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国家的な損失 

2020-11-29 02:17:33 | 文化

 

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>茂木健一郎氏 中学受験で低年齢での入塾に懸念「人生がもったいないだけでなく、国家的な損失」

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>2020年11月28日 17時46分 >東スポWeb   >茂木健一郎氏 >写真拡大

> 脳科学者の茂木健一郎氏(58)が28日、ツイッターを更新。

>中学受験塾の低年齢化に危機感を示した。

> 茂木氏は中学受験塾に所属する生徒のうち、小学3年生の2月に入塾する生徒が最も多く、入塾する生徒の低年齢化が年々加速していると報じた記事に反応。 

 

受験戦争は日本人のあだ花にすぎませんね。受験戦争がどんなに激しくても、わが国の学問の興隆には、つながりませんね。単なる処世術 (現実) の争いにすぎません。

各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy. 政治家には政治哲学が必要ですね。そうでなければ政治音痴は避けられない。だから、我々は無哲学・能天気ではいられない。  

 

>「受験のペーパーテストのために、脳が柔軟な大切な時期をこのような狭い学習に費やすのは一人ひとりの人生がもったいないだけでなく、国家的な損失」と指摘した。

 

そうですね。国家的な損失ですね。人手不足は生じても、頭脳不足は生じない国ですからね。もったいないですね。もっと頭脳を有効に使いましょう。

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行く。世界は過去から現在・未来へと移動する。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこ世界観の中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になる。

大人になる為の教育は、自己の哲学を作成することにある。それは、英米流の高等教育で行われている。高等教育機関に在学して自己の哲学を作成すれば、学士・修士・博士になることができきる。博士になれば、研究者として認められる。彼らの社会は学歴社会である。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。なければ現実を否定できない。だから、現実肯定主義者となる。批判精神のない人の文章は、現実の内容の垂れ流しになる。子供のようなものである。日本には大人になる為の教育がない。

 

> 続けて「『偏差値』という受験産業のマッチポンプにいつまで付き合うのか?」と現在の受験体制に疑問を呈した。

 

日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列なきところに礼儀なしである。日本人は、序列の存在を知れば、一も二も無くそれを価値あるものと思い込む。万世一系の天皇のようなものである。  

礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて堅ぐるしい日常生活を送っている。日本人の尊敬は、単なる序列社会の序列順位の表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。無哲学・能天気である事は、日本人にとって何ら気になることはない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

序列人間は人間の序列を作る。上位の者と下位の者の間に自分を差し挟むことにより自己の存在感を確認して安堵している。だから、自己の所属する序列に強い帰属意識を持っている。義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことにより仕事にやりがいを感じている。周囲の序列人間が自分たちの序列に対する貢献度を評価するからである。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生の楽しみである。 

 

> これにフォロワーからは「公立中学校が魅力的じゃないってことの裏返しでは」「偏差値と内申書の在り方を見直してほしい」などと様々な意見が寄せられている。

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

 

 

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