ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト

NGO ひろしま市民によるカザフスタン共和国旧ソ連核実験場周辺住民(核被害者)への支援・交流

2011 春 広報誌

2011-05-26 11:17:54 | Weblog
東日本大震災の犠牲者の皆様に心より哀悼の意を表します。

「脱原発」の社会を ―フクシマの悲劇の教訓― 名誉会長 平岡 敬
 市民ボランティアの力でプノンペンに建設した「ひろしまハウス」の運営について協議するため訪れたカンボジアから福岡空港に帰ってきた途端、東日本大震災のニュースに接した。二〇一一年三月十一日午後八時過ぎであった。
 巨大地震と津波によって壊滅した地域の惨状は、戦後直後の焼け野原の光景と二重写しになって、私に迫った。かてて加えて、福島第一原子力発電所の放射能汚染は、核兵器廃絶を訴えてきた私には、大変衝撃であった。
 放射線被害の深刻さについては、私の場合、広島だけではなく例えばカザフスタンの核実験被害者の現状を見て、一定の認識を持っている。彼らは、核実験場の爆心地から数十キロメートル離れていた広大な地域へのフォールアウト(放射線降下物=死の灰)にさらされた。地上や空中爆発の際に放出される莫大な量の放射性物質から出る放射線によって外部被爆したり、汚染した土地でつくられた農作物やその草を食べた牛のミルクを飲食することで内部被曝した。
 原発の水素爆発のテレビ映像を見た瞬間に思ったことは、福島の人たちもカザフの被曝者と同じ運命をたどるのではないか、ということであった。
 被曝線量が発表されるが、数値の多寡よりも広島・長崎と想起することによって、その真の意味が理解できる。この目に見えない放射線の脅威に対して、政府や東京電力の対応はあまりにも無責任すぎる。巨大地震による津波について「想定外」という弁明が繰り返された。想定内であろうと想定外であろうと、放射線事故の重大さに対する危機感、切迫感が伝わってこない。
 おそらくは「パニックを起こさないため」という言い訳が用意されているのだろうが、放射能汚染分布を示すSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の数値を公表しなかったような情報隠しをはじめ「いま直ちに健康に影響はない」といった類の言い逃れに終始して真実を語らず、対策を怠る罪深さに慄然とする。土地は放射能に覆われ、着の身着のまま避難した人たちの絶望にこたえることのできない政治に、私は激しい怒りを抑えることができない。これは核戦争なのだ。

これまで原子力発電を必要とする理由については、主として二つのことが挙げられていた。
①  地球温暖化対策=CO2を出さないため環境への影響が少ない。
② エネルギーの安全保障対策=中国、インドなどの需要急増による石油資源争奪戦に備える。
それは、日本の経済成長をさらに発展させるためであった。

日本の原子力政策を進めてきた政府や電力会社は、広島・長崎からもチェルノブイリからも、何も学ばなかった。学者やマスメディアを使って「原発は絶対安全だ」と言い続けてきた。さらに水力発電、火力発電に比べて原子力発電のコストは安いと宣伝してきた。
 しかし、福島原発の事故によって、政・官・産・学・メディアの馴れ合いが安全対策をおろそかにした原因だという批判が起きている。また、原発の寿命が尽きて廃炉にした場合、その解体には建設費以上の費用を要し、高レベルの核廃棄物の処理方法も確立していない以上、原発のコストは安いと言うことはできない。
 スリーマイル原発事故(一九七九年)、チェルノブイリ原発事故(一九八六年)、東海村JCO臨界事故(一九九九年)に次いで福島の原発事故が起きたいま、原発の抱えている致命的な危険性が誰の目にも明らかになった。
 天災や人災によつ原発暴走の危険性は、これまで原発に批判的な人々によって散三指摘されてきたことだが、原発推進論者や原発利権に群がる人々が耳を貸すことはなかった。経済成長至上主義、効率最優先主義という価値観の下では、費用のかさむ安全性確保は二の次になってしまう。
 こういう社会に生きてきた私もまた、生活者として原発を必要悪と考え、容認してきた。
 私は核兵器廃絶をめざす立場から、核の軍事利用の危険性にのみ、目を向けていた。したがって原子力発電については、核兵器の原料となるプルトニウムを無くすことが重要だと考え、プルトニウムを生み出すウラン系原発方式を止めて、トリウム溶融塩炉の研究を進めるべきだと主張してきた。
 原発に対して「絶対反対」と言ってこなかったのは、エネルギーを消費する文明を享受しながら、つまり原発が生み出す電気を使いながら「反原発」を叫ぶことの矛盾が、「核の傘」の下で「核兵器廃絶」を訴える欺瞞と通じているような気がしていたからである。さらに「原子力利用は人類の夢」といった科学技術に対する私のオプティミズム(楽観論)が、原子力の“平和利用”への幻想をふくらませていた。
 しかし、資本主義システムのなかでは、特に政治や企業に無責任体質がはびこり、利潤追求を第一とする風土のなかでは、学術研究の成果も科学技術も歪められてしまうことをフクシマは教えている。
 これから先、表面化するはずの福島の放射能被曝者の苦悩を考えるとき、経済よりも生命が大切だ、という当たり前のことを、これからの日本社会のあり方を変える思想の根底に据えなければならない。それは、脱原発社会であり、集中から分散へ、さらには地方主権の確立へとつながるものである。
 いまこそ大量生産→大量輸送→大量消費→大量廃棄というエネルギー消費型社会から自然共生型社会への転換を図るときである。エネルギー政策を見直し、太陽光、水力、風力、地熱、バイオマス、潮力などあらゆる再生可能エネルギーの開発、実用化に向けて、原発建設にかける以上の資金を投入しなければならない。
 原発事故による損害や補償金の総額を考えると、もはや原発に固執すべきではない。原発立地で入ってくる金や生まれる雇用に頼ってきた地方自治体の悩みは深い。しかし、原発の「安全神話」が崩れたいま、地域住民の命と健康と守ることが、何ものにもまして優先されるべきであろう。
 同時に、私たちの価値観、生活スタイルも変わらなければ、原子力依存のくらしから抜けることはできない。
 「原発がなければ日本の経済は衰退する」と原発推進論者はいう。その勢力と生存権を守ろうとする人々とのせめぎ合いが、これから始まる。
 日本はいま深い悲しみと不安のなかにいる。地震と津波によって多くの命が失われた。フクシマの危機はいまも進行中である。収束の見通しは立っていない。毎日、毎日、放射性物質が放出されている。大気や大地は汚染され続け、人々は被曝の恐怖におののいている。劣悪な環境のなかで放射線を浴びつつ作業している現場労働者の健康も心配である。
 
私はテレビに写る福島の被曝者の姿を見るとき、一九九九年夏、セミパラチンスクで聞いた歌声を思い出す。それは核実験場閉鎖を求めて立ち上がったネバダ・セミパラチンスク運動で歌われた「ザマナイー時代よ!」である。放射能によってふるさとを失ったカザフの人たちの悲しみを、フクシマは共有してゆく。

     健やかな子らは なぜ消えた        清き故郷は なぜ消えた
     風になびく髪は  なぜ消えた       哀れなるわが大地
     心ない仕打ちよ  ザマナイ        数え切れぬ 爆発 閃光に
     ザマナイ ザマナイ            引き裂かれたわが心よ
(作詞:Ulugbek. Esdauletov  原語訳:アケルケ・スルタノワ 日本語詞:高橋朋子 )

私たちは広島・長崎で人類初めて放射能の脅威を体験したにもかかわらず、環境対策やエネルギー源枯渇対策を理由に、原発導入を選択した。それは、「絶対安全」という前提があってこそ認められるものであった。しかし、機械は故障し、人間は誤りをおかす。子どもたちの未来に対し、原発への道を選んだ私たちの責任は重い。
近代化の歴史には、自然を科学の力で支配できると考える人間の驕りが潜んでいる。ところが、目に見えない放射線を発する原子力の利用は、神ならぬ人間の手に負えるものではない。放射能の寿命はあまりにも長い。その半減期が万年単位で語られるとき、これはもう人間のスケール、人間の能力を超えている。人間の無力を痛感するだけである。
放射性物質の人類に対する脅威に関して、軍事、平和利用の区別は意味がない。そして放射性物質を管理することはきわめてむずかしい。一歩間違えば取り返しのつかない破局をもたらす。核兵器をコントロールできるとする戦略にもとづく核抑止論の思想と、原発の制御は可能だとする思想とは、根本的に自然に逆らう人間の驕りが生み出したという点で、根はつながっている。
核兵器廃絶は戦争を否定し、人間の尊厳を守ることであり、原発脱却もまた自然と生命への畏敬を取り戻すことである。

 (お断り)この文章は、近く出版される拙著の「あとがき」から転用したものである。
◎平岡敬先生は京城中学校・京城帝大予科・旧制広島高校・早稲田大学卒業、中国新聞記者、中国放送社長、1991年 広島市長(2期)、1998年 ヒロセミ会員・世話人代表・現在名誉会長。

【多山報恩会訪問】
2月17日 ヌルダナ、平岡名誉会長、小畠の3名が前増井理事長の弔問。
今までの支援に対するお礼を申し上げました。生前の理事長の思い出話を新徳永理事長と共に語り在りし日を偲びました。

【ヌルダナ帰国】
 帰国便1日遅れる。東日本大震災の影響を実感。3月24日(火)ソウル経由で帰るヌルダナを早朝広島空港に平岡名誉会長、日本語ボランティアの先生、平和ゼミの生徒の見送りを受けました。荷物検査の長い列を通って、チェックインのカウンターで、重量オーバーを気にして待っていたところ、ソウルまでの便の予約はあるが、アルマトイ便は飛んでないとの事。キツネにつままれたような気分を取り直して、カザフスタンの旅行会社に電話をすれば、28日の便の予約は入っているとの回答。取り敢えず、会員小田氏の好意で帰国までホームステイをお願いして一同出直すことになりました。帰宅後日本の業者に問い合わせたところ、震災後週2便のエアーアスタナ便が週1便に変更に成ったとのことでした。アイダナの両親の懸命の努力によって25日のアシアナ航空便を確保出来ました。
やっとのことで、翌日の25日に無事帰国できました。前日の広島空港のロビーの混雑ぶりが打って変って静まり返った税関手続きを経て拍子抜けしたように見送りました。

【第12期留学生】
アイダナ・アシックパエワ(17歳)がカザフスタン共和国からの今年の留学生です。高校2年生に所属。山陽女学園の入学式が4月7日(木)廿日市市のサクラピアで行われた。大会場のアルプススタンドの保護者席にヒロセミスタッフ5名が座る。新入生は1人ずつ名前を呼ばれて起立していきました。アイダナの名前は、一番最後になって呼ばれほっとした。カザフの明るい目をした、小柄なかわいい高校生。ほんの少しの日本語の会話からもしっかりした性格が感じられた。

【シルクロードからの平和の天使(ひろしまフラワーフェスティバル )】
日時:5月3日(日)13:40~約20分間
場所:「 シクラメンパーク」ステージ:NHK広島玄関前
出演者: アイダナ・アシックパエワ(1993年11月20日生 17歳 カザフスタン留学生、山陽女学園高等部2年)
小畠 知恵子 こばたけ・ちえこ   (プロジェクトスタッフ)
曲 目:1. 民族舞踊「カラジョルガ(競走馬)」2. 民族舞踊:「クアナムン(歓喜する)」
3. ザマナイ カザフ語版  
CDの紹介  日本語版.  英語版



山陽女学園体育祭5月23日

【カザフスタン共和国からの東日本大震災への人道支援物資】
KAZAKHSTAN SENT HUMANITARIAN ASSISTANCE TO JAPAN
Tokyo, April 21: In accordance with the decision of the Government of Kazakhstan aircrafts of the Ministry of Emergency Situations of Kazakhstan has delivered on April 12 and April 18 humanitarian aid to Japan.
Kazakhstan sent 33 tons (83 250cans) of steamed beef to earthquake and tsunami victims.
33トン(83,250缶)の蒸し牛肉缶づめ
The relief supplies have been delivered by the Embassy of Kazakhstan in Japan from Narita International Airport to the areas in need in Miyagi Prefecture.
Also, the Government of Kazakhstan provided relief money of 1 million US dollars to the Red Cross Society of Japan.

100万ドルを日本赤十字に寄付。
カザフスタンからの震災見舞いが多く届きました。
[カウンターパート、カザフ放射線医学環境研究所]
Due to our lasting friendship the people of Japan became very near and
nativy to us and we share to days tragical pain whis them.
We hope and believe nothing can not prostrate in the spirit of people and
the people of Japan will worthily overcome all the difficulties.
On behalf of the Institute of Radiation Medicine and Ecology
Director - Apsalikov, Nailya Chaizhunusova(アプサリコフ所長、ナイラ副所長)

元留学生からも電話とメールの震災見舞いが寄せられました。
アミーナ、マディナ、アイジア、シャラピア、アイム等より
東京に再留学しているアイヌルは3月末には広島に婚約者と伴って訪れました。(宿泊栗栖宅)
その際、山陽女学園を訪問しました。在日カザフスタン大使館には職員2名を置いて全員が帰国したとの情報をもたらしました。9月には母国で結婚式を挙げる予定。
大学院生アケルケはカザフスタン政府と両親からの哀願により止むを得ず、一時帰国をしましたが現在は日本に戻ってきています。

【経過報告】
2011年1月12日 広大国際シンポジウム 16時より武市先生発表
2月19日 留学生送別会 15時~17時 広島市留学生会館
3月25日 留学生帰国
4月4日 留学生来広
4月7日 次期留学生入学式
4月23日(土)チェルノブイリの教訓・広島からの医療支援 18:15~21:00 広島市まちづくり市民交流プラザ
(主催:チェルノブイリ支援・広島医療協議会)
5月3日(火) フラワーフェスティバル出演  午後1時40分~2時 / アイダナ・アシックパエワ ほか
5月4日(水)・5日(木)は日本ユーラシア協会(テント)バザーの応援
5月3日 憲法集会/広島県民文化ホール/13:30開演(13:00会場)、アイダナ見学
・ 第一部《記念講演「日本近代史の課外授業」》 講師 加藤陽子氏(東京大学大学院教授)
    著書『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』『戦争と日本人』
   ・ 第二部《憲法ミュージカルNo18》『閉塞の時代を生きる~石川啄木のメッセージ~』
5月14日(土) 袋町キャンパス 12:30~ せこへいゼミ
5月20日(金) 世話人会 :19:30~21:00 広島市まちづくり市民交流プラザ フリースペース
5月21日(土) 『体育大会』/山陽女学園高等部 参加:黒川、小畠、浅海 川崎

【今後の予定】
5月28日(土)・29日(日) 平和ゼミ 安芸高田市 吉田少年自然の家 総会・リーダー講習会
6月2日(木)創価大学にて 平岡氏講演と「ザマナイ」TOMOKO歌唱
6月5日(日) 13:30~16:30 「原爆の子」をうけついで(平和記念資料館B1メモリアル)
6月11日(土)ヒロセミ総会・留学生歓迎会開催(別紙参照)
6月23日(木)ヒロセミについて 比治山女子高校
6月24日(金)広島友の会・カザフスタン紹介・アイダナ 話と民族舞踊
6月25日(土) 袋町キャンパス  せこへい美術館ワークショップ
7月2日(土)JRP(ジャパン・リターン・プログラム)との交流 14:00~原爆資料館
7月18日(月・海の日) 東区民文化センター大会議室 せこへい美術館ワークショップ
7月31日(日)「平和の灯のつどい」(平和公園)
8月4日(木)~8月14日(日) せこへい美術館(旧日銀広島支店)/8月5日オープニング13時ころアイダナ民族舞踊出演

◎本年度(2011年度第14期)定期総会の開催を案内いたします。(別紙参照) 
日  時  2011年6月11日(土)午前11時より
会  場  広島市留学生会館 2階 ホール



●日本大学  安元教授ゼミ カザフ訪問後  50名前後の学生、来広
  9月19日、20日  19日の午後、ヒロセミの説明 平岡名誉会長 講演
●留学生関連
①2年生修学旅行  10月
行き先 シンガポール、東京、オーストラリアから選択 
費用 本人負担 (母親が了承済)
② Jテスト 6月15日申し込み、締め切り  試験日7月10日(日)
会場  ・広島YMCAホール(市電 立町駅)
●「ザマナイ」の楽譜が事務局にありますので必要な方はご連絡ください。

【カザフスタンスタディーツアー:CANVaS・日本大学・ヒロセミ合同】国際交流グループ “CANVaS”(代表 小麻野 貴之)企画書より

[趣旨] 2009年8月29日、カザフスタンは旧ソ連時代の核実験による最初の被曝から60年を迎えた。この節目の年にCANVaSはカザフスタンのアルマティにおいて、現地の若者達と、広島の被爆とカザフスタンの被曝の歴史を相互に学びあい、共に平和について考えるための会議を実施した。この会議は、両国の若者達が核なき平和な世界を目指す思いを共有し、国を越えて平和運動を連携して進める関係を築く契機となった。これまでに得ることのできたカザフスタンとのつながりを新たな平和活動の取り組みに活かすべく、今夏カザフスタンへのツアーを下記の通り実施する。 

[経緯] CANVaSは2003年設立以来、広島においてカザフスタンの被曝者支援を行うNGO ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクトの協力を得て、カザフスタンの若者との交流事業を国内外で行ってきた。カザフスタンが被曝60年を迎えた2009年に国際都市アルマティで開催した若者による平和の会議では、広島の被爆体験のビデオ紹介や、カザフスタンの核実験の実情についてプレゼンテーション、また戦争を避けるために自分達は何をするべきかについて意見交換を実施した。
 原子爆弾が無実の多くの人生を奪い、被害を与えることを若い世代に理解してもらう必要があるが、カザフスタンの学校では核実験による被曝体験についてほとんど情報が得られない。参加者からは、「世界中から戦争をなくそう」という認識を子供のころから育てなければならないという意見が述べられた。またCANVaSの活動を広め、このような行事を今回だけで終わらせるのではなく、カザフスタンの高等教育機関などでもできるだけ多く行ってほしいというコメントが多数寄せられた。また会議終了後に、現地の若者4名がCANVaSに加入した。

[目的] 今なお世界には数多くの核兵器が存在し、人々が核の脅威にさらされている。かつて核による被害を受けた歴史を持つ日本とカザフスタンの若者が、国を越えて平和運動を継続させることは、核廃絶への思いを世界に発信する大きなアクションの一つとなる。
 本事業では、日本とカザフスタンの核被害の歴史を風化させないためにも、次代を担う若者が歴史を学びあい、より交流を深めることで、国境を越えた継続的な平和活動の活性化につなげることを目的とする。

[実施期間] 2011年8月23日(火) ~ 2011年8月31日(水) / 9月3日(土) ※CANVaSの日程。

[実施内容] カザフスタンへ若者を中心に訪問団を派遣し、本事業の目的を達成するために以下の事業を実施する。
・セメイ、アルマティを訪問し、現地の若者との交流を実施。併せて博物館等の視察を通して、カザフスタンの歴史や文化を学ぶ。・セメイにおいて、放射線医学・環境研究所及び医学アカデミーを訪問。・旧核実験場を視察。(天候等の不都合が生じた場合、旧ソ連時代に核実験の中心を担った町クルチャトフを訪問し、博物館を見学。)・旧核実験場周辺の村の病院を訪問し、被曝者の検診や医療についての実情を学ぶ。また被曝者証言の聞き取りを実施。(以下、調整中)・アルマティの国立カザフ民族大学を訪問し、大学生を中心に若者とのディスカッションを行う。 ☆テーマ「両国における被ばく体験の継承と発信」 

[ツアー派遣人数] 12名(大学生6名) [内CANVaS4名, 安元教授ゼミ6名、ヒロセミ2名]

[日程表(案)]日付 主な予定
8/23 (火)出国 ~韓国 インチョン空港 18:10発(OZ 577)カザフスタン アルマティ空港着(21:50)
8/24 (水)セメイ(旧セミパラチンスク)へ移動。アルマティ空港発(SMK-1447便 9:30発)→セメイ空港着(10:50着)現地の協力者である放射線医学環境研究所・医学アカデミーを訪問。
8/25 (木)旧核実験場またはクルチャトフ視察。
8/26 (金)核実験場周辺の村を訪問。被曝者証言を聞き取り。
8/27 (土)医学アカデミーで開催される学会「ECOLOGY・RADIATION・HEALTH(生態環境・放射線・健康)」に参加。(市内視察。)
8/28 (日)アルマティへ移動。セメイ空港発(SMK-1448便 11:45発)→アルマティ空港着(13:15)
8/29 (月)日本センター訪問。学生との交流。
8/30 (火)カザフ民族大学訪問。学生とディスカッション。(テーマ「両国における被ばく体験の継承と発信」) ※大学訪問の日程がずれた場合、市内視察。アルマティ空港 23:00発 韓国 インチョン空港着(8/31)
8/31 (水)韓国 インチョン空港発 ~ 帰国 CANVaS日程調整中。(大学訪問予備日)
9/ 1 (木)CANVaS日程調整中。(大学訪問予備日)
9/ 2 (金)アルマティ空港 23:00発(OZ 578) 韓国 インチョン空港着(9/10  07:40)
9/ 3 (土)韓国 インチョン空港発 ~ 帰国
CANVaS参加者(4名) 小麻野 貴之  伊達 美和子  手島 愛子   二上 真衣 ・
日本大学安元教授ゼミ参加者(6名) 安元教授夫妻  近藤 沙紀   青木 悠子  浦田 綾香  渡辺 泰幸
ヒロセミ  桐山信一 黒川富秋


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