>361857 教育産業につぶされる子供たち >野崎章 ( 46 九州 会社員 ) 20/11/18 PM01 【印刷用へ】
> 中学受験の母親と息子の様子を書いた記事。>読んでいて切なくなる。
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>※※※以下、引用※※※
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> この頃、海斗君は頻繁に「ママの嘘つき! 中学に入ったら、勉強しなくていいって言ったくせに!」とみゆきさんに怒っていたらしいが、「学校を変える?」と聞くと、「絶対に嫌だ!」と首を横に振るばかりだったという。 >「このあたりが難関校の哀しさですよね。 >あのX学園の生徒だという看板だけが、海斗の拠り所ですから……。
先輩と後輩の間に自分の名前を差し挟むことにより、自己の存在感を実感することができる。
>どうにか高校に上がったものの、さらにスピードを上げる授業進度に付いていけるわけもなく、海斗は完全にやる気を失っていました」 >同級生は「プライドを満たせる大学」に入学したけれど……
日本人は、序列人間です。序列の存在を知れば一も二も無くそれが価値あるものと思い込む。
> X学園は、東大をはじめとする難関大学に合格者を出している全国でもトップクラスの学校なので、みゆきさんいわく「同級生の大多数が、自分のプライドを満たせるような大学に入学」するという。 > 高3になった海斗君は、願書を出した大学にどこも合格せず、浪人へ。>そして、4浪めだった今年、志望校の偏差値を大幅に下げた、ある中堅大学に合格し、進学する運びとなっていた。
日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。
日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列なきところに礼儀なしである。
礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて堅ぐるしい日常生活を送っている。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。無哲学・能天気である事は、人々にとって何ら気になることはない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。
>しかし、コロナ禍で大学がクローズ状態となった影響もあり、大学が再開され始めた今でも、大学にはまったく行かずに、引きこもっているような状態だという。> 海斗君のケースは、中学受験の合格で燃え尽きてしまって、その後、勉強に身が入らないという典型である。
大学に入学したとたんに燃え尽きてしまう学生もいますね。受験勉強は恐ろしいものですね。学問 (非現実) とは関係のない処世術 (現実) の戦いですね。
> みゆきさんは「学校が悪かったのか、親が悪かったのか、子どもが悪かったのか」と悩んでいるが、決して、少なくない悩みだということをお伝えしておきたい。
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
>「子どもが中学受験合格後に燃え尽きないようにすべきこと」に答えがあるとしたら、筆者はこう思う。 >中学受験は結婚と似ている。>ゴールではなくスタート。>「結婚さえできたら、人生、万々歳」という考えが幻想であることは、結婚生活を経験した人ならばおわかりかと思うが、中学受験もそれと同じだ。
大学に入学して何を追及したいかが問題ですね。試験地獄はわが国の学問発展に何ら貢献していません。
‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)
> もちろん中学受験は過酷なので、親にはどうしても、「偏差値・知名度の高い有名大学に入ってほしい」という気持ちがあるのは仕方がないことかもしれない。 >しかし、それよりも前に覚えておかなければならないことがある。 >「糸は張りつめすぎると、やがて切れてしまう」
英米人と同じように日本の若者も処世術に振り回されることのない学究生活を送るべきですね。
> 未来は、無理なく楽しい毎日を送った、その先につながっていると思うのだ。
そうですね。子供のうちに燃え尽きてしまうのは親の大きな過ちですね。
>※※※引用、以上※※※
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