窯元日記復活

奈良博三昧『重要文化財  沙門地獄草紙((沸屎地獄ふっしじごく ))』

奈良博三昧『重要文化財  沙門地獄草紙((沸屎地獄ふっしじごく ))』
1幅
紙本著色 掛幅装
本紙:縦26.3 横104.4、表具:縦123.6 横114.0
絵画
平安~鎌倉時代 12世紀 



奈良博収蔵品データーベースから 「かつて益田家に伝来した全七段からなる地獄草紙の第五段に相当する。旧益田家本地獄草紙は、国宝辟邪絵(奈良国立博物館蔵)とともに長らく一組の地獄草紙として伝わった。その内容は、十六巻本『仏名経』が引用する『馬頭羅刹経』に説かれる沙門地獄であることが明らかにされており、本品はそのうちの「沸屎地獄」に相当する。平安初期から宮中で行われてきた仏名会で使用される地獄変御屏風には、沙門地獄が描かれた。同屏風には辟邪神の姿が描かれていた可能性もあることから、本品を含む旧益田家本地獄草紙と辟邪絵は地獄変御屏風の図様をもとに描かれた元来一具の絵巻とする説も提示されている。  本品は、詞書における寂蓮流の書風や、人物描写において下描きや隈取を丁寧に施すという平安時代大和絵の伝統的な手法が認められる一方、馬頭羅刹の肉身に用いられる極度の肥痩を伴った線描などに鎌倉時代への過渡的な様相も見て取れることから、その制作時期は平安末期から鎌倉初頭と考えられるだろう。僧侶でありながら、戒を破って飲酒を好み、また禁じられている辛みのある野菜を好んで喰らい、動物の肉を好んで食い散らかしたものが堕ちる地獄。ここには、沸騰した屎糞の河が東西に流れ、臭い膿汁の河が南北に流れていて、その中に烟火が盛んに入り乱れている。城の北門を入ってきた六百人の僧侶は、この臭く汚らわしい光景を見て、予感される苦痛に耐えられず、口や眼から火を出す。獄卒はその僧侶を捕えて、みな屎糞の河に突き落とすと、屎糞が僧侶の口から鼻へ、また鼻から口へ出入りする。こうして一日に百度生死を繰り返し、苦しみは例えようがないという。絵の右上に沸屎地獄の北門、左下に火焔を上げながら東西に流れる屎糞の河が配される。門を怖ず怖ずと入り来る僧侶の大群はいずれも口や眼から火を出し、詞書にはない馬頭の獄卒によって、河に突き落とされて脚だけが出ている姿に、屎糞が口と鼻を出入りすることが思われる。

(中島博)
美麗 院政期の絵画, 2007, p.227-228  」


https://www.narahaku.go.jp/collection/1357-0.html





ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「なら 吉野」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事