そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2015年 徒歩の旅 第44日  日高町・豊郷夢民村ユースホステルへ

2016年05月08日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年5月14日(木) 雨のち晴 (厚真町・浜厚真野原公園
                   ~日高町・豊郷夢民村ユースホステル)




夜間、雨がだいぶ降り、テントの内外大いに濡れてはなはだ重し。

ウォーキングシューズを取り換え、前のものと、不要になった衣類、パンフレットや書類など返送すべく梱包する。ウォーキングシューズは、靴底がすり減ってきているもののまだ履けるのだが、宗谷岬までには、どのみち交換せざるをえず、ここで取り換える。

4時50分、出発。朝方に雨はやみ、曇空、無風。やや肌寒く、ダウンジャケットを着用。国道235号線(浦河国道)を東進。


海側は砂利などの採掘現場、反対側は原野の中を行く。


5時40分、入鹿別川を渡る。――沙原の長川にて行人怒るを以て名づくと云う。 (注 irushka「おこる」という語のつく地名は珍しい、とあり。




むかわ町に入る。昨日の大工さんの話では、むかわの先は、静内と浦河くらいしか大きな町はないから、買い物はそこでした方がいい、と。


6時20分、牧場に牛。このころから、道路の両側に牧場が現れ始める。


6時30分、コンビニにて荷物を発送。

6時55分、むかわ町の案内板あり。


7時15分、「道の駅 むかわ四季の館」にて小休止。道の駅というより温泉ホテル。駐車場には、キャンピングカー専用のスペースがあった。車中泊の人たちが朝風呂に入れるように、ということのようだ。


7時25分、鵡川大橋を渡る。


自動車専用橋には林業トラック。


鵡川上流側。川の名の由来は、アイヌ語のムッカ・ペッ:mukka-pet=ふさがる川に由来しているという説や、ムカ=水の湧くに由来しているという説など、諸説あると考えられています、と。




むかわ町はししゃもの産地。


8時40分、こちらは馬。


8時50分、競馬の種馬の牧場。


9時、日高町に入る。




動物注意の標識あり。キツネのイラスト。


9時50分、牧場に牛。


10時30分、沙流川。川の名の由来は、アイヌ語のサラ:Sar=葭原に由来しています。 別名をシシリムカ:sisirimukaとも呼ばれましたがこれは流砂で河口部がふさがりやすい川であることを示していると考えられます、と。日本有数の清流。


川のそばの広場にて、30分間、テント干し。太陽が出たり隠れたり、気温が上がったり寒くなったりで、結局は生乾き。

沙流川橋。


上流側。


河川敷のタンポポ。




12時25分、長い坂を上る。太平洋は波高し。




12時35分、門別灯台。灯台の真下まで行って見たが、展望はなし。海の上からはこちらがよく見えるのだろうが。




オオバナエンレイソウ。


13時5分、今度は大下り。




13時20分、波恵橋手前を左折。

坂を上り、牧場の間を通り、




キタキツネに歓迎(?)され、


また牧場を抜けて、


14時、国道から3㎞歩いて、豊郷夢民村ユースホステルに着く。宿泊、夕食のみ付き 4428円。

宿では、まずテント干し。
すぐにシャワーに入れ、衣類も少し洗濯。

オーナーの婦人は気さくで面倒見のよい感じの人。トーストを2枚焼いてくれたので、こちらの手持ちのレギュラーコーヒーをいれて二人でゆっくりコーヒータイム。

ひだか町は、農耕馬・競走馬など馬の産地。大きな輸送車は「バウンシャ」という。走行中もなかなかふくらんで避けてくれないのは、妊娠中の馬や仔馬を乗せているときで、荷台の中での転倒や衝突を防ぐため、だそうだ。

夕刻、お孫さんの女の子がピアノの練習をしているのを聞いた。ジブリの曲で和まされた。
夕食は、特記すべきリッチさだった。牛ステーキ、まぐろ・サーモン・いかの刺身、大きな椎茸などの野菜と山菜の天ぷら、山菜のおひたしと酢の物、みそ汁にご飯。

夕刻、車の男性が3人来たが、彼らは個室に泊まったので、広いドミトリーを独り占めして眠った。


2015年 第44日(佐多岬より106日)

歩数  51018歩    (佐多岬より累計  5404128歩)
距離  33㎞       (佐多岬より累計  3574.5㎞)
費用  6423円     (佐多岬より累計  508144円)