>それは圧倒的に楽で、しかもみんなで選んだのだから誰も攻撃の対象にもならない。
ああ空しい。何処に進歩があるのやら。
>和を以って尊し?
議論をすれば喧嘩になるのか。喧嘩をするためにはまず初めに議論をしなければならないのか。議論下手では和を保つことは難しい。
>◆「自己防衛」
>つまり、イジメの対象になりたくないから、攻撃されたくないから、責任取りたくないから、自分で決められないから、しんどいから思考を停止して、みんなに合わせる。 >それが無難な処世術。
自己の意思を表せば当事者・関係者になる。表さなければ傍観者にとどまる。意思表示の無い日本人は常に傍観者にとどまっていて、孤高の人になっている。孤立無援になりやすい。わが国は、世界の中にあって、世界に属していない。居るのか居ないのか定かでない。存在感の無いのが処世術か。
>それを、これまたみんなで正当化する為に「空気を読む」ことを、みんなで是としている。
非現実 (考え) の内容は頭の中にある。だから、見ることができない。それは、ただの話である。その内容を知るには文法に基づいて文章の内容を理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、通常、日本人は理解をしない。忖度 (推察) で代用して済ませている。
理解と忖度は似て非なるものであるから注意が必要である。忖度 (推察) は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。たとえ両者の間に齟齬が存在しても議論にもならない。現実直視になっていないことを忖度の主に指摘しても、'だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' と懸命に反発するので取りつく島がない。かくして、日本人の対話は成立しない。
>「みんな」と言いながら各々が自己中。
厄介払いをするために各人が ‘みんな・みんな’ と声を掛け合っています。昔は ‘桑原・桑原’ と言った。無哲学・能天気な人たちですね。
>思考停止で順応回路全開のなかまたち。
見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。誰しも嘘つきにはなりたくない。だから、自分の非現実は語らない。これが、日本人の思考停止の原因である。
>それで生き残れるの?
<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)
>◆「生き残る力」
> 多数派側の正解って、もう一昔前の成功体験談に過ぎないでしょ。
多数派側には誤解もありましたね。誤解から貴重な教訓を得たでしょうかね。
>時代が猛スピードで移り変わって何が起きるか分からない世の中で、もはや一昔前の常識はいとも簡単に非常識になり。>一昔前の正解は、いとも簡単に不正解になってる。
そうですね。
>くれぐれもこれからの時代、持ち合わせる必要があるのは空気を読む力じゃなく、構造的に自分の頭で考えて決断することだと思います。
そうですね。
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。つかみどころのない人間よ、さようなら。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設により大きな協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
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