮かべた。昨今の家族と友人・知人たちとの間で起きている《トラブル》に心を痛めている様子だった。

「何故、皆もっとピースフルに生きられないのだろう? 《彼の地》アメリカでダンと一緒に、強さと夢だけを追い求めて《截拳道》を創造していた、あの《黄金の日々》が懐かしいよ。それが今ではどうだ?《マーシャルアーツ》の部分とは全く関係ない所で、互いに争っているではないか。冗談じゃない!あれはわたしの《創造物(クリエーション)》でありわたし自身が《截拳道》そのものなのだ!」

 映画等で観る《強者》《超人的》な李師祖ではない、自身が直接《争い事》に介入できないもどかしさで、悩み苦しむ《人間臭い》彼の姿を目の当たりにし、RINAはさらに親近感と尊敬の念を抱いた。

「こんな《ブルース・リー》を見てどう思う? 嘲笑するか、それとも軽蔑するか?」
「……師傅はすごく《人間的》な方だな、と思いました。家族や友人方の前でなく、若輩者の私の前で一番見せたくない、《弱い》部分を見せてくださったのですから」

 RINAはいま、自分が思っている事を率直に、包み隠さず言葉にして李師祖にぶつけてみた。彼は一瞬驚いたが、ピュアな彼女の発言に大変満足し、にこっと笑った。

「サンキュー。君たちと過ごせたこのひと時を嬉しく思うよ」
「何処かへ行かれるのですか……?」
「じきにわたしはここを去り別の処へ行かねばならない……そう悲しそうな顔をするな、これが永遠の別れではないぞ。君たちが〝逢いたい〟と強く願えばわたしはすぐに姿を見せるだろう、国籍や人種を問わず誰でも平等にだ」

 李師傅はそういうと、くるりとふたりに背を向けて天を仰ぎ見る。そこには満天の星空が先程よりも増して無限に広がっていた。

「わたしに……武道修行中の私に何かひと言頂けないでしょうか?」

 RINAの願いに李師傅は、人差し指をぴんと真っ直ぐに立て静かに語り始める。

「……歩み続けるのだ。《人生》という道には平坦な道だけでなく坂道や曲り道……いろいろな障害はあるだろうが、それでも《道》である事に変わりはない。だから迷わずに突き進め、周囲に惑わされるな、何故なら君の人生は《君自身》のものだからだ。」

 RINAに「人生の心構え」を授け終えると、今まで《李師傅》を形作っていた光の束が次々と離散していき、最後はすべての光が夜空へと消えてなくなった。彼は遠い別の場所へと旅立ってしまったのだろう。
 だが「別れ」て寂しく悲しいはずなのに、RINAの目からは一滴の涙もこぼれなかった。

 ――またいつか、此処ではない何処か再び逢える。

 彼の言葉を、彼女はそう強く信じているからだ。

「いっちゃったね、リーさん」
「うん……あの世でもしっかり鍛錬していて、元気そうで安心した」

 ケーイチは夜風で冷たくなった、RINAの手をぎゅっと握る。彼の体温を直に感じ強張っていた表情も徐々に柔らかくなっていった。

「帰ったらさ、リナちゃんの借りてきたリーさんの映画……いっしょに観ようよ、温かい飲み物でも飲みながらさ。《ノスタルジー》とかそんなのじゃなくて、彼の事をもっと知りたくなったんだ、僕」

 彼の胸の奥に眠っていた、強き者に憧れを抱く《男の子心》に火が点いたようだ。興奮して熱く語るケーイチを見て、RINAは何だか自分の事のように嬉しくなった。

「本当? 明日は学校も休みだし、今夜は先輩の部屋で《徹夜でブルース・リー》大会ですね! さぁてと、早速両親に連絡入れなくちゃ」

 《女の子》の口から出る〝両親〟という言葉に、一瞬どきっとするケーイチ。やましい気持ちはこれっぽっちもないにしろ、《覚悟》《責任感》などの重い単語が頭を過る。彼は愛想笑いで誤魔化して話題を強引に切り替えようとした。

「あ、ははは……で、でもさ」
「何です?」
「僕らの見たリーさん、あれは《本物》だったんだよね?……何度考えても信じられなくて。だってさ、 彼の誕生日に本物のブルース・リーに……なんて」

 先ほどまでの李師傅との《会見》が未だに半信半疑で、なかなか心の整理がつかないのだ。あまりにも《ドラマチック》で《幻想的》だったあの時間を、自分たちだけが共有したという事実が、すんなりと受け入れられずにいた。

 ぴとっ。

 RINAの白く細い人差し指が《彼氏》の唇を押さえた。
彼女の、突然の行動に何も言えなくなり、ケーイチはじっとRINAの顔をみつめる。ふたつ年下の《彼女》はにっこりと笑うと、首を横に振って彼の言葉を否定し

「……〝考えるな、感じろ〟ですよ、先輩」

と、李師傅のあの有名なせりふでやんわりと諭すのであった。



                                                                  終


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