森かずとしのワイワイ談話室

平和・人権・地球・子育て・教育・くらし・そしてまちを語る

5年ぶりに 世田谷区羽根木プレーパークを訪問

2010-08-21 22:46:42 | 森かずとしの子育て・教育相談室
 地方議員交流会を終えて、宿舎を渋谷に移し、20日午前中は、9時から世田谷区の羽根木プレーパークを5年ぶりに訪問した。山本由起子市議、古河尚訓白山市議も同行した。

 羽根木プレーパークは、1979年の国際児童年を記念し、大村夫妻を中心とする住民運動から区が羽根木公園内に開設した。いわゆる草分けのプレーパークだ。私は、大乗寺丘陵公園に常設の子どもプレーパークの開設を目指し、NPO自遊創生団、NPOガイア自然学校と連携して、緑と花の課、生涯学習課に研究会設置にまでこぎ着けている。

 現在は、区内4カ所のプレーパークの運営を委託されるNPO法人プレーパークせたがやが、受託団体として、発足以来の理念である住民が主体的に運営するプレーパークとして多様な事業を展開している。前理事長の福島理事が、1時間を超えて発足の経緯から区役所との協議、住民運動としてのプレーパークの理念、プレーリーダーの要請の勘所、冒険遊び場がもつ教育のアンチテーゼ、はてはサービス万能社会の落とし穴まで滔々とお話をされた。

 私が最もプレーパークに期待するのは、学力「神話」の虜になった競争的教育の脆弱さに対し、子どもが育つ本来的な筋道を再発見し、子どもの世界と時間を保障する中から、自立して生きる力の土台を引き出す空間だ。プレーパークは、子どもがいなければ、今風の整備もされていない薄汚い公園に見えるが、ひとたび子どもが現れ、縦横無尽の遊びが始まるやいなや、そこは子どもに不可欠な創造の源泉の場に変貌する。その自由は、けがや人間関係のぶつかりをも含めた自己責任(新自由主義のそれとは似て非なる)と背中あわせだ。子どもの成長をお金に換算しない。他者に責任を転嫁しない。ここはそんな場所であることの了解を拡大することに最も勢力を注いでいる。会員制ではない。保険は最小限に責任を免れないケースにのみ適用される賠償責任保険のみ。治療費が出せない家庭の子どもがけがをしたら、治療費のカンパ活動でもやる。

 我が子が集団生活に適応できず、周りから苦情やお叱りを受け続けてきた親が、ここでは他人の目を気にすることがなく癒されると言う。子どもが遊ぶ空間で親が人間的な安らぎを回復する。もちろん、学校で居場所が見いだせない子どもたちがここでは生き生きと子どもらしい元気を取り戻す。ここに出会わなかったら人生はなかったと述懐する青年が何人もいるという。

 年間3000万円の事業委託費では、9人のプレーリーダーと2人の事務局員に4満足な賃金が出せない。職としての確立は未だ課題だ。それでも、若い青年たちがプレーリーダーとして子どもたちの見守りに従事している。彼らと対話して、ここには他にない世界がある、それに引かれてやってきた、と前を向いている。

 隔絶した世界があればいいとは思わない。しかし、そこから発信する教育や市民社会のオルタナティヴの意義は小さくない。「行政はお金は出すが口は出さないがいい。」福島理事のけだし至言だ。地域住民の子どもの成長への覚醒があり、地域の公園にプレーパークが生まれていったら、それはもうプレーパークの存在はいらなくなる。そんな夢を描いてみたいではないか。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。