窯元日記復活

京都国立近代美術館  岡崎桃乞 (1902-72)「猫図」

京都国立近代美術館  岡崎桃乞 (1902-72)「猫図」
昭和24   油彩、板・額   41.0×31.6


平成2年度      寄贈   O00281




京都国立近代美術館の4階には「岸田劉生の友と敵 」のコーナーに並んでいた岡崎桃乞の作品も並んでいました。この人よく分らなかったので、<第二遊歩道ノート>さんのブログを拝見。
https://karasumagaien2.hatenablog.com/entry/2022/02/05/.
「贔屓の舞妓をもつほど祇園での茶屋遊びに没頭した岸田劉生には連れだって遊んでいた画家がいました。
それが岡崎桃乞(とうこつ)、本名義郎(1902-1972)です。
劉生晩年期の非常に有名な肖像画、「岡崎義郎氏之肖像」のモデルになっている当人。
気障に煙草を構えたその肖像は、画家というよりダンディなホテル経営者のようにもみえます。
実際は岐阜の資産家に連なる人で、画業というより伝来の財産で十分遊んで暮らせた身分だったようです。
岸田麗子が著した『父 岸田劉生』の中では、桃乞が例の肖像画を気に入らず、受け取りを拒否したため、あてにしていた製作費を劉生がもらい損ねたエピソードが語られています。
桃乞は岸田劉生唯一の弟子ともいわれますが、画術の面は別にして、実際は資金面でのフォローも兼ねた遊び友達のような関係だったのでしょう。
劉生が鎌倉に去った後、京都に移住した岡崎桃乞。
彼は亡くなるまで京都に住み続けました。
住んでいた若王子の家は、法隆寺の木材を一部使って建てられたというユニークな住宅。
桃乞の前は和辻哲郎が住み、桃乞逝去後は梅原猛の居宅になっていたことでも有名です。」


inohag.com/newpage194.htmlから
 岡崎桃乞 おかざきとうこう 1902~1972
 奇人の画家と呼ばれた。岐阜の素封家に生まれ14歳の時画家を目指す。以後大沢鉦一郎、その後岸田劉生 と深い交遊を持つ。京都の祇園で遊蕩生活を送り、その当時の桃乞の肖像画を岸田が遺しているが彼の伊達 男ぶりが活写されている。宗元画の研究家でもありこの作品もその影響から写実的で謹厳な描き方である。

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