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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

クリティカルシンキング 3/3 

2020-11-12 22:41:51 | 文化

 

>自分の考えを言語化し、他者に伝える経験を積ませることで、安易な思考で答えを出すのでなく、立ち止まって冷静に考える習慣が身についていきます。

 

安易の思考で答えを出すと、日本人の場合は歌詠みになるのではないでしょうか。歌詠みのように文章にならないものには意味が存在ません。

自由とは、意思の自由の事である。だが、日本人には意思がない。そして、恣意がある。恣意の自由は何処の国でも認められていない。’自由のはき違え’ となる。だから日本人は、昔からの ’不自由を常と思えば不足なし’ のままでいる。 

欧米人は哲学と意思により行動を説明する。哲学と意思は文章になるから意味がある。日本人には、哲学と意思がないので、人の行為を ‘建前と本音’ を使って説明する。建前は (口実・言い訳・言い逃れ) である。本音は、(私意・我儘・身勝手) である。だから、行為が行為が現実の中にうずもれて低俗な感じは避けられない。意思は未来時制の文章内容になるので意味があるが、恣意はバラバラの単語 (片言・小言・独り言) のままで存在するので意味がない。

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

日本人には、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) があって、意思疎通 (相互理解) がない。恣意 (腹) の探り合い (談合) があって、意見の交換 (議論・対話) がない。恣意決定 (盲目の判断) があって、意思決定 (理性判断) がない。だから、日本人の責任者は説明責任が取れない。未来は一寸先が闇である。危険が一杯である。お変わりのないことが何よりなことである。

 

> 親子でディスカッションをしてみる >新聞やインターネットの記事を親子で読み、ディスカッションをしてみましょう。>クリティカルシンキングを鍛えるには、思考を言語化する訓練が最も効果的です。 

 

現実の内容は頭の外にある。だから、見ることが可能である。見ればわかる。だから、考える必要はない。これは楽ちんである。正解はただ一つである。これは人畜共通の非言語の世界である。

 非現実 (考え) の内容は頭の中にある。だから、見ることができない。それは、ただの話である。その内容を知るには文法に基づいて文章の内容を理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、通常、日本人は理解をしない。忖度 (推察) で代用して済ませている。考えは人間だけが持つ言語の世界である。 

 

>子どもは子どもなりの意見を持っています。>しかしその思いを人に伝える機会がないと、自分の思考について検証することも、自分の思い込みに気づくことも、ロジカルに説明することもできません。

 

そうですね。’Practice makes perfect’  ですね。 (習うより慣れろ)

 

>親子のディスカッションは、正解がなく、楽しいテーマから入るとスムーズです。

 

そうですね。  

全ての考えは、文章になる。文章にならないものは考えではない。  

矛盾を含んでない文章は、全て正しい考えを表している。矛盾を含んでいる考えも、その矛盾を取り除けば正しい考えになる。

矛盾を発見し取り除くためには議論・対話が有効である。議論・対話を普及させよう。

考えの内容は、人によりまちまちである。だから、正解は一つではない。幾らでもあるから、人間は個性的になる。考えのない人達は没個性的である。だから、自己実現が難しい。

 

>とえば「宇宙人は存在するのか」「死後の世界はあるのか」「超能力は実在するのか」というインターネット記事を親子で読み、クリティカルに意見交換してみてください。>また子どもにとって身近な話題、たとえば「学校に制服は必要か」「学校でコロナウィルスに感染しない方法は」「なぜ勉強しなければいけないのか」「いじめをなくす方法は」というテーマを振ると、面白がって話に乗ってきてくれます。

 

そうですね。議論・対話を広めましょう。   

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に力を合わせることも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

 

 

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クリティカルシンキング 2/3  

2020-11-12 22:18:50 | 文化

 

> 小学4年生の理科の授業を覗いてみましょう。>セキツイ動物について勉強しています。>「ハ虫類と両生類、どこが似ているのか教えてください」先生が質問すると、子どもたちが一斉に手をあげます。> 「どちらもたまごを生む」「どっちも気持ち悪い!」「どちらにも目がある」「どちらにも手足がある」> 生徒たちの自由な発言に対して先生は問いを重ねていきます。「本当にどちらもたまごを生みますか?」「本当に手足がありますか?」「本当に気持ち悪いですか?」 >すると生徒たちは「かえるには手足があるけど...へびには手も足もない!」「ボクはトカゲは可愛いと思う!気持ち悪いというのは主観です!」というように、直感的に答えに飛びつくのでなく、一度立ち止まって自分の思考について考え直す習慣を身につけることができます。>アメリカの学校で生徒の授業参加が重視されるのもクリティカルシンキングを鍛えるためです。

 

そうですね。楽しそうな授業ですね。  

 

>頭の中にぼんやりと存在している思考を言語化し、他者に伝えることによって「クリティカルに考え、論理的に伝えるプロセス」を訓練しているのです。 >また他者の多様な思考に触れることによって、自分の思考の偏りや思い込みに気づくことができます。 > 先生の仕事は「答え」を教えることではありません。>生徒がクリティカルに考えられるように「問い」を重ねることです。>「なぜ?」「本当?」「どうして?」「根拠は?」と問い続けることで、生徒は「自分の思考を思考する習慣」を身につけることができます。

 

そうですね。イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で、言葉 (ロゴス) について以下のように語っています。

、、、、、 母親が子供に「チャント・オッシャイ」という場合、明晰かつ透明 (英語ならクリヤー) に言えということでなく、発声・挙止・態度が模範通りであれ、ということである。だが、クリアーということは、原則的にいえば、その人間が頭脳の中に組み立てている言葉のことで、発声や態度、挙止とは全く関係ないのである。プラトンの対話篇から、例として『クリトン』をあげてみよう。この対話は、明日の死刑執行を前にして、夜明けに、獄中のソクラテスをクリトンがたずねて、脱獄をすすめるところからはじまる。もちろんソクラテスは寝ている。だがどう読んでみても、ソクラテスが起き上がって、威儀を正して、法の遵守を説いて、クリトンに反論したとは思えない。ソクラテスは、おそらく最後まで寝っころがったままで話しているのだ。従って、この場合、純粋に、ソクラテスの言った言葉 (ロゴス) だけが問題なので、彼の態度や語調は全く問題にされないのである。日本では、「その言い方は何だ」「その態度は何だ」と、すぐそれが問題にされるが、言っている言葉 (ロゴス) そのものは言い方や態度に関係がない。従がって厳然たる口調と断固たる態度で言おうと寝ころがって言おうと言葉は同じだなどとは、だれも考えない。従って純然たる会話や演説の訓練はなく、その際の態度と語調と挙止だけの訓練となるから、強く訴えようとすれば「十字架委員長の金切声」という形にならざるをえない。(引用終り)    

 

>クリティカルシンキングを教科学習に取り入れることで、機械的に知識を記憶するという受動的な学びから、自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題解決していく「能動的な学び」を実現することができるのです。

 

日本人には意思がない。だから、能動が無く受動ばかりの生活を送っています。その結果、被害者意識があって、加害者意識 (罪の意識) がありません。これは、アニマルも同じです。  

 

>クリティカルに考える力が不可欠 > 高度情報化社会で賢く生きていくには、自分にとって必要な情報を取捨選択し、吟味し、活用する「情報活用能力」が要求されます。>新型コロナウィルスによって学校における情報メディアの拡充が急務になってきていますが、その一方で、子どもたちが氾濫する情報に流されてしまうことが危惧されています。>インターネットの世界はクリティカルシンキングを鍛える最適の場です。 >情報を鵜呑みにせず、正しい判断ができるように、インターネットに潜む「ワナ」や「ウソ」について親子で話し合う機会を持つことをお勧めします。  

 

そうですね。騙されたと分かってから ‘私は相手を信じていた’ とさも自分は善人そのもののように誇らし気に語る日本人は勘違いですね。  

 

> 「その情報は事実なのか、著者の意見なのか」「何を根拠にしているのか」「何を意図しているのか」「著者や媒体に偏見がないか」など、情報の本質について「検証」する方法を子どもに教えてあげてください。

 

わが国のマスコミは責任感が無いので情報の垂れ流しにします。  

 

> 子どもにクリティカルシンキングを教える基本は、「本当」「なぜ」「誰が言っているの」と、「問い」続けることです。 

 

現実直視、リーズン (理性・理由・適当)、個人主義など、どれもこれも日本人には難しい内容ですね。   

 

 

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クリティカルシンキング 1/3 

2020-11-12 21:58:53 | 文化

 

>361706 日本人に足りない「思考技術」を育てる方法は?  >井上智貴 ( 23 会社員 )  20/11/12 PM01 

>以下引用 >リンク

><クリティカルシンキングとはよく言われますが、これこそ「答えのない時代」を迎える子供達に欠かせないスキル。  

 

そうですね。日本人は、考えるのに忙しすぎますね。’理屈などは子供にでもわかる’ と言いながら、もっと難しいこと (恣意と人間序列の関係など) を沢山考えているようですね。

 

>フィジカルな接触を避けるのが当たり前になった世の中で、インターネットの情報がもたらす効果は計り知れません。>親から子へ、情報の本質について「検証」する方法を教えましょう>  

 

お願いいたします。いよいよ言語が大切な時代になりましたね。言語は伝達の手段のみならず、思考の大切な手段ですからね。  

 

>PISAは「読解力」の定義を「自らの目標を達成し、自らの知識と可能性を発展させ、社会に参加するために、テキストを理解し、利用し、評価し、熟考し、取り組む力」としています。[ Program for International Student Assessment: OECD生徒の学習到達度調査]  >ポストコロナで求められる能力「いかに社会が変化しようと、自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題解決する能力を育む。」 >文部科学省が学習指導要領の理念として掲げている提言です。>この文章はPISAの「読解力」の定義とそっくりです。

 

日本人は、 ‘自ら、、、、’ は難しいでしょうね。

 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。'  (カレル・ヴァン・ウォルフレン)     

 

>両者が求めている力は具体的に何かと言うと、これまで日本の学校教育でほとんど指導されることがなかった「クリティカルシンキング」と呼ばれる思考技術です。

 

そうですね。

非現実 (考え) の内容は、英語の時制 (tense) のある文章により表されます。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表されます。その内容は世界観 (world view) と言われていて、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行きます。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中に存在します。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれます。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しにします。これは、子供の状態です。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がありません。そして、日本人には批判精神がない。マスコミも現実の内容をただ垂れ流します。ですから、どんぐりの背比べで個性がありません。

 

>クリティカルシンキング(批判的思考)とは、思い込みやバイアス(偏見)を排除して物事の本質を見抜く思考、既成概念にとらわれず自由にアイデアを発想する思考、周囲の意見に流されず自分にとって最良の答えを導き出すための思考技術のことです。

 

そうですね。その思考技術が日本人には難しいのです。  

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)    

 

> 「答えのない時代」を迎える中で「自分が何をしたいのか分からない」「自分はどう生きたいのか分からない」など、将来の夢が描けない若者が増えています。

 

そうですね。日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がありません。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいます。優柔不断・意志薄弱に見えます。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になります。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)  

 

>私はその一因として「思考技術」を家庭や学校で学んでいないことがあると考えています。

 

そうですね。 見ることのできる内容は ‘本当’ の事です。見ることのできない内容は ‘嘘’ です。誰しも ‘嘘つき’ にはなりたくないから、自分の非現実 (考えの内容) は語らない。これが、日本人の思考停止の原因であります。

 

> 米小学校に学ぶクリティカルシンキングの教え方 >アメリカの学校では、国語(英語)、算数、理科、社会、全ての教科指導にクリティカルシンキングが取り入れられています。 >先生が一方的に教科書知識を講義する日本の授業スタイルとは異なり、アメリカでは生徒を能動的にディスカッションに参加させ、気づきと理解を引き出していく授業スタイルが主流です。

 

気づきとれ理解ですね。暗記力では、我々は記憶装置には太刀打ちできませんからね。

 

 

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