HIMAGINE電影房

《ワクワク感》が冒険の合図だ!
非ハリウッド娯楽映画を中心に、個人的に興味があるモノを紹介っ!

『獨臂神尼』を観た

2013年06月10日 | 武侠映画
 中華圏の映画……特にそれが武侠映画の場合だと、漢字の字面を見るだけでワクワクするし幻想も湧いてくる。もう映画を観る前から「お腹一杯」的な感じだ。だが実際に現物を見た後最初のイメージを超えた事は少なく、大概は「期待外れ」だった方が多い(面白い事は面白いのだが)。
 今回紹介する『獨臂神尼』(1969)もそんな映画で、以前書籍等で紹介されていた際には“女性版片腕剣士もの”と言われていた。《獨臂》で《女剣士》、しかも主演が私が好きな、1960年代の広東語映画の人気女優シュ・ネイ(雪妮)ときたら幻想は膨らむ一方だ。だが実際は彼女が主演ではあるが(もう一人の主演は60年代の二枚目スター、ロイ・ケイ(呂奇)。『黒薔薇vs黒薔薇』(1992)でレオン・カーファイの役名のオリジナル)決して《獨臂》でも《神尼》でもなく、そもそも剣士でもないのだ。この事実を知った時「タイトル詐欺か」と思ったが、誰も彼女が獨臂神尼を演じる、なんて一言も言ってないので納得するしかない。

 明国の大将の命により、ロイ・ケイ演じる剣士はシュ・ネイ(大将との関係は語学力がないのでちょっと不明)の旅の護衛を仰せつかるが、その道中謎の武芸者たちに襲撃され護衛団は全滅、シュ・ネイもさらわれてしまう。彼女を探索・救出の為山河を駆け回るロイ・ケイだが、奇天烈怪奇な武芸者に襲われ命を落としそうになるが間一髪の所で救出される。彼を救ったのは片腕ながら無敵の武功をもつ尼僧《獨臂神尼》だった。ロイ・ケイは獨臂神尼や知り合った女剣士、そして邪派の武芸者によって洗脳され、強力な外功を操る狂女と化したが、獨臂神尼の手によって元に戻ったシュ・ネイと共に、清国人と手を組み明朝転覆・そして武林の盟主の座を手に入れようとする石堅と怪武芸者を倒すべく闘いを挑んだ……

          
          

 タイトルにもなっている獨臂神尼であるが、実際劇中では大活躍する訳でもなくあくまでもロイ・ケイとシュ・ネイのサポートに徹し、前に立って闘う事はない。演じるは林静という1950年代~80年代に活躍した女優さんで、達観したような落ち着いた演技が印象的であった。獨臂神尼とは明朝末期の皇帝の娘である長平公主(朱徽セ(女偏に是))が、明の滅亡後尼となって武芸を身に付け、片腕である事から(史実では左腕に傷を負い動かなかったという)《獨臂神尼》と呼ばれ反清復明活動を行ったという民間伝承から誕生したキャラクターで、武侠小説に幾度となく登場する。そういえば金庸原作、チャウ・シンチー主演の『ロイヤル・トランプ2(鹿鼎記Ⅱ 神龍教)』(1992)にも獨臂神尼が登場していたっけ(演じたのは馬海倫)。

          
          

 それじゃあ主役の一人であるシュ・ネイは印象が薄いのか?そんな事は決してなく、長髪を振り乱しボロボロの服を着て素足で敵と戦う、ワイルドな狂女姿は、それまでの武侠映画にはない新鮮なキャラクターで、《獨臂神尼》さえ気にしなければ十分に主演女優の面目を保っている。どちらかといえばロイ・ケイの方が少々アヤしく、武芸の達人という設定の割には大ボス・石堅はおろか結局怪武芸者ひとり倒す事もできず、なにか中途半端な印象なのだ。この時期の武侠映画は男(ヒーロー)が活躍する作品は少なく、むしろスター女優演じる女侠が大活躍する作品が大多数を占めていたのだ。これが70年代の剛陽系武侠片だったらロイ・ケイ、もうちょっとマシな活躍ができたであろうに、残念。

          
          

 勝手に抱いていた幻想より何枚も劣るけど、それでもシュ・ネイの活躍を素直に楽しみ非常に評価に迷う非常にレアな作品、これが『獨臂神尼』を観る事のできた私の正直な感想である。最後に貴重な本作を観させていただいた龍熱様、本当にありがとうございました!

          
          

『グランド・マスター』を観た

2013年06月01日 | 中華圏映画
 何といっていいのか……とにかく《映像》に圧倒されたというのが鑑賞後の感想である。

 香港アート系監督のウォン・カーウァイが描く詠春拳“香港宗師”葉問の物語、というだけで違和感バリバリなのだが、過去にも金庸の『射雕英雄伝』のキャラクターたちを用い、自由創作した武侠片『楽園の瑕』をモノにした実績があるので馬鹿にはできない。
 実際、目にしたのは『楽園の瑕』クンフー版とも言うべき《達人》たちの苦悩と愛の物語であった。日本軍侵攻によって運命の歯車が狂わされてしまう葉問、女の幸せを捨ててまで父を殺した師兄・馬三への復讐を誓う若梅、国民党のスパイという職を投げ出して香港へと亡命する一線天……闘いとは《武》のみならず。《生きる》事が闘いなのである。

 題名となっている《GRANDMASTER(一代宗師)》は、武の高みを極めた者の呼称である。映画は二部構成のよな体裁をとっており、前半が葉問が中心となり、北派の大物・宮宝森の後継者争いを、後半は香港に渡った葉問と再会した若梅が語る十年前の復讐劇という具合になっており、最初から葉問の物語を期待すると「あれれ?」と肩透かしを食う。それだけ若梅を演じたチャン・ツィイーのインパクトが強いという事だ。白い葬装姿のツィイー(白い雪原に広がる葬列のシーンは圧巻!)、毛皮のコートを身に着け満州・奉天駅で馬三と死闘するツィイー、完全に葉問を演じたトニー・レオンを喰っている。しかしトニーも見事な演技力、4年間の準備期間で修練した詠春拳で激しい格闘シーンも、人生の酸いも甘いも演じ切り《葉問》というキャラクターに(作品としての)リアリティを持たせている。モダンでエレガント、そして《本物》の香りすら漂わせる新しいスタイルの功夫映画の誕生である。

 実は劇場公開前に本国版の映像を観賞したのだが、やや冗長気味に感じられた本国版よりも、シェーブさせきちんとアクションも《物語》も語っている日本公開版の方が良かった。ただエンドロール前の《葉問無双》のサービスシーンは、クンフー映画好きや《葉問系列》作品初鑑賞の観客にはいいかもしれないが、個人的には蛇足に思えた。とにかく観客の賛否両論を(これから)巻き起こすであろうこの映画は、間違いなくクンフー映画史に名を残すであろう傑作である。