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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

学歴序列 2/2 

2020-11-23 18:01:23 | 文化

 

>東大卒と地方の名前も知られていないような大学の卒業では、受け取られ方に大きな差があるのは現実です。>東大卒というレッテルがあるほうが有利なことはあります」

 

東大卒有利は井の中の蛙たちの間だけの話ですね。その内容は、小さな話に限りますね。    

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行く。世界は過去から現在・未来へと一方向に移動する。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になる。批判精神のない人の文章は、現実の内容の垂れ流しになる。子供のようなものである。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。マスコミも現実の内容をただ垂れ流す。だから、個性がない。個人主義が理解できない。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。それで、相手からも信頼されない。広く国際的な協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。

 

>■学歴は不確実なレッテル、それでも求めざるを得ない > レッテルは絶対ではないが、レッテルがあったほうが可能性は広がる、と彼はいう。>そして、「レッテルは、持っていないより、持っていたほうがいい。 >持っていても役にたたないかもしれないけど、必要なときに持っていなかったら可能性を潰すことになります」ともいった。  

 

そうですね。日本人には ‘あるべき姿’ の内容がないのであるから、人々はあらゆる可能性に備えていなければなりませんね。政治不信がありますね。

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官) 

変わり身の早さは日本人の得意芸ですからね。目先・手先の事柄に神経を集中させていますね。現実があって非現実 (考え) の無い人間の特徴ですね。  

 

>  さらに、自分を納得させるような口調でいった。 >「入学試験を乗り越えれば、より高い次元に自分をもっていける可能性につながるレッテルがもてます。 >だから、『合格しろ』と子どもにいうし、そのために安くない学習塾の費用も払っているわけです」 >  保護者も単純に学歴社会を信奉しているわけではない。

 

そうですね。日本語を話す限りわが国の序列社会から逃れることはできませんからね。   

 

>ただし、学歴社会を完全否定できる材料もない。 

 

それどころか、アメリカは学歴社会ですからね。政府も人々に高学歴を求めています。 人手不足は存在しても、頭脳不足のない国などは論外ですね。     

 

>であれば、「可能性」という不確実なものに、保護者は賭けるしかないのだ。 

 

そうですね。わが国の政治家は、無哲学・能天気ですからね。各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy. つかみどころのない政治の内容に国民は賭けをするしかないです。これは一種の国難ですね。時代の閉塞です。   

 日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。 (ウスビ・サコ)

 

>そうした思いを、我が子の中学受験、高校受験、大学受験のたびに、保護者たちは強めていくのかもしれない。 

 

そうですね。受験戦争は、処世術 (現実) に関する争いですね。中学受験・高校受験・大学受験と受験戦争の過熱によって、わが国の学問 (非現実) が興隆することはありませんね。受験戦争は、無哲学の国のあだ花ですね。

‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)    

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

 

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学歴序列 1/2 

2020-11-23 17:40:58 | 文化

 

>361955 事実直視しなければ、学歴信仰に縛られる  >kanarchy ( 24 会社員 )  20/11/22 PM01  >未だに残る学歴主義。

 

学歴主義は序列主義の言換えに過ぎないですね。   

 

>それの原因の一つに母親の子育て不安がある。 >リンク 

 

安全な国にある不安定な心境ですね。   

 

>自分の頭で物事を本気で考えていない、子どものためではない、というのが根底にある。

 

無哲学・能天気の症状ですね。

 

>そのため、いい大学に行けば、可能性が拡がるだろうという幻想が邪魔をしている。>(企業の募集戦略が若者の意識を変えていってしまったのも事実)  

 

気分・雰囲気の問題ですね。   

 

> 可能性・先端に収束していくのは生命原理でもあるが、間違った観念が日本の学歴信仰、いわゆる、いい生活、いい仕事を送るためのいい大学にいかなくてはという意識を生み出す。 

 

そうですね。‘いい’ 生活・ ‘いい’ 仕事・ ‘いい’ 大学などの ‘いい’ は、序列メンタリティ (考え方) に囚われた気分・雰囲気ですね。   

日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列なきところに礼儀なしである。

礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて堅ぐるしい日常生活を送っている。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の表現に過ぎない。そのため、個人的精神的な意味がない。無哲学・能天気である事は、人々にとって全然気にならないことである。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

序列人間は人間序列を作る。上位の者と下位の者の間に自分を差し挟むことにより自己の存在感を意識している。だから、自己の所属する序列に強い帰属意識を持っている。義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことにより仕事にやりがいを感じている。周囲の序列人間が序列に対する貢献を評価するからである。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが人生の楽しみである。 

 

> 事実に目を向けなければ、何も実現しない一生を送ることになる。

 

序列メンタリティに邪魔されているので、日本人には現実直視が難しいですね。

日本の大学は総じて程度が低いのであるが、そうした事実はあまり日本人には気になりませんね。気になることは序列順位です。我々の教育のゆがんだ見方に原因があるのでしょうね。 

日本の教育が国際基準から逸脱しているということは、とりもなおさず日本人が国際基準から逸脱していることになるのでしょうね。 日本人の気になる事柄は、自国民同士の序列順位でしょうからね。日本語のない世界には通じない判断基準でしょうね。          

我々の判断基準を持ちつづける為には、我々が ‘井の中の蛙’ であり続ける必要がありますね。   

 

> 以下リンク転載

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>■変質する学歴社会の実態

>  首都圏での中学受験者が増加傾向にあるということは、保護者の教育熱、それも「名門校への進学熱」が高まっていることを示している。 

 

そうですね。この進学熱がわが国の学問の興隆に寄与しないところが大きな問題ですね。  

 

>なぜ、保護者の進学熱は高まっているのか。 >我が子の進学に何を期待しているのか、小学生2人の娘をもつ都内在住の父親に訊いてみた。 > 「いわゆる『いい学校』に進学して『一流の会社』という道を自分の子どもに歩ませたいというのは、子どもに幸せになってもらいたいからにほかなりません」。>それが、彼の返事だった。

 

序列を見れば、それがこの世の全ての価値であると思い込んでいるようですね。     

 

>  ここだけ聞けば、学歴信仰だとおもえる。>いい大学を卒業すれば、いい会社にはいることができ、安定して豊かな人生を送ることができる、という学歴社会が前提になっているように聞こえる。

 

狙っているのは、‘良い・良い’  尽くめの人生ですね。

 

>  そこで、「いまでも学歴社会だと信じているのか」との疑問を彼に投げかけてみた。 >いい大学に入学するには、中学や高校も進学率の高いところを選んだほうが有利である。 >だからこそ、我が子に中学受験させるといえる。 

 

序列メンタリティの表われですね。   

 

>  その質問に彼は苦笑いを浮かべながら、「確固たる学歴社会が存在しているとは考えていません」との答を戻してきた。 >さらに続ける。「いい大学を卒業したからといって、いい会社にはいれるとはかぎらない現実があることも知っています。 >一流といわれる会社でも、経営危機に陥る時代ですから、一流会社にはいったからといって安定した生活が保障されているわけでもないこともわかっています」 > 「でもね」と、彼は続けた。 >「でもね、学歴で人を判断する現実はありますよね。  

 

ありますね。我々の世間は、’上と見るか・下と見るか の世の中ですね。これは、日本語の社会そのものですね。消えてなくなるとは考えられませんね。   

 

 

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中国の夢 

2020-11-23 01:39:56 | 文化

 

>361949 偉大なる中華帝国の復興?2028年までに「台湾統一」に出る習近平  >伊達政宗 ( 会社員 )  20/11/22 AM02 【印刷用へ】 >リンク

>習近平率いる中国共産党はなぜ侵略を繰り返すのか? > 和田です。

>2012年に、習近平が中国国家主席の座についた時、「偉大なる中華帝国の復興」という発言をしました。 >これは過去には「偉大なる中華帝国」があったし、それをこの現代で取り戻さねばならないというもの。

> 習近平が言っているこの「中華帝国」とは、今現在の中華人民共和国とは全く関係のない王朝ですが、過去にも自分たちの帝国があったのだからそれは取り返さないといけないという、弱肉強食の中国大陸に生きる人間の強いメンタルを感じます。

>かつてモンゴル系や満州族らの民族が支配し拡大した過去の「中華帝国」の業績を自分たち漢族の成功体験にすり替えている。>自分のものでなくとも、自分の成功体験として図々しくも持ち続けている点を侮ってはいけない。

 

そうですね。

中国は中原の鹿を追う伝統的な覇者の国である。覇者の物語は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。     

 

> 中国国防大学教授で上級大佐の劉明福はインタビューでこう答えている。

>劉は習近平の政治スローガン「中国の夢」の理論的支柱で、長年教壇に立って軍高官らを指導してきた人物です

>戦略は3つあります。

>1つ目が「興国の夢」。>建国100周年の2049年までに経済や科学技術などの総合国力で米国を超え、中華民族の偉大な復興を成し遂げる。

>2つ目が「強軍の夢」。>世界最強の米軍を上回る一流の軍隊をつくる。

>そして最後が、「統一の夢」。>国家統一の完成です。

>中でも台湾問題の解決が、「中国の夢」の重要な戦略目標となります。>まずは平和的な統一を試みるが、それを拒むならば軍事行動も辞さない。> 習は、2018年3月に「2期10年」だった国家主席の任期を撤廃している。>ただ、現在67歳という習の年齢を考えると、3期目が終わる2028年には引退する可能性が高い。>それまでには台湾統一を実現するということになる。

> 同時に、彼ら中国人には強烈な劣等感からくる、復讐思想があることも忘れてはいけない。 > 「百年屈辱」「恥辱の一世紀」、「勿忘国恥」(国恥を忘れることなかれ)なども標語になっている。

> 清時代に欧米列強に好き勝手に侵略され、アヘン戦争で香港を割譲してしまったことなどは大きなルサンチマンとして持ち合わせている。

> 人は自分が落とした財布なら取り戻して当たり前だと思うだろう。>さらにスリに盗まれてそれに気づくとキレて取り返すに違いない。> 習近平のスローガン「中国の夢」とは落としていた財布は中国の財布ではないのに、それは不当に盗まれたものだと主張し、キレて取り返すべしという話なのです。>これが今の中国の性質・体質ということです。

 

中国は多民族国家である。 懸念されるのは、’中国の夢’ で天賦人権性が無視されていることである。これは近代の人権観念の端的な否定であり、見過ごすことはできませんね。立憲主義、人権、民主主義といった近代憲法の諸概念は欧米由来のものであり、これらを後に受け入れた日本を含む国々では反発を呼ぶこともある。しかしこうした諸原理自体は、多様な個人の共生を可能にする基礎であり、普遍的なものとして受け入れなければならない。

 

>この論理で見ると、チベット、ウイグル・香港などは、もちろん、自分のものなのだ!という果てしない強欲さも納得ではないでしょうか? 

 

そうでしょうね。  

中華 (ちゅうか)  [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる]    

東夷 (とうい)  [東方の野蛮人の意] 昔、中国から見た東方諸国の称。[広義では朝鮮・沖縄を含み、狭義では日本を指した]     

南蛮 (なんばん)  [南方の野蛮人の意] 昔、中国で、インドシナなど南海地方の諸民族の称。 

西戎 (せいじゅう)  [西方の野蛮人の意] 昔、中国で、チベット族やトルコ族など西方の異民族の称。

北てき (ほくてき)  [北方の野蛮人の意] 昔、中国で、匈奴 (きょうど)・韃靼 (だったん) などの遊牧民族の称。

 

 

 

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