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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

失敗 

2020-11-24 22:50:50 | 文化

 

>362005 失敗したくない若者と、失敗を叩く日本の風土

>匿名希望kk ( 会社員 )  20/11/24 AM10 

>リンク

> アメリカの起業は根本的に新しい事を始めるが、日本の起業は成功者の真似ばかり

 

日本人には意思がないですからね。  

 

>大企業は裏庭から生まれる  >日本の若者は失敗を恐れていて、失敗したくないあまり全員で同じ服を着て就活し、他人とお辞儀の角度すら同じにしようとする。

 

人の振り見て我がふり直せ’ ですね。  

 

> 政府やニュースでは日本は起業が少ない、企業文化がなく外国のようなベンチャー企業が育たないと嘆いています。 > 米スーパー企業のGAFAM、グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン、マイクロソフトはいずれも若者のベンチャー企業でした。 > 自宅とかガレージとかが最初のスタートで、ビルゲイツは15歳で企業から給与計算ソフト開発を請け負ったのが始まりでした。 >ビルゲイツの家は金持ちでコンピュータや最新科学に触れる機会があり、勉強熱心で才能がありセンスもあった。 >だが今の日本ですらこんな事が可能かと言えばノーで、日本では子供が金を稼ぐのを全力で禁止している。 > 世界一の個人投資家ウォーレンバフェットは小学生のころコーラの転売でビジネスをスタートし、11歳で最初に株を購入した。 >バフェットの家も金持ちで父親は州議会議員で株のディーラー、投資家のスタートも父親の会社に就職している。 >アップルのスティーブ・ジョブズは面白く、実父はシリア人活動家だが養子に出されジョブズ夫妻に引き取られた。 >ジョブズの最初のビジネスは無料で(違法に)電話を掛ける装置の販売で、奇妙な縁でヒューレット・パッカード社でバイトしたのがIT業界入りのきっかけになった。 > 電話装置を開発したのがウォズニアックで、アップルコンピューターも彼が開発したが、会社はジョブズが乗っ取った。 >ジョブズは他人が開発した物を横取りしたり、自分では作れないものを技術者に作らせて、宣伝して販売するのが得意だった。 > 失敗を許さない社会に成功者は現れない

 

そうですね。失敗は成功の基ですね。失敗すると勉強になりますからね。   

 

> もしジョブズが優秀な技術者だったら、アップルは現実程成功しなかったでしょう。 >アマゾン、フェイスブック、グーグルの始まりも庭先や自宅やガレージで、最初は非常に小さなビジネスでした。

 

小さく生んで大きく育てる’ ですかね。

 

> 日本でこの手の小さなビジネスが大成功したのは1960年代頃までで、ホンダやソニーなど世界的大企業が誕生した。 >その後外食チェーンや衣料品チェーンなどの起業と成功の時代があり、90年代以降はソフトバンク、楽天のようなIT企業が多く誕生した。 >2000年代以降もIT企業は誕生しているが、アメリカと異なり根本的に新しい事を始めたり誕生してはいない。

 

日本人の得意とする ‘猿真似・後追い’ では、根本的に新しいことは始められませんね。   

 

>ソフトバンクや楽天は要するに欧米で既に存在した物を日本に持ち込んだだけで、アップルが最初にパソコンを作ったのとは違う。> 昔から日本はそうで、第二次大戦中の発明はイギリスはレーダー、アメリカは原爆、ドイツはジェット機とロケット、日本は特になしでした。

 

そうですね。日本人は伝統に固執していましたね。  

 '敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである'  (昭和天皇)    

 

>この原因は失敗を許さず失敗した者を過酷なまでにバッシングする風土にあると言われています。

 

そうでしょうね。わが国に存在する序列順位の競争は減点法によるものですからね。   

 

>ネットやテレビや新聞でも成功者への妬みが酷く、失敗したら国中で袋叩きにしています。 

 

自分の仕事に専念できない人だからでしょうね。自己が無いので他人の事ばかり気にしているのでしょうね。    

日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列なきところに礼儀なしである。

礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて堅ぐるしい日常生活を送っている。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。無哲学・能天気である事は、人々にとって全然気にならないことである。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

 

 

 

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空気の暴走 2/2 

2020-11-24 21:06:55 | 文化

 

>ここが特徴です。>明確な掟さえあれば、それに従えばよいので空気を読む必要はありませんが、逆に言えば明確な掟が少ないからこそ、何となく読んだ空気を掟とするのです。 

 

自己の ‘あるべき姿’ が必要ですね。各人に哲学が必要である。 Everyone needs a philosophy.     

 

> 明確な掟が生じにくい理由はいろいろと挙げられます。 

 

何といっても日本語の影響が大きいでしょうね。

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」  

 

>そのなかでも、曖昧なコミュニケーションを好む姿勢、神様を絶対視しないような習慣はわかりやすいものでしょう。  

 

それは、なれ合いですね。’なあなあ主義’ でしょう。‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。

日本人には、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) があって、意思疎通 (相互理解) がない。恣意 (腹) の探り合い (談合) があって、意見の交換 (議論・対話) がない。恣意決定 (盲目の判断) があって、意思決定 (理性判断) がない。だから、日本人の責任者は説明責任が取れない。未来は一寸先が闇に見えて危険が一杯である。お変わりのないことが何よりなことである。

 

>たとえば人間よりも偉い神様が絶対的な存在として君臨していれば、神様との契約は絶対です。>これが強い掟になります。>ところが、日本では神様がそこまでの存在にはなっていません。

 

日本人には現実の内容があって非現実 (考え) の内容がない。だから、意見は ‘現実 対 現実’ の比較になる。しかし、現実の内容は千変万化してとどまるところを知らない。だから、比較による結論も次々と変わる。そして、現人神も信頼できない。   

山本七平は、<ある異常体験者の偏見>の中で、日本人の絶対化について述べています。「日本軍が勝ったとなればこれを絶対化し、ナチスがフランスを制圧したとなればこれを絶対化し、スターリンがベルリンを落としたとなればこれを絶対化し、マッカーサーが日本軍を破ったとなればこれを絶対化し、毛沢東が大陸を制圧したとなればこれを絶対化し、林彪が権力闘争に勝ったとなれば『毛語録』を絶対化し、、、、、、等々々。常に『勝った者、または勝ったと見なされたもの』を絶対化し続けてきた―――と言う点で、まことに一貫しているといえる。」と書いています。  

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官) 

変わり身の早さは日本人の得意芸ですからね。目先・手先の事柄に神経を集中させていますね。現実があって非現実 (考え) の無い人間の特徴ですね。

 

>もちろん信心深い方もいることでしょうが、もっと人間に身近な存在です。>だから、人間の都合に応じ平気で神様を作ったり改造したりしてしまいます。 >神様が絶対であれば、人間が勝手に手を加えるなんてできないはずです。 >ちなみにですが、私の地元には喜多方ラーメン神社まであります。 

 

日本人は奥ゆかしい(深い考えがあるようにみえる)。だが、実は日本人には、奥 (考え) がない。だから、浅薄である。

日本人には、儀式 (作法) ばかりがあって、教義 (考え) というものがない。だから、子供の時には宮参り。結婚式はチャペルで行う。葬式は仏式でやる。全ての行為は、気分・雰囲気で決められている。

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’( グレゴリー・クラーク)  

 

> 明確な掟が少ない日本では、曖昧な掟である空気が諸外国より発生しやすくなります。

 

空気の研究が必要ですね。付和雷同の研究ですね。        

 

>また、決まりきった掟が少ないということは、新型コロナ禍における緊急事態宣言のような要請によって、新しい掟を作りやすいということです。>しかも、それが全国に広まりやすいということでもあります。 

 

朝令暮改も可能ですね。しかし、日本人の政治家に政治哲学を持たせることは難しいでしょうね。国家のグランドデザインやマスタープランを描かせることが難しい。政治音痴は治らない。      

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。    

 

 

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空気の暴走 1/2 

2020-11-24 20:48:39 | 文化

 

>362002 日本を支配する「空気の暴走」は止められるのか  >なぜ同調圧力が強い国だと感じられるのか >吉 四六 ( 会社員 )  20/11/24 AM01 【印刷用へ】 

>リンク

>農村をベースにした日本人論はよく目にするのですが、しかし農耕は別に日本だけの特徴ではありません。>水田は多くないでしょうが、共同管理を要する仕事は水田に限りません。>このように見ていくと、どの社会にでも同調圧力は存在していると考えたほうが自然でしょう。 

 

そうですね。   

 

>しかし一方で、多くの日本人は実際に強い同調圧力を感じ、「世界でもっとも強い」とすら主張する人もいる。>これはなぜでしょうか。 

 

無哲学・能天気であるから個人が弱くて圧力を強く感じるのでしょう。   

 

>日本の何が特徴的だと考えればいいのでしょうか。  

 

日本語が特徴的でしょうね。   

 

> 「明確な掟」が少ない  >一言で表せば「明確な掟が少ない」という点です。  

 

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行く。世界は過去から現在・未来へと一方向に移動する。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になる。批判精神のない人の文章は、現実の内容の垂れ流しになる。子供のようなものである。マッカーサ元帥の ‘日本人12歳説’ は有名ですね。日本には大人になる為の教育がない。

‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。マスコミも現実の内容をただ垂れ流す。だから、個性が見られない。個人主義が理解できない。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。それで、相手からも信頼されない。広く国際的な協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。

 

>それゆえに曖昧な掟である「空気」が強い力を持つ。

 

そうですね。無哲学・能天気な人間には気分・雰囲気が頼りですね。山本七平は「『空気』の研究」のなかで、そのことを指摘しています。

「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いています。

 

 

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学歴序列 2/2 

2020-11-23 18:01:23 | 文化

 

>東大卒と地方の名前も知られていないような大学の卒業では、受け取られ方に大きな差があるのは現実です。>東大卒というレッテルがあるほうが有利なことはあります」

 

東大卒有利は井の中の蛙たちの間だけの話ですね。その内容は、小さな話に限りますね。    

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行く。世界は過去から現在・未来へと一方向に移動する。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になる。批判精神のない人の文章は、現実の内容の垂れ流しになる。子供のようなものである。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。マスコミも現実の内容をただ垂れ流す。だから、個性がない。個人主義が理解できない。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。それで、相手からも信頼されない。広く国際的な協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。

 

>■学歴は不確実なレッテル、それでも求めざるを得ない > レッテルは絶対ではないが、レッテルがあったほうが可能性は広がる、と彼はいう。>そして、「レッテルは、持っていないより、持っていたほうがいい。 >持っていても役にたたないかもしれないけど、必要なときに持っていなかったら可能性を潰すことになります」ともいった。  

 

そうですね。日本人には ‘あるべき姿’ の内容がないのであるから、人々はあらゆる可能性に備えていなければなりませんね。政治不信がありますね。

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官) 

変わり身の早さは日本人の得意芸ですからね。目先・手先の事柄に神経を集中させていますね。現実があって非現実 (考え) の無い人間の特徴ですね。  

 

>  さらに、自分を納得させるような口調でいった。 >「入学試験を乗り越えれば、より高い次元に自分をもっていける可能性につながるレッテルがもてます。 >だから、『合格しろ』と子どもにいうし、そのために安くない学習塾の費用も払っているわけです」 >  保護者も単純に学歴社会を信奉しているわけではない。

 

そうですね。日本語を話す限りわが国の序列社会から逃れることはできませんからね。   

 

>ただし、学歴社会を完全否定できる材料もない。 

 

それどころか、アメリカは学歴社会ですからね。政府も人々に高学歴を求めています。 人手不足は存在しても、頭脳不足のない国などは論外ですね。     

 

>であれば、「可能性」という不確実なものに、保護者は賭けるしかないのだ。 

 

そうですね。わが国の政治家は、無哲学・能天気ですからね。各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy. つかみどころのない政治の内容に国民は賭けをするしかないです。これは一種の国難ですね。時代の閉塞です。   

 日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。 (ウスビ・サコ)

 

>そうした思いを、我が子の中学受験、高校受験、大学受験のたびに、保護者たちは強めていくのかもしれない。 

 

そうですね。受験戦争は、処世術 (現実) に関する争いですね。中学受験・高校受験・大学受験と受験戦争の過熱によって、わが国の学問 (非現実) が興隆することはありませんね。受験戦争は、無哲学の国のあだ花ですね。

‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)    

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

 

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学歴序列 1/2 

2020-11-23 17:40:58 | 文化

 

>361955 事実直視しなければ、学歴信仰に縛られる  >kanarchy ( 24 会社員 )  20/11/22 PM01  >未だに残る学歴主義。

 

学歴主義は序列主義の言換えに過ぎないですね。   

 

>それの原因の一つに母親の子育て不安がある。 >リンク 

 

安全な国にある不安定な心境ですね。   

 

>自分の頭で物事を本気で考えていない、子どものためではない、というのが根底にある。

 

無哲学・能天気の症状ですね。

 

>そのため、いい大学に行けば、可能性が拡がるだろうという幻想が邪魔をしている。>(企業の募集戦略が若者の意識を変えていってしまったのも事実)  

 

気分・雰囲気の問題ですね。   

 

> 可能性・先端に収束していくのは生命原理でもあるが、間違った観念が日本の学歴信仰、いわゆる、いい生活、いい仕事を送るためのいい大学にいかなくてはという意識を生み出す。 

 

そうですね。‘いい’ 生活・ ‘いい’ 仕事・ ‘いい’ 大学などの ‘いい’ は、序列メンタリティ (考え方) に囚われた気分・雰囲気ですね。   

日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列なきところに礼儀なしである。

礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて堅ぐるしい日常生活を送っている。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の表現に過ぎない。そのため、個人的精神的な意味がない。無哲学・能天気である事は、人々にとって全然気にならないことである。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

序列人間は人間序列を作る。上位の者と下位の者の間に自分を差し挟むことにより自己の存在感を意識している。だから、自己の所属する序列に強い帰属意識を持っている。義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことにより仕事にやりがいを感じている。周囲の序列人間が序列に対する貢献を評価するからである。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが人生の楽しみである。 

 

> 事実に目を向けなければ、何も実現しない一生を送ることになる。

 

序列メンタリティに邪魔されているので、日本人には現実直視が難しいですね。

日本の大学は総じて程度が低いのであるが、そうした事実はあまり日本人には気になりませんね。気になることは序列順位です。我々の教育のゆがんだ見方に原因があるのでしょうね。 

日本の教育が国際基準から逸脱しているということは、とりもなおさず日本人が国際基準から逸脱していることになるのでしょうね。 日本人の気になる事柄は、自国民同士の序列順位でしょうからね。日本語のない世界には通じない判断基準でしょうね。          

我々の判断基準を持ちつづける為には、我々が ‘井の中の蛙’ であり続ける必要がありますね。   

 

> 以下リンク転載

>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

>■変質する学歴社会の実態

>  首都圏での中学受験者が増加傾向にあるということは、保護者の教育熱、それも「名門校への進学熱」が高まっていることを示している。 

 

そうですね。この進学熱がわが国の学問の興隆に寄与しないところが大きな問題ですね。  

 

>なぜ、保護者の進学熱は高まっているのか。 >我が子の進学に何を期待しているのか、小学生2人の娘をもつ都内在住の父親に訊いてみた。 > 「いわゆる『いい学校』に進学して『一流の会社』という道を自分の子どもに歩ませたいというのは、子どもに幸せになってもらいたいからにほかなりません」。>それが、彼の返事だった。

 

序列を見れば、それがこの世の全ての価値であると思い込んでいるようですね。     

 

>  ここだけ聞けば、学歴信仰だとおもえる。>いい大学を卒業すれば、いい会社にはいることができ、安定して豊かな人生を送ることができる、という学歴社会が前提になっているように聞こえる。

 

狙っているのは、‘良い・良い’  尽くめの人生ですね。

 

>  そこで、「いまでも学歴社会だと信じているのか」との疑問を彼に投げかけてみた。 >いい大学に入学するには、中学や高校も進学率の高いところを選んだほうが有利である。 >だからこそ、我が子に中学受験させるといえる。 

 

序列メンタリティの表われですね。   

 

>  その質問に彼は苦笑いを浮かべながら、「確固たる学歴社会が存在しているとは考えていません」との答を戻してきた。 >さらに続ける。「いい大学を卒業したからといって、いい会社にはいれるとはかぎらない現実があることも知っています。 >一流といわれる会社でも、経営危機に陥る時代ですから、一流会社にはいったからといって安定した生活が保障されているわけでもないこともわかっています」 > 「でもね」と、彼は続けた。 >「でもね、学歴で人を判断する現実はありますよね。  

 

ありますね。我々の世間は、’上と見るか・下と見るか の世の中ですね。これは、日本語の社会そのものですね。消えてなくなるとは考えられませんね。   

 

 

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