森かずとしのワイワイ談話室

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保坂展人世田谷区長in金沢 

2011-10-10 23:03:46 | 議員活動
 連休中日の9日夕刻、私たち市民の政策研究会の招きで、保坂展人世田谷区長が金沢にやってきた。プライベートな来沢で、結婚30年を迎えたお連れ合い様を伴って。小松空港からの車の中で、区長の激務の毎日を会話の端々に感じながら、講演会場の県教育会館に向かった。

 18:00からは、「脱原発と市民のとりくみ」と題した保坂のぶと講演会だ。意外な参加者、保坂さんと児童の権利保障、虐待防止などで一緒に仕事をしたという馳浩衆議院議員が参加した。期せずして超党派の集会ともなった。
 保坂さんから1時間、区長選立候補の思いがけない展開から当選、東日本大震災・福島原発震災被災地の支援、そして区内での放射線量測定や保育園、学校食材の産地メール通知、牛乳の放射能汚染調査、自然エネルギーシンポジュウムなどの区長としてのとりくみが語られていった。
 2011年の年明けからは、長崎のキリシタン差別問題の取材や、「タイガーマスク現象」から児童養護施設の子どもたちの厳しい状況を問題提起するジャーナリストとしての活動に没頭していたというから、4月の世田谷区長選挙は考慮外であったことが分かる。その保坂さんが、区長選出馬を決意するのは、ほかでもない東日本大震災の発災と福島第1原発の震災事故だった。
 中越沖地震の際に、社民党衆議院議員として原発内部に詳しい専門家を伴って現地調査に入り、柏崎刈羽原発の基礎の沈没や停止中原発の原子炉のふたがずれるなど放射能放出事故直前まで行った地震被害の深刻さから15項目の質問書を東電に出しながら、ほとんど無視された経験を引きずっていた。そこに起こった福島の事故だ。衆議院議員時代の元秘書が南相馬市で被災したことから、杉並区長と連絡を取り合いながら、災害時緊急相互援助協定関係にある南相馬市に避難用のバスを自治体としては初めて乗り入れさせた。避難援助が何ら無い30キロ圏内にあって、桜井市長の悲痛な訴えがこうして届いた。今問題になっている緊急時の重点対策区域8~10キロメートルの外側には何ら防災体制がない。人の命を守る責務は自治体にある。国の動きは遅い。自治体の責任を痛感しているときに、世田谷の応援者から「世田谷区長選挙に出てくれないか」との声がかかった。何の準備もない中で、立候補の決断をした。それが4月6日。選挙は5人が乱立し、83000票を得票して5000票差での区長当選となった。保坂さん自身、一昨年、昨年の国政選挙での運動が、区長選挙に結びついたと振り返っている。
 「青天のへきれき」で区長となった保坂さん。被災地支援と防災災害対策から仕事を開始した。皮切りは「居ながらボランティア」の保坂さんらしいセンスの造語が冠された民間の空き家登録事業だ。世田谷区内への避難者のほとんどは福島県からの避難だそうだ。今回の震災で被災地の県外でも住宅が仮設住宅として認められ、家賃が助成される制度が入った。これを活用して提供を呼びかけた。現在140軒が登録されているという。関連するが、金沢でも私の地元の方が所有するアパートの空き室提供を申し出られたことから、住宅政策課が県と協議し、県外空の避難者に民間住宅を提供する新しい協定締結を宅建協会と結ぶことになった。また、宮城県南三陸町とは、家屋の形状調査の事務支援に積極的に乗り出し、8500軒の調査に200人以上の世田谷区職員チームを派遣してきた。金沢からもライフラインの復旧や罹災証明事務などに市職員が被災地に派遣され、このうち宮城県名取市に派遣されている職員を表敬したことは以前報告しているとおりだ。
 私と共通する大問題意識は、原発防災体制が世田谷にももちろん無いことだ。保坂区長はこの問題に主体的にとりくむ。それは、独自のシミュレーションの実施だ。このシミュレーションの結果から、必ずや原発止めるべしの市民世論が高まると見ている。この脱原発の道を世田谷で現実のものとするために、まずは節電キャンペーンによる「原発待望論」を逆手に取る目的で東電に対する世田谷管内の電力消費量リアルタイム開示を求めた。電力使用量の状況を消費者が把握し、主体的に電力消費を調整することができる。このことから、電力浪費型のライフスタイルを転換し、電力供給力の余裕を実感できる。東電はコストと時間を理由に抵抗した。前日実績のデータ開示に応じた。「見える化」こそが脅迫型節電から民主的参加型節電への道、これが脱原発意識にもつながっていく。配電地域別電力供給というしくみから発想した戦術であって、いかにもアイディアマンの保坂さんらしい!
 私も、電気予報を北陸電力に求めよと6月議会で市長に迫り、保坂さんと連携した。
 さて、世田谷区では、焼却灰から放射能が検出されているという。世田谷ではすでに400カ所のモニタリングを実施してきた。区民からは、もっと目の細かいモニタリングを求める声が届いているという。因みに金沢では、私の求めに応じて、3台の線量測定器を配備して60カ所での測定に入る。
 世田谷では保育園、学校食材の産地メール通知、牛乳の放能汚染調査もおこなってきたことは先に述べた通りだ。これらの点で、被災地に比較的近いとは言え、金沢市政の対応よりも迅速だ。流石だ。
 保坂さんは、福祉についても語り、保育待機児、介護施設待機者ともに多い88万人世田谷区を、多産長寿の「おめでたい自治体」と前向きに捉えている。これも逆境を超えて不死鳥のごとく蘇ってきた保坂さんらしい。

 私との対談、参加者からの質問の中で、保坂さんは、国政から自治体首長への転身を、「執行責任に答えを出し、解決する力が要求される緊張の日々を送っているが、連立政権(交代)から2年、政治の実行力が問われる今、地方自治の現場に立つことに意味を見いだしている。








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