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コンテンツ作製のため、山風景等を素材にして様々な試みを綴ってみます。

大人の修学旅行(その10)

2013年03月12日 | お出かけ
唐門に彫られた「五七の桐紋」


明治31に豊国廟墓の修築がされ、「豊太閤三百年祭」が開催されました。

募金     15万円超
施工面積   39,600㎡
使用石材   21,255材
木材     71,396材
石工     16,613人
土工     4,233人
木工     5,380人
雑工     25,692人
工期     350日(起工日より)
竣工日    明治31年3月30日
豊太閤三百年祭 4月1日~5月31日

が、しかし
三百年祭の終了とともに唐門は閉じられ、第二次大戦後まで山頂への参拝は禁止となりました。

この画像は明治31年のものか、それとも戦後のものでしょうか?わかりません。

でも、脇に山頂へつづく山道がございます。ワタシもここから降りてきたのですが・・・


数メートルおきに石段もございます。


わき道より山頂へ向かいます。なので正門が閉められた時期ても、こちらから行けたのではないでしょうか?


三年ぶりの山頂です。


蜂須賀茂韶です


間違いありません。


正面右手(南側)の藪の中にも灯篭がございます。


先ずは背面から。
廟修復よりも古い建立です。
「明治十八年九月 更樹 権少教正 平瀬春愛


正面「豊圀神廟燎代」


廟正面です。修築工事の際に、壷に入った秀吉のお骨が掘りだされ、五輪塔の下に手厚く改葬されています。


さて、帰還です。最上部より階段下を見下ろします。


左方向が、木食応其の五輪塔がある平地です。


で、またしても唐門です。


唐門をじっくり見ておきましょう。


敷石も、伸びた樹木の根によって波打っています。


唐門のある平地に建つ灯篭です。「奉献 豊太閤廟前」


太閤坦を見下ろします。


この階段は下りにくいですよ。一段づつのスパンが違いますから、ピッチをあわせにくいのです。


太閤坦はすぐです。


参道脇にあったのに、三度目に初めて、ここを訪れました。


国松の墓と、


並んで建つ 松の丸殿(絶世の美女 京極竜子)の墓です。


碑文に謂れが書かれているのでしょうが、読めません!
なるほど、これだ


国松が斬首された「元和元年」が読み取れます。


「京極家」


両墓とも誓願寺から移設されたものののようです。


灯篭の基壇を撮影しておきます。


管理人さんに木食応其五輪塔画像を確認いただいて、しおりをいただきました。


前回気づいた、基壇のみ残る灯篭跡です。


それって、これだったんですね!他のものと比べ、黒味がかっていますね。(青銅かも)


やり残したことはないか?振り返り、後悔せぬよう考えましょう!


そうそう!太閤坦下も撮影しておきましょうね。


時刻は10:57 女坂を下り、


次の地点へ向かいましょう。

つづく




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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
奈良、京都はいい1 (s-sin)
2013-03-14 23:52:45
大人の修学旅行ご苦労さん。私も昔あちらに4年半いたこともあり、今でも何人かの友達との交流もあります。2年前・奈良は、新薬師寺から春日大社、二月堂、奈良国立博物館、薬師寺、平城宮跡、奈良ホテルに行きました。京都、伏見桃山界隈寺田屋で、昔に思いをはせたこともあったっけ。友達と、黄桜直営の食事処で一杯もありました。ここには確か有名な鶏料理の店もあったよ。東山も、銀閣寺から登り大文字山から東に下り、若王子あたりへ降りてきたこともあったっけ。ともあれ、奈良、京都はいいね。6323
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おっしゃるとおり (KAZU)
2013-03-16 09:29:53
奈良も、京都も良いですね!
両者とも歴史ある古都ですので、ミステリアスな散策にはことかきません。

機会があれば、何度でも行きたいです。

それと、吉野と高野山へも行かなくてはと考えています。
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