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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

バカになる 2/2  

2020-11-05 15:04:08 | 文化

 

>頭でゴチャゴチャと考えている間に見切り発車でも行動していれば、大きなリターンを得られたかもしれないのに・・・。

 

それは、’たられば’ の話ですね。   

 

> (途中略)

> 加点法で点を取りにいこう

> 高学歴とされる人々がこうした事態を避けるためには、大学受験を終えたらできるだけ早いうちに思考を減点法ではなく「加点法」に切り替えておくことだ。

 

それは良い考えですね。   

 

> (途中略)

> 失敗の経験からしか学べないことは数多くある。>結果は失敗であっても、行動したことが後の加点を生むことも多い。

 

そうですね。失敗は勉強の機会となりますね。失敗は経験豊富な人物を育みますね。     

 

>そして、最終的には、動き回って100点以上の点を集めた者の方が圧倒的に評価される。 

 

なるほど加点法を採用すれば100点満点の枠を突破できますね。    

 

> 時代の閉塞感を行動力で打開せよ

> リスクを避けて安全で堅実な道を選択することもビジネスでは大事である。 >しかし、日本という国はもはや欧米という手本を効率よく真似していればよかった高度成長のステージにはない。

 

そうですね。わが国が猿真似をする時代は終わりましたね。   

 

>今は欧米や中国と同じステージで、人類の新たな価値創出をめぐる激しい競争にさらされている。>そしてどうやら、その戦いでずいぶんと疲弊してきている。

 

価値創出は異次元の戦いですからね。

 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)  

 

>世界レベルの技術革新で既存のビジネスの仕組みが破壊され、そこに少子高齢化に伴う消費の縮小も重なり、国の、時代の、個人の閉塞感はどんどんと高まっている。 

 

日本人には現実しかないから、閉塞感が高まりますね。この国には何でもあるが、只、’夢と希望’ (非現実) だけがない。     

 

>  個人ベースでも、もはや与えられた仕事をただ安全にこなしてさえいれば評価される時代ではなくなっている。

 

駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人。昔は社会が動かなかった。

 

>日本の企業には終身雇用や年功序列を維持する余裕がなくなってしまった。 

 

序列社会の崩壊ですね。  

 

>これからの社員は、仕事に自分で考えた付加価値を与えていける者でなければ、ある程度の年齢でパージされてしまうだろう。>  だからこそ、リスクをものともせず点を取りにいくという加点法が大事になる。 

 

そういう事になりますね。  

 

>  それは、受験が得意だった彼らが受験勉強では学ぶ機会がなかった考え方だ。

 

そうですね。上限のない採点法は受験勉強では学べませんね。  

 

>もちろん、慣れ親しんだ減点法とは正反対の評価方法だから、切り替えには恐怖が伴うことだろう。 

 

加点法は閉塞感のない採点法ですね。希望に通じる道ですね。      

 

>エリートとしての自覚のある人間がルールや定石が確立されていない分野に挑戦すること、そこで失敗を重ねる自分の姿を受け入れるのは簡単なことではない。 

 

失敗は成功のもとですね。よい勉強になりますね。頭の固い人には厳しい道ですね。      

 

>事実、人生の中盤を過ぎてもこうした切り替えを行うことのできない人も少なくない。>失礼を承知で言うが、私が今回の本の取材で出会った東大卒業生の多くはそのような人だった。 

 

新発見ですね。変わり身の早さは日本人の得意芸ではなかったですかね。     

 

> まわりに「あんな無茶なことをやってバカなんじゃないか」とか「エリートのくせに失敗ばかりでたいしたことはない」と言われようとも、社会ではがむしゃらに点を取りにいった者が最後は勝利をつかむのだ。 

 

虎穴に入らずんば虎子を得ず’ ということですね。

 

>回数をこなしていれば、必ず後に「あのときはバカをやったが、バカをやったから今がある」と言えるようになる。 

 

学習効果が表れたのですね。   

 

>もし今、あなたが閉塞感にさいなまれているのなら、その不幸な状態は、加点法をベースにした行動量で打開することができるだろう。 

 

そうですね。青天井の下で業績を積んでもらいたいものですね。      

 

> (引用終わり) 

 

 

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バカになる 1/2 

2020-11-05 14:22:30 | 文化

 

>361477 東大卒業生に足りない「バカになる」ということ  >匿名希望h ( 中年 技術者 )  20/11/03 PM03 【印刷用へ】 

>学歴社会が崩壊したのは、社会人だったらだれもが実感しますが、社会に出ていない学生や教育ママには実感できないかも。 

 

そうですね。わが国の学歴社会は伝統的な序列社会の言い換えのようなものですね。   

 

>表題の記事が掲載されていました。 >引用させて頂きます。>リンク

>(以下途中から引用)

>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

>問題は行動量の少なさ

『東大なんか入らなきゃよかった 誰も教えてくれなかった不都合な話』(池田 渓著、飛鳥新社)&copy; JBpress 提供 『東大なんか入らなきゃよかった 誰も教えてくれなかった不都合な話』(池田 渓著、飛鳥新社) 

 

東大以外の日本の大学に入学した人も似たような思いはあるでしょうね。   

 

>  せっかく日本では最上級の学びと研究の環境を与えられながら、それを後の人生に生かすことができなかったある種の人々。  

 

序列社会の枠内に閉じ込められているので、どうにもならないですね。外国の最上級を与えられたら卒倒しますね。     

 

>取材を通して彼らに共通して見られた傾向、それは「行動量の少なさ」である。 >「自分の特性とは合わない環境でがんばりすぎる」「いつまでも一つの手法にこだわり続ける」「考えすぎてしまって大きな仕事をやり通せない」etc.・・・。>  なぜ、彼らの行動量は少ないのだろうか? >それは、受験の勝者である彼らが「行動の結果、失敗すること」を極端に恐れるからだ。 

 

受験の勝者は行動の初心者ですね。   

 

> 「優秀な人」は失点を恐れて機を逸する

> 彼らの失敗に対する恐怖心を育んできたもの、それは幼少時から受け続けてきた学力試験だ。>学力試験では100点を上限に、間違った解答の点数が差し引かれていく。>つまり、 「減点法」による評価だ。 >そこで高評価を得るためには失点を可能なかぎり避けなければならない。>東大生は、義務教育で9年、高校で3年、ひたすら学力試験を受け続け、この減点法という評価方法のもとで高評価を得てきた人たちである。>日常的な思考に減点法が染みついてしまっており、日常のあらゆるシーンで極端に失点、すなわち失敗することを忌み嫌う。

> (途中略)

>  そこには、東大生に特有の高いプライドも影響している。

 

日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、世俗的な序列順位は重要である。社会的な地位・肩書は重要な指標になる。序列なきところに礼儀なしである。

礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、日本人は堅ぐるしい日常生活を送っている。序列判断を間違えると神々による祟りは恐ろしい。

日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。だから、日本人の尊敬には軽薄さが付きまとう。   

 

>彼らは人に自分の失敗を見られることをひどく恐れる。

 

そのような心理状態では、彼らはスポーツなどはやっていられませんね。   

 

>幼いころから地域一番の神童として注目され、まわりからずっと「○○ちゃんは頭がよくてなんでもできる子ね」とほめられてきた。 >プレッシャーを感じつつも長年その期待に応え続けているうちに、プライドが少しずつ肥大してきた。 >ゆえに、なにごとにおいても失敗は許されない。>長い年月をかけて育んだ自尊心が、それを許さない。

 

そのような状態では、彼らは勝負事などはできませんね。 

 

>「なんでもできて当たり前」の人間は、新たな挑戦をするときも、はじめから完璧に成功をしなければならない。 >  しかし、そんな考えでいれば、前例のない課題に取り組もうというときも、どうしても失敗のリスクに行動が縛られてしまう。 >リスクを極力減らそうと分析や準備にやたらと時間をかけ、最終的に「失敗するくらいなら最初からやらない方がいい」という結論に落ち着いてしまう。 

 

無為でいれば、成功・失敗に関係ありませんね。だから、ケチはつけられませんね。プライドは保たれますね。   

 

>彼らが東大入試をクリアした持ち前の高い情報処理能力で「できない理由」を目ざとく発見したら、そこでチャレンジは終了だ。 

 

彼らにとっては、’できない理由’ が大切ですね。   

 

 

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活力最下位 

2020-11-05 02:23:14 | 文化

 

>361508 活力がダントツで世界最下位の日本人の可能性  >岡田淳三郎 ( 70代 経営 )  20/11/05 AM00 

>【日本人の活力がダントツで世界最下位なのは、なぜ?】

(略)

>◎結局、庶民が私権第一になったのは明治以降150年だけ。>従って、日本人の私権活力の衰弱は、段違いに速い。>それが、日本人の活力がダントツで世界最下位である理由である。 

 

日本人は序列人間である。序列社会に住んでいる。そして義理 (序列関係により生じる義務) を果たすために暮らしている。これは、働き甲斐のある仕事である。周囲の序列人間が仕事の価値を認めて序列順位に変化をもたらすからである。伝統的な序列順位昇進の夢がある。

時間勤務で金が支払われる制度は働き甲斐がない。義理が廃れば日本人の世は闇である。活力最下位がその結果である。

日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、世俗的な序列順位は重要である。社会的な地位・肩書は重要な指標になる。序列なきところに礼儀なしである。

礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、日本人は堅ぐるしい日常生活を送っている。序列判断を間違えるとその祟りは恐ろしい。

日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。  

 

> 【縄文体質の欠陥と可能性】

>・共認原理の縄文人は、力の原理の渡来人に対応する術を持たず簡単に支配されていった。  

 

力は正義ですね。  

 

>・「和を以て尊し」となす日本人は、順応意識と同調意識が極めて強い。

 

なれ合いの風習ですね。‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。非言語の世界ですね。  

 

>その結果、学校の強制圧力にも完全に順応し、与えられた情報を鵜呑みにするだけの思考停止した国民になって終った。 

 

指示待ち人間ですね。思考を停止している人はこうなるより仕方がないでしょうね。 

見ることのできる内容は ‘本当’ の事である。見ることのできない内容は ‘嘘’ である。誰しも ‘嘘つき’ にはなりたくない。だから、自分の非現実は語らない。これが、日本人の思考停止の原因である。

 

>今や、95%以上の国民が、お上とマスコミのコロナ報道にコロッと騙されて、未だにマスクと消毒をし続けている。 

 

日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。 (ウスビ・サコ)  

 

>・日本人は共認原理(空気のようなもの)で生きており、言葉も共認する(一体充足する)ためにある。

 

それは非言語の世界の音声ですね。人畜共通の世界ですね。   

 

>西欧のように、個人主義とか民主主義とかの観念でみんなを統合しようとはしてこなかった。 

 

個人主義とか民主主義は言語の世界の内容で、非現実 (考え) の世界に存在しますね。   

 

>その結果、真似をするのは上手いが、創造力や観念追求力は極めて貧弱だと思われてきた。

 

猿真似は現実の世界の内容ですね。そして、創造力や観念追求力は非現実の世界の内容ですね。日本人には現実があって、非現実がない。アニマルも同様です。      

 

>◎日本人は確かに観念追求力は貧弱だが、本能と共認機能発で自然や物を追求する力や、関係充足や性充足を追求する力は群を抜いており、さらに言語能力についても、漢字と仮名を組み合わせた世界最高レベルの言語体系を構築してきた。 

 

非現実の内容を表現できない日本語は残念ながら国際言語の主要言語の中には入れませんね。仮名・漢字の表現形式では地球上のどこの国でも通用しませんね。  

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に力を合わせることも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。

 

 

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