ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト

NGO ひろしま市民によるカザフスタン共和国旧ソ連核実験場周辺住民(核被害者)への支援・交流

ヌルダナ第1位に輝く

2010-11-18 22:18:06 | Weblog
ヌルダナ第1位に輝く 第21回日本語による世界平和弁論大会 2010年11月7日
【第21回日本語による世界平和弁論大会プログラム】
1  戦争と平和 苑 意(エンイ)(中国) 舟入高校
2  核爆弾料金 ザーラ・ブレッサン(ドイツ) 安芸府中高校
3  平和についての学び ヌルダナ・アディルハノワ(カザフスタン) 山陽女学園高等部
4  平和という単語が消えるまで 金 恵康(キム ヘガン)(韓国) 福山市立福山中・高校
5  今日の世界のテーマは、平和と発展 胡 炬(コセン)(中国) 広島経済大学大学院
6  平和ってなんですか タン・ウェン・イン(マレーシア) 舟入高校
7  一人から始める世界平和への取組 ジュリエット・クック(ニュージーランド) 美鈴が丘高校
8  平和への一歩 張 野琳(チョウ ジョリン)(中国) 広島工業大学
9  平和 ダイアナ・ボーゼック(ドイツ) 広島大学附属高校
10  世界平和 ナタリ・ベネガス(コスタリカ) 安芸府中高校
11  平和都市広島 フランソワ・フルニエール(カナダ) 広島県瀬戸内高校
12  原爆と平和 馬 亭蘭(マ テイラン)(中国) 広島経済大学
13  ボスニア・ヘルツェゴビナでの私の体験 ヨハンネ・ダニエルセン(ノルウェー) 山陽女学園高等部
14  二つの手紙 ナスタシア・シュドヴァ(ロシア連邦) 広島女学院高校
15  世界が平和になるまで 王 萍(オウ ヘイ)(中国) 広島工業大学

【本財団のおいたち】本財団が創立された基本的精神は、原爆をうけた広島の生存者が尊い生命を犠牲にした人々を思い、世界人類に対して恒久平和を念願することこそ広島の責務であるという信念に基づいています。被爆直後、悲嘆にくれた広島の現状を視察して被爆者を取材し、核兵器に対する憤りと被爆者への愛といたわりで綴ったアメリカ従軍記者ジョン・ハーシー氏による名著「ヒロシマ」によって、被爆地広島への関心は広がりと高まりをみせました。
こうした時の1948年、谷本清氏(当時広島市流川キリスト教会牧師)は、メソジスト教会ミッション・ボードの招きを受け、原爆による被爆の体験をもってアメリカを歴訪。15ヵ月の間31州、256都市、472団体において``被爆の惨状と平和の尊さ``を訴えました。「ヒロシマ・ピース・センター」という名前は、この訴えに呼応してアメリカで生れ被爆地広島に継承され、広く世界平和の運動を推進する母体として1950年8月8日、財団法人として認可されました。谷本清氏は、本財団創立以来理事長を務め、再三にわたってアメリカに渡り、原爆乙女の治療をはじめ養子縁組等の事業を実現し、内外で“恒久平和の実現と人類の福祉増進"を図ってきました。

【谷本清平和賞と世界平和弁論大会】1986年に谷本清氏の後を受けた二代目理事長鶴襄氏(学校法人鶴学園創立者)は、谷本清氏の偉業を祈念し、恒久平和実現と原爆体験の風化を食い止めるために貢献した人(団体)を顕彰し、より一層平和構築への推進力のとなっていただくことを願い、「谷本清平和賞」を創設しました。1987年ノーマン・カズンズ氏の第1回受賞をはじめ昨年の平野伸人氏の受賞まで21回の表彰をしてきました。
また、鶴襄氏は、若人たちが世界平和に対する関心を高め、国境を越えて平和実現のために手をつないでほしいとの願いから、1990年に第1回「世界平和弁論大会」を開催しました。こうした鶴襄氏の遺志は、谷本清平和賞と世界平和弁論大会を「国際平和の集い」として、本財団の基幹事業として今日まで受け継がれています。
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