>頭でゴチャゴチャと考えている間に見切り発車でも行動していれば、大きなリターンを得られたかもしれないのに・・・。
それは、’たられば’ の話ですね。
> (途中略)
> 加点法で点を取りにいこう
> 高学歴とされる人々がこうした事態を避けるためには、大学受験を終えたらできるだけ早いうちに思考を減点法ではなく「加点法」に切り替えておくことだ。
それは良い考えですね。
> (途中略)
> 失敗の経験からしか学べないことは数多くある。>結果は失敗であっても、行動したことが後の加点を生むことも多い。
そうですね。失敗は勉強の機会となりますね。失敗は経験豊富な人物を育みますね。
>そして、最終的には、動き回って100点以上の点を集めた者の方が圧倒的に評価される。
なるほど加点法を採用すれば100点満点の枠を突破できますね。
> 時代の閉塞感を行動力で打開せよ
> リスクを避けて安全で堅実な道を選択することもビジネスでは大事である。 >しかし、日本という国はもはや欧米という手本を効率よく真似していればよかった高度成長のステージにはない。
そうですね。わが国が猿真似をする時代は終わりましたね。
>今は欧米や中国と同じステージで、人類の新たな価値創出をめぐる激しい競争にさらされている。>そしてどうやら、その戦いでずいぶんと疲弊してきている。
価値創出は異次元の戦いですからね。
<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)
>世界レベルの技術革新で既存のビジネスの仕組みが破壊され、そこに少子高齢化に伴う消費の縮小も重なり、国の、時代の、個人の閉塞感はどんどんと高まっている。
日本人には現実しかないから、閉塞感が高まりますね。この国には何でもあるが、只、’夢と希望’ (非現実) だけがない。
> 個人ベースでも、もはや与えられた仕事をただ安全にこなしてさえいれば評価される時代ではなくなっている。
駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人。昔は社会が動かなかった。
>日本の企業には終身雇用や年功序列を維持する余裕がなくなってしまった。
序列社会の崩壊ですね。
>これからの社員は、仕事に自分で考えた付加価値を与えていける者でなければ、ある程度の年齢でパージされてしまうだろう。> だからこそ、リスクをものともせず点を取りにいくという加点法が大事になる。
そういう事になりますね。
> それは、受験が得意だった彼らが受験勉強では学ぶ機会がなかった考え方だ。
そうですね。上限のない採点法は受験勉強では学べませんね。
>もちろん、慣れ親しんだ減点法とは正反対の評価方法だから、切り替えには恐怖が伴うことだろう。
加点法は閉塞感のない採点法ですね。希望に通じる道ですね。
>エリートとしての自覚のある人間がルールや定石が確立されていない分野に挑戦すること、そこで失敗を重ねる自分の姿を受け入れるのは簡単なことではない。
失敗は成功のもとですね。よい勉強になりますね。頭の固い人には厳しい道ですね。
>事実、人生の中盤を過ぎてもこうした切り替えを行うことのできない人も少なくない。>失礼を承知で言うが、私が今回の本の取材で出会った東大卒業生の多くはそのような人だった。
新発見ですね。変わり身の早さは日本人の得意芸ではなかったですかね。
> まわりに「あんな無茶なことをやってバカなんじゃないか」とか「エリートのくせに失敗ばかりでたいしたことはない」と言われようとも、社会ではがむしゃらに点を取りにいった者が最後は勝利をつかむのだ。
‘虎穴に入らずんば虎子を得ず’ ということですね。
>回数をこなしていれば、必ず後に「あのときはバカをやったが、バカをやったから今がある」と言えるようになる。
学習効果が表れたのですね。
>もし今、あなたが閉塞感にさいなまれているのなら、その不幸な状態は、加点法をベースにした行動量で打開することができるだろう。
そうですね。青天井の下で業績を積んでもらいたいものですね。
> (引用終わり)
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